礼記 / 檀弓下
公叔文子卒,其子戍請謚於君,曰:「日月有時,將葬矣。請所以易其名者。」君曰:「昔者衛國凶饑,夫子為粥與國之餓者,是不亦惠乎?昔者衛國有難,夫子以其死衛寡人,不亦貞乎?夫子聽衛國之政,脩其班制,以與四鄰交,衛國之社稷不辱,不亦文乎?故謂夫子貞惠文子。」
新字:公叔文子卒,其子戍請謚於君,曰:「日月有時,将葬矣。請所以易其名者。」君曰:「昔者衛国凶饑,夫子為粥与国之餓者,是不亦恵乎?昔者衛国有難,夫子以其死衛寡人,不亦貞乎?夫子聴衛国之政,脩其班制,以与四鄰交,衛国之社稷不辱,不亦文乎?故謂夫子貞恵文子。」
書き下し
公叔文子卒す、其の子戍(じゅ)謚(おくりな)を君に請いて、曰く、「日月時(とき)有り、将に葬らんとす。請う其の名を易(か)うる所以の者を」と。君曰く、「昔者衛国凶饑(きょうき)す、夫子粥を為(つく)りて国の餓えたる者に与う、是れ亦た恵ならずや。昔者衛国に難有り、夫子其の死を以て寡人を衛(まも)る、亦た貞ならずや。夫子衛国の政を聴き、其の班制を脩(おさ)め、以て四隣と交わり、衛国の社稷辱められず、亦た文ならずや。故に夫子を貞恵文子と謂う」と。
現代語訳
衛の大夫公叔文子(こうしゅくぶんし)が亡くなったとき、その子の戍(じゅ)が君主に謚(おくりな、死後に生前の行いによって贈る名)を願い出て言った。「葬りの日取りも定まり、まもなく葬ろうとしております。父の生前の名に代えて呼ぶ名をお授けください」。 衛の君主は言った。「かつて衛の国が凶作で飢えたとき、あの方は粥を作って国の飢えた人々に施した。これこそ恵(けい、恵み深い)ではないか。かつて衛の国に難があったとき、あの方は命をかけて私を守った。これこそ貞(てい、節を守る)ではないか。あの方は衛の国の政治をつかさどり、身分と職の秩序を整え、それによって四方の隣国と交わって、衛の国の社稷(しゃしょく、国家)を辱めなかった。これこそ文(ぶん、礼楽と教化にすぐれる)ではないか。だから、あの方を貞恵文子と呼ぶことにする」。
解説
この章句が説くこと
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