礼記 / 檀弓上
曾子襲裘而弔,子游裼裘而弔。曾子指子游而示人曰:「夫夫也,為習於禮者,如之何其裼裘而弔也。」主人既小斂,袒、括髮;子游趨而出,襲裘、帶、絰而入。曾子曰:「我過矣,我過矣,夫夫是也。」
新字:曽子襲裘而弔,子游裼裘而弔。曽子指子游而示人曰:「夫夫也,為習於礼者,如之何其裼裘而弔也。」主人既小斂,袒、括髪;子游趨而出,襲裘、帯、絰而入。曽子曰:「我過矣,我過矣,夫夫是也。」
書き下し
曾子は裘(きゅう)を襲(おお)いて弔い、子游は裘を裼(せき)して弔う。曾子子游を指して人に示して曰く、「夫(か)の夫(ひと)や、礼に習う者たり。これを如何ぞ其れ裘を裼して弔うや」と。主人既に小斂し、袒(たん)し、括髪す。子游趨りて出で、裘を襲い、帯・絰して入る。曾子曰く、「我過てり、我過てり、夫の夫是なり」と。
現代語訳
曾子は皮衣の上に上着をきちんと着込んで弔問し、子游は皮衣の上着の前を開いて中の衣を見せて弔問した。曾子は子游を指さして人々に示して言った。「あの男は礼に通じた者なのに、どうして上着を開いたまま弔問しているのか」。やがて喪主が小斂を終え、片肌を脱ぎ、髪を麻で束ねた。すると子游は小走りに出て行き、上着をきちんと着込み、帯と絰を着けて入ってきた。曾子は言った。「私が間違っていた、私が間違っていた。あの男の方が正しい」。
解説
弔問の服装の変え時をめぐる、曾子と子游の話である。死の直後、主人がまだ喪服に改めないうちは、弔問客も吉服のままで、上着の前を開いて中の衣を見せる裼の姿で弔うのが礼であった。主人が小斂を終えて袒・括髪して喪の姿になると、弔問客も上着を襲い、帯と絰を着けて喪の装いに改める。曾子は最初から襲の姿で臨み、子游の裼を見て礼を知らないと人前で指さしたが、子游が主人の変化に合わせて装いを改めたのを見て、自分の誤りを二度繰り返して認めた。鄭玄は、曾子が服し、かつ子游を善しとしたと注す。弔問客の装いは、自分の哀しみの度合いを示すものではなく、喪主の段階に歩調を合わせるものだということがわかる。人前で他人の誤りを指摘した直後でも、自分の誤りを率直に認める曾子の姿もまた印象深い。
この章句が説くこと
礼記弔問曽子子游服装
関連する章句
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礼記・檀弓上曾子負夏(ふか)に弔う。主人既に祖し、池(ち)を填(ふさ)ぎ、柩を推して反し、婦人を降して后に礼を行う。従者曰く、「礼か」と。曾子曰く、「夫れ祖は且(しばら)くなり。且くならば、胡為(なんす)れぞ其れ以て反宿すべからざらんや」と。従者又諸を子游に問いて曰く、「礼か」と。子游曰く、「牖下(ゆうか)に飯(はん)し、戸内に小斂し、阼に大斂し、客位に殯し、庭に祖し、墓に葬るは、遠きに即(つ)く所以なり。故に喪事は進むこと有りて退くこと無し」と。曾子これを聞きて曰く、「多なるかな、予の祖を出だせる者に」と。
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