礼記 / 檀弓下
穆伯之喪,敬姜晝哭;文伯之喪,晝夜哭。孔子曰:「知禮矣。」文伯之喪,敬姜據其床而不哭,曰:「昔者吾有斯子也,吾以將為賢人也,吾未嘗以就公室;今及其死也,朋友諸臣未有出涕者,而內人皆行哭失聲。斯子也,必多曠於禮矣夫。」
新字:穆伯之喪,敬姜昼哭;文伯之喪,昼夜哭。孔子曰:「知礼矣。」文伯之喪,敬姜拠其床而不哭,曰:「昔者吾有斯子也,吾以将為賢人也,吾未嘗以就公室;今及其死也,朋友諸臣未有出涕者,而内人皆行哭失声。斯子也,必多曠於礼矣夫。」
書き下し
穆伯の喪に、敬姜は昼(ひる)哭す。文伯の喪に、昼夜哭す。孔子曰く、「礼を知れり」と。文伯の喪に、敬姜其の床に拠(よ)りて哭せずして、曰く、「昔者(むかし)吾斯(こ)の子を有(たも)つや、吾以て将に賢人為らんとすと。吾未だ嘗て以て公室に就かず。今其の死に及ぶや、朋友諸臣未だ涕(なみだ)を出す者有らずして、内人(ないじん)は皆行(ゆくゆく)哭して声を失う。斯の子や、必ず礼に曠(むな)しきこと多からん」と。
現代語訳
夫の穆伯(ぼくはく)の喪では、敬姜(けいきょう)は昼だけ哭した。息子の文伯(ぶんぱく)の喪では、昼も夜も哭した。孔子は「礼をわきまえている」と言った。 文伯の喪のとき、敬姜はその遺体の横たわる床に手をかけたまま哭さずに、こう言った。「かつてこの子を育てていたころ、私はこの子がきっと賢人になるだろうと思っていた。それで私は一度も公室へ出向いて、この子の務めぶりを見たことがなかった。ところがいま死んでみると、友人や家臣たちには涙を流す者が一人もおらず、奥の妻妾たちはみな泣きながら声を失っている。この子はきっと、礼を欠くことが多かったのであろう」。
解説
魯の賢母として名高い敬姜の、夫と子の喪における振る舞いを伝える段である。夫の喪では昼だけ哭し、子の喪では昼夜哭したのを、孔子は礼を知ると評した。鄭玄は、夫の喪に夜哭しないのは、情欲を思うかのような嫌疑を避けるためだと注する。悲しみの表し方にも、相手との関係に応じた慎みがあったのである。後半はさらに厳しい。子の文伯が亡くなったとき、敬姜は泣かずに遺体の傍らでこう言った。友人や家臣は誰も涙を流さず、泣いているのは妻妾ばかりだ。この子は外での務めを怠り、内に溺れていたのだろう、と。鄭玄は内人を妻妾と注する。母は子の死を嘆くより先に、その生き方を弔問者の涙の数から読み取ったのである。『国語』にも、敬姜が機を織り続けて文伯をいさめた話が見える。人の本当の評価は、その人が去ったときに誰が泣くかに表れる。職場や地域で自分がいなくなったとき、誰が心から惜しんでくれるか。敬姜の言葉は今の読み手にも鋭く迫る。
この章句が説くこと
礼記敬姜評価母檀弓下
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