礼記 / 檀弓下
子路曰:「傷哉貧也,生無以為養,死無以為禮也。」孔子曰:「啜菽飲水盡其歡,斯之謂孝;斂手足形,還葬而無椁,稱其財,斯之謂禮。」 衛獻公出奔,反於衛,及郊,將班邑於從者而后入。柳莊曰:「如皆守社稷,則孰執羈靮而從;如皆從,則孰守社稷?君反其國而有私也,毋乃不可乎?」弗果班。
新字:子路曰:「傷哉貧也,生無以為養,死無以為礼也。」孔子曰:「啜菽飲水尽其歓,斯之謂孝;斂手足形,還葬而無椁,称其財,斯之謂礼。」 衛献公出奔,反於衛,及郊,将班邑於従者而后入。柳荘曰:「如皆守社稷,則孰執羈靮而従;如皆従,則孰守社稷?君反其国而有私也,毋乃不可乎?」弗果班。
書き下し
子路曰く、「傷(いた)ましいかな貧しきや、生きては以て養を為す無く、死しては以て礼を為す無きなり」と。孔子曰く、「菽(まめ)を啜(すす)り水を飲むも其の歓を尽くさしむる、斯れをこれ孝と謂う。手足の形を斂め、還(すみ)やかに葬りて椁(かく)無きも、其の財に称(かな)う、斯れをこれ礼と謂う」と。 衛の献公出奔し、衛に反り、郊に及び、将に邑を従者に班(わか)ちて后に入らんとす。柳荘曰く、「如し皆社稷を守らば、則ち孰か羈靮(きてき)を執りて従わん。如し皆従わば、則ち孰か社稷を守らん。君其の国に反りて私有るは、乃ち不可なること毋からんや」と。果たして班たず。
現代語訳
子路が言った。「貧しさとは痛ましいものです。親が生きているうちは十分に養うことができず、亡くなれば礼にかなった葬儀を出すこともできません」。孔子は言った。「豆の粥をすすり水を飲むような暮らしでも、親に心から喜んでもらえれば、それを孝という。亡骸の手足を包んで、日を置かずに葬り、椁(かく、棺の外箱)がなくとも、家の財に見合っていれば、それを礼というのだ」。 衛の献公は国外に亡命していたが、衛に戻ることになり、都の郊外まで来たところで、付き従ってきた者たちに領地を分け与えてから都に入ろうとした。柳荘(りゅうそう、衛の大夫)が言った。「もし皆が国に残って社稷を守っていたら、誰が馬の手綱を取って君に付き従ったでしょうか。もし皆が付き従っていたら、誰が社稷を守ったでしょうか。君が国に戻られて、従った者だけをえこひいきなさるのは、よろしくないのではありませんか」。結局、献公は領地を分けなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孔子家語・曲禮子貢問子路、孔子に問いて曰く、「傷ましいかな、貧なるや。生きては以て供養する無く、死しては則ち以て礼を為す無し」と。孔子曰く、「菽を啜り水を飲むも、其の歓を尽くさば、斯れ之を孝と為さんか。手足の形を斂め、旋やかに葬りて槨無きも、其の財に称いて、之が礼を為さば、貧何ぞ傷まんや」と。
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孔子家語・致思子路蒲の宰と為る。水備を為し、其の民と溝瀆を修む。民の労煩苦しむを以て、人に一簞の食、一壺の漿を与う。孔子之を聞き、子貢をして之を止めしむ。 子路忿りて悦ばず、孔子に見えて曰わく、「由や暴雨将に至らんとするを以て、水災有らんことを恐れ、故に民と溝洫を修めて以て之に備う。而して民に匱餓する者多し、是を以て簞食壺漿もて之に与う。夫子賜をして之を止めしむ、是れ夫子由の仁を行うを止むるなり。夫子仁を以て教えて其の行いを禁ず、由受けざるなり。」 孔子曰わく、「汝民を以て餓うと為さば、何ぞ君に白して倉廩を発きて以て之を賑わさざる。而して私に爾の食を以て之に饋る、是れ汝君の恵無きを明らかにし、而して己の徳の美を見わすなり。汝速やかに已めば則ち可なり、然らずんば則ち汝の罪せらるること必せり。」
