孔子家語 / 曲禮子貢問
子路問於孔子曰:「傷哉,貧也。生而無以供養,死則無以為禮也。」孔子曰:「啜菽飲水,盡其歡也,斯為之孝乎?斂手足形,旋葬而無槨,稱其財,為之禮,貧何傷乎?」
新字:子路問於孔子曰:「傷哉,貧也。生而無以供養,死則無以為礼也。」孔子曰:「啜菽飲水,尽其歓也,斯為之孝乎?斂手足形,旋葬而無槨,称其財,為之礼,貧何傷乎?」
書き下し
子路、孔子に問いて曰く、「傷ましいかな、貧なるや。生きては以て供養する無く、死しては則ち以て礼を為す無し」と。孔子曰く、「菽を啜り水を飲むも、其の歓を尽くさば、斯れ之を孝と為さんか。手足の形を斂め、旋やかに葬りて槨無きも、其の財に称いて、之が礼を為さば、貧何ぞ傷まんや」と。
現代語訳
子路が孔子に尋ねた。「痛ましいことです、貧しいということは。親が生きているうちは十分な供養もできず、亡くなった後には十分な葬礼も行えません。」孔子は答えた。「豆を煮て食べ、水を飲むだけの粗末な暮らしであっても、真心を尽くして親を喜ばせるなら、それも孝と言えるのではないか。手足を覆う程度の質素な埋葬で、すぐに葬って外槨がなくとも、自分の財力に応じた礼を尽くすなら、貧しさの何を痛ましく思う必要があろうか。」
解説
子路は貧しさゆえに親への孝養や葬礼を十分に果たせないことを嘆きましたが、孔子はそれに対して、孝や礼の本質は物質的な豊かさではなく、真心をどれだけ尽くすかにあると諭しています。粗末な食事でも心から親を喜ばせれば孝であり、簡素な葬儀でも自分の財力に見合った誠実な形で執り行えば、それは十分に礼にかなっているという考え方です。経済的な制約があっても真心があれば孝も礼も成り立つというこの教えは、外形的な豊かさに惑わされがちな現代人にとっても、本質を見つめ直す指針となります。
この章句が説くこと
子路貧孝身の丈に合った礼
関連する章句
-
論語 学而第一子貢曰く、「貧しくして諂うこと無く、富みて驕ること無きは如何。」子曰く、「可なり。未だ貧しくして道を楽しみ、富みて礼を好む者には若かざるなり。」子貢曰く、「詩に云う、『切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し』と。其れ斯を之謂うか。」子曰く、「賜や、始めて与に詩を言う可きのみ。諸に往を告げて来を知る者なり。」
-
孔子家語・致思子路蒲の宰と為る。水備を為し、其の民と溝瀆を修む。民の労煩苦しむを以て、人に一簞の食、一壺の漿を与う。孔子之を聞き、子貢をして之を止めしむ。 子路忿りて悦ばず、孔子に見えて曰わく、「由や暴雨将に至らんとするを以て、水災有らんことを恐れ、故に民と溝洫を修めて以て之に備う。而して民に匱餓する者多し、是を以て簞食壺漿もて之に与う。夫子賜をして之を止めしむ、是れ夫子由の仁を行うを止むるなり。夫子仁を以て教えて其の行いを禁ず、由受けざるなり。」 孔子曰わく、「汝民を以て餓うと為さば、何ぞ君に白して倉廩を発きて以て之を賑わさざる。而して私に爾の食を以て之に饋る、是れ汝君の恵無きを明らかにし、而して己の徳の美を見わすなり。汝速やかに已めば則ち可なり、然らずんば則ち汝の罪せらるること必せり。」
-
論語 公冶長篇子曰く、『由や果(あら)し。政に従うに何か有らん。』
-
孔子家語・始誅孔子魯の司寇と為り、相の事を摂行し、喜色有り。仲由問いて曰く、「由聞く、君子禍至るも懼れず、福至るも喜ばず、と。今夫子位を得て喜ぶは、何ぞや。」孔子曰く、「然り、是の言有るなり。貴を以て人に下るを楽しむと曰わずや。」
-
史記 仲尼弟子列伝仲由、字は子路、卞の人なり。孔子より少きこと九歳。子路の性は鄙しく、勇力を好み、志は伉直なり。雄鶏を冠し、豭豚を佩び、孔子を陵暴す。孔子、礼を設けて稍く子路を誘ふ。子路後に儒服して質を委し、門人に因りて弟子為るを請ふ。子路、政を問ふ。孔子曰く、「之に先んじ、之を労ふ」と。益さんことを請ふ。曰く、「倦む無かれ」と。子路問ふ、「君子は勇を尚ぶか」と。孔子曰く、「義を之れ上と為す。君子、勇を好みて義無ければ則ち乱し、小人、勇を好みて義無ければ則ち盗す」と。子路、聞くこと有り、未だ之を行ふ能はざれば、唯だ聞くこと有るを恐る。孔子曰く、「片言以て獄を折む可き者は、其れ由なるか」と。「由や勇を好むこと我に過ぐ。材を取る所無し」と。「由の若きや、其の死を得ざらん」と。季康子問ふ、「仲由は仁なるか」と。孔子曰く、「千乗の国、其の賦を治めしむ可し、其の仁なるを知らず」と。
-
孔子家語・致思子路孔子に見えて曰わく、「重きを負い遠きを渉るには、地を択ばずして休み、家貧しく親老いては、禄を択ばずして仕う。昔者由や、二親に事うるの時、常に藜藿の実を食らい、親の為に米を負うこと百里の外にす。親歿するの後、南のかた楚に遊ぶ。従車百乗、粟を積むこと万鐘、茵を累ねて坐し、鼎を列ねて食らう。藜藿を食らい、親の為に米を負わんと願欲すれども、復た得可からざるなり。枯魚索に銜まるるは、幾何ぞ蠹せざらん。二親の寿は、忽として隙を過ぐるが若し。」 孔子曰わく、「由や親に事うるは、生きては事えて力を尽くし、死しては事えて思いを尽くす者と謂う可し。」