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礼記 / 檀弓下

季康子之母死,陳褻衣。敬姜曰:「婦人不飾,不敢見舅姑,將有四方之賓來,褻衣何為陳於斯。」命徹之。 有子與子游立,見孺子慕者,有子謂子游曰:「予壹不知夫喪之踊也,予欲去之久矣。情在於斯,其是也夫?」子游曰:「禮:有微情者,有以故興物者;有直情而徑行者,戎狄之道也。禮道則不然,人喜則斯陶,陶斯詠,詠斯猶,猶斯舞,舞斯慍,慍斯戚,戚斯歎,歎斯辟,辟斯踊矣,品節斯,斯之謂禮。人死,斯惡之矣,無能也,斯倍之矣。是故制絞、衾,設蔞、翣,為使人勿惡也。始死,脯、醢之奠;將行,遣而行之,既葬而食之,未有見其饗之者也;自上世以來,未之有舍也,為使人勿倍也。故子之所刺於禮者,亦非禮之訾也。」

新字:季康子之母死,陳褻衣。敬姜曰:「婦人不飾,不敢見舅姑,将有四方之賓来,褻衣何為陳於斯。」命徹之。 有子与子游立,見孺子慕者,有子謂子游曰:「予壱不知夫喪之踊也,予欲去之久矣。情在於斯,其是也夫?」子游曰:「礼:有微情者,有以故興物者;有直情而径行者,戎狄之道也。礼道則不然,人喜則斯陶,陶斯詠,詠斯猶,猶斯舞,舞斯慍,慍斯戚,戚斯嘆,嘆斯辟,辟斯踊矣,品節斯,斯之謂礼。人死,斯悪之矣,無能也,斯倍之矣。是故制絞、衾,設蔞、翣,為使人勿悪也。始死,脯、醢之奠;将行,遣而行之,既葬而食之,未有見其饗之者也;自上世以来,未之有舎也,為使人勿倍也。故子之所刺於礼者,亦非礼之訾也。」

書き下し

季康子の母死す、褻衣(せつい)を陳(つら)ぬ。敬姜曰く、「婦人は飾らざれば、敢えて舅姑(きゅうこ)に見(まみ)えず。将に四方の賓の来たる有らんとす、褻衣何為(なんす)れぞ斯(ここ)に陳ぬる」と。命じてこれを徹せしむ。 有子と子游と立ち、孺子(じゅし)の慕う者を見る。有子子游に謂いて曰く、「予壹(もっぱ)ら夫の喪の踊を知らず、予これを去らんと欲すること久し。情斯に在り、其れ是ならんか」と。子游曰く、「礼には、情を微(ほそ)くする者有り、故を以て物を興す者有り。情を直くして径(ただ)ちに行う者有るは、戎狄の道なり。礼の道は則ち然らず。人喜べば則ち斯に陶し、陶すれば斯に詠じ、詠ずれば斯に猶(ゆう)し、猶すれば斯に舞い、舞えば斯に慍(いか)り、慍れば斯に戚(うれ)え、戚うれば斯に歎じ、歎ずれば斯に辟(むねう)ち、辟てば斯に踊る。斯を品節する、斯れをこれ礼と謂う。人死すれば、斯にこれを悪(にく)む。能くする無ければ、斯にこれに倍(そむ)く。是の故に絞(こう)・衾(きん)を制し、蔞(りゅう)・翣(そう)を設くるは、人をして悪むこと勿からしめんが為なり。始めて死すれば、脯醢(ほかい)の奠あり。将に行かんとすれば、遣(おく)りてこれを行らしめ、既に葬りてこれに食らわしむ。未だ其のこれを饗くるを見る者有らざるなり。上世より以来、未だこれを舎(す)つること有らざるは、人をして倍くこと勿からしめんが為なり。故に子の礼に刺(そし)る所の者も、亦た礼の訾(そし)りに非ざるなり」と。

現代語訳

季康子(きこうし)の母が亡くなったとき、遺品として褻衣(せつい、肌着などの普段着)を並べて陳列した。敬姜(季康子の大叔母)は言った。「女は身なりを整えなければ、舅や姑の前にさえ出ないものです。これから四方の客が弔いに来られるというのに、どうして肌着などをここに並べるのですか」。そう言って片付けさせた。 有子(ゆうし、有若)と子游が並んで立っていたとき、親を慕って泣き叫ぶ幼子を見かけた。有子は子游に言った。「私にはどうしても喪のときの踊(よう、足を踏み鳴らす儀礼)というものがわからない。前々からあれはやめてしまいたいと思っていた。真情はこの子のように泣き叫ぶところにこそあるのではないか」。子游は答えた。「礼には、あふれる情を抑えて細くするものもあれば、外の物によって情を引き起こすものもある。情のおもむくままにまっすぐ行動するのは、戎狄(じゅうてき、周辺の異民族)のやり方だ。礼の道はそうではない。人は喜ぶと心が浮き立ち、浮き立つと歌い出し、歌うと体が揺れ、揺れると舞い出す。舞いが極まると一転して心が塞いで憤り、憤ると憂え、憂えると嘆き、嘆くと胸を打ち、胸を打つと足を踏み鳴らす。この移り行きに段階と節目を設けること、それを礼というのだ。 人が死ねば、人はその亡骸を忌み嫌うようになる。死者はもう何もできないので、人は死者に背を向けるようになる。だから絞(こう、亡骸を包む布の帯)や衾(きん、掛け布)を定め、蔞(りゅう、柩車の覆い)や翣(そう、柩の飾りの扇)を設けるのは、人に死者を忌み嫌わせないためなのだ。亡くなったばかりのときには干し肉や塩辛を供え、墓へ送り出すときには遣奠(けんてん)の供え物をして送り、葬った後には祭って食を供える。死者がそれを食べるのを見た者は誰もいない。それでも遠い昔から今まで、これをやめたことがないのは、人に死者に背を向けさせないためなのだ。だから、あなたが礼として非難しているものも、礼にとって咎めるべきものではないのだ」。

解説

礼とは何かを、感情の扱い方から説き明かした名高い段である。有子は、幼子が親を慕って泣き叫ぶ姿こそ真情であり、形式的な踊などやめたいと言った。子游は、情のままに振る舞うのは戎狄の道で、礼は情を細くしたり、物によって情を起こしたりするものだと答える。鄭玄は、情を細くするのは哭踊に節をつけること、物を興すのは衰絰の定めだと注する。喜びが歌となり舞となり、極まって一転し悲しみとなって胸を打ち足を踏み鳴らす、という連鎖の描写は見事で、その移り変わりに品節すなわち段階と区切りを与えることが礼だという。さらに、人は死者をやがて忌み嫌い、背を向けるものだと人の弱さを率直に認め、だからこそ衣や飾りを整え、食べるはずのない供え物を絶やさないのだと説く。礼は、移ろいやすい人の情を死者につなぎとめる仕組みなのである。前段の敬姜が肌着を片付けさせたのも、死者の尊厳を守る同じ心である。形式は心を殺すと思われがちだが、心を持続させるための形式もある。

この章句が説くこと

礼記子游情節度形式

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