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論語・雍也篇季康子問う、「仲由は政に従わしむ可きか。」子曰く、「由や果、政に従うに於いて何か有らん。」曰く、「賜は政に従わしむ可きか。」曰く、「賜や達、政に従うに於いて何か有らん。」曰く、「求は政に従わしむ可きか。」曰く、「求や芸、政に従うに於いて何か有らん。」
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史記 仲尼弟子列伝仲由、字は子路、卞の人なり。孔子より少きこと九歳。子路は性鄙にして、勇力を好み、志伉直、雄鶏を冠し、豭豚を佩び、孔子を陵暴す。孔子礼を設けて稍く子路を誘ふ、子路後に儒服して質を委ね、門人に因りて弟子と為らんことを請ふ。子路政を問ふ、孔子曰く、「之に先んじ、之を労へ」と。益を請ふ。曰く、「倦むこと無かれ」と。子路問ふ、「君子は勇を尚ぶか」と。孔子曰く、「義を之れ上と為す。君子勇を好みて義無ければ則ち乱し、小人勇を好みて義無ければ則ち盗す」と。子路聞くこと有りて、未だ之を行ふ能はざれば、唯だ聞くこと有るを恐る。孔子曰く、「片言以て獄を折むべき者は、其れ由なるか」と。「由や勇を好むこと我に過ぎたり、材を取る所無し」と。「由の若きは、其の死を得ざらん」と。「敝れたる縕袍を衣て、狐貉を衣る者と立ちて、恥ぢざる者は、其れ由なるか」と。「由や堂に升れり、未だ室に入らざるなり」と。季康子問ふ、「仲由は仁なるか」と。孔子曰く、「千乗の国其の賦を治めしむべし、其の仁を知らず」と。
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孔子家語・始誅孔子魯の司寇と為り、相の事を摂行し、喜色有り。仲由問いて曰く、「由聞く、君子禍至るも懼れず、福至るも喜ばず、と。今夫子位を得て喜ぶは、何ぞや。」孔子曰く、「然り、是の言有るなり。貴を以て人に下るを楽しむと曰わずや。」
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史記 仲尼弟子列伝子路蒲の大夫と為り、孔子に辞す。孔子曰く、「蒲は壮士多く、又治め難し。然れども吾汝に語げん。恭にして以て敬なれば、以て勇を執るべし。寛にして以て正なれば、以て衆に比すべし。恭正にして以て静なれば、以て上に報ゆべし」と。初め、衛の霊公に寵姫有り南子と曰ふ。霊公の太子蕢聵南子に過を得、誅を懼れて出奔す。霊公卒するに及び夫人公子郢を立てんと欲す。郢肯んぜず、曰く、「亡人太子の子輒在り」と。是に於いて衛輒を立てて君と為す、是れ出公為り。出公立つこと十二年、其の父蕢聵外に居り、入るを得ず。子路衛の大夫孔悝の邑宰と為る。蕢聵乃ち孔悝と乱を作し、謀りて孔悝の家に入り、遂に其の徒と出公を襲ひ攻む。出公魯に奔り、而して蕢聵入りて立つ、是れ荘公為り。孔悝乱を作すに方りて、子路外に在り、之を聞きて馳せ往く。子羔の衛の城門を出づるに遇ふ、子路に謂ひて曰く、「出公去れり、而して門已に閉づ、子還るべし、空しく其の禍を受くる毋かれ」と。子路曰く、「其の食を食む者は其の難を避けず」と。子羔卒に去る。使者の城に入る有り、城門開く、子路随ひて入る。蕢聵に造る、蕢聵孔悝と台に登る。子路曰く、「君焉んぞ孔悝を用ひん。請ふ得て之を殺さん」と。蕢聵聴かず。是に於いて子路台を燔かんと欲す、蕢聵懼れ、乃ち石乞・壺黶を下して子路を攻めしめ、子路の纓を撃ち断つ。子路曰く、「君子は死すとも冠は免がず」と。遂に纓を結びて死す。孔子衛の乱を聞きて、曰く、「嗟乎、由死せん」と。已にして果たして死す。故に孔子曰く、「吾由を得てより、悪言耳に聞こえず」と。是の時子貢魯の為に斉に使ひす。
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