礼記 / 檀弓上
子游問喪具,夫子曰:「稱家之有亡。」子游曰:「有亡惡乎齊?」夫子曰:「有,毋過禮;苟亡矣,斂首足形,還葬,縣棺而封,人豈有非之者哉!」 司士賁告於子游曰:「請襲於床。」子游曰:「諾。」縣子聞之曰:「汰哉叔氏!專以禮許人。」
新字:子游問喪具,夫子曰:「称家之有亡。」子游曰:「有亡悪乎斉?」夫子曰:「有,毋過礼;苟亡矣,斂首足形,還葬,県棺而封,人豈有非之者哉!」 司士賁告於子游曰:「請襲於床。」子游曰:「諾。」県子聞之曰:「汰哉叔氏!専以礼許人。」
書き下し
子游喪具を問う、夫子曰く、「家の有亡(ゆうぼう)に称(かな)え」と。子游曰く、「有亡悪(いず)くにか斉(ひと)しからん」と。夫子曰く、「有れば、礼を過ぐること毋(な)かれ。苟(いやし)くも亡ければ、首足形を斂め、還(すみ)やかに葬り、棺を縣(つ)りて封ず、人豈にこれを非とする者有らんや」と。 司士賁(ふん)子游に告げて曰く、「請う床に襲(しゅう)せん」と。子游曰く、「諾」と。県子これを聞きて曰く、「汰(おご)れるかな叔氏、専ら礼を以て人に許す」と。
現代語訳
子游が葬儀の用具について尋ねると、孔子は言った。「その家に財が有るか無いかに見合わせよ」。子游が「有る家と無い家とで、どこで釣り合いをとればよいのでしょうか」と言うと、孔子は言った。「財が有っても、礼の定めを越えてはならない。もし財が無いのなら、頭から足まで体を衣で包み、日を置かずにすぐ葬り、棺を綱で吊り下ろして土をかぶせればよい。それを非難する人などあろうか」。 司士(しし、官名)の賁(ふん)が子游に「床の上で襲(しゅう、亡骸に衣を重ね着せる儀)を行いたいのですが」と申し出ると、子游は「よろしい」と答えた。県子はこれを聞いて言った。「思い上がったものだな、叔氏(子游)は。礼の可否を自分一人の裁量で人に許すとは」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下この日晩にいたり、天徳の勝地において、如法に葬す。門人四十四人、夜もすから茶毘の左右を囲繞するに、無香無臭、只白煙を見るのみ。第三日に至て、灰塵を掃ふに、その骨白雪の如し。聚会の男女、分取て供養す。又天徳院、並に所住の三院に納む。冷灰を小壺に貯へ、天徳院の北岳に埋んで無縫塔を立て、石平和尚の四字を書す。師の春秋七十七年、幼年にして生死を疑ひ、四十二にして祝髪、六十余にして得悟す。その行業の始末は前書に詳也。利生三十余年、度人数を知ること無し。
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論語・学而篇曾子曰く、「終りを慎み遠きを追えば、民の徳厚きに帰す。」
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「生を養うは、以て大事に當つるに足らず。惟だ死を送るは、以て大事に當つ可し。」
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礼記・檀弓上子柳(しりゅう)の母死す。子碩(しせき)具(そな)えんことを請う。子柳曰く、「何を以てせんや」と。子碩曰く、「請う庶弟の母を粥(ひさ)がん」と。子柳曰く、「これを如何ぞ其れ人の母を粥ぎて以て其の母を葬らんや。不可なり」と。既に葬りて、子碩賻布(ふふ)の余りを以て祭器を具えんと欲す。子柳曰く、「不可なり。吾これを聞く、君子は喪に家せず。請う諸(これ)を兄弟の貧しき者に班(わか)たん」と。
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戦国策・魏惠王死魏の恵王死す、葬るに日有り。天大いに雨雪ふり、牛目に至り、城郭を壊す。且に桟道を為して葬らんとす。群臣多く太子に諫むる者ありて曰く、「雪甚だしきこと此くの如くにして喪行わば、民必ず甚だ之を病まん。官費又給せざらんことを恐る、請う期を弛(ゆる)めて日を更(か)えよ」と。太子曰く、「人の子と為りて、民の労と官の費用を以ての故に、先王の喪を行わざるは、義ならざるなり。子復た言うこと勿かれ」と。群臣皆敢えて言わずして、犀首に告ぐ。犀首曰く、「吾未だ以て之を言う有らざるなり。是れ其れ唯だ恵公のみか。請う恵公に告げん」と。恵公曰く、「諾」と。駕して太子に見えて曰く、「葬るに日有り」と。太子曰く、「然り」と。恵公曰く、「昔王季歴楚山の尾に葬られ、灓水(らんすい)其の墓を齧(か)み、棺の前和を見(あら)わす。文王曰く、『嘻(ああ)、先君必ず一たび群臣百姓に見(まみ)えんと欲するなり、故に灓水をして之を見わさしむ』と。是に於いて出だして之が為に朝に張り、百姓皆之を見、三日にして後更めて葬る。此れ文王の義なり。今葬るに日有りて、雪甚だしく、牛目に及び、行き難し。太子日に及ぶの故を以て、亟(すみ)やかに葬らんと欲するに嫌(うたが)い無きを得んや。願わくは太子日を更えよ。先王必ず少しく留まりて社稷を扶(たす)け黔首を安んぜんと欲するなり、故に雪をして甚だしからしむ。因りて期を弛めて更めて日を為すは、此れ文王の義なり。此くの若くにして為さずんば、意(おも)うに文王に法(のっと)るを羞(は)ずるか」と。太子曰く、「甚だ善し。敬みて期を弛め、更めて日を択ばん」と。恵子徒(ただ)に其の説を行うのみに非ざるなり、又魏の太子をして未だ其の先王を葬らざるに因りて又文王の義を説かしむ。文王の義を説きて以て天下に示す、豈に小功ならんや。
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礼記・檀弓上孔子の喪に、公西赤これが志(し)を為す。棺を飾り、牆(しょう)・置翣(ちそう)・設披(せつひ)は、周なり。設崇(せつすう)は、殷なり。綢練(ちゅうれん)・設旐(せつちょう)は、夏なり。 子張の喪に、公明儀これが志を為す。褚幕(ちょばく)丹質、蟻結(ぎけつ)四隅に于(おい)てす。殷士なり。 子夏孔子に問いて曰く、「父母の仇に居ること如何」と。夫子曰く、「苫(せん)に寝ね干(たて)を枕にし、仕えず、与(とも)に天下を共にせざるなり。諸(これ)に市朝に遇わば、兵を反(かえ)さずして闘う」と。曰く、「請い問う、昆弟の仇に居ること如何」と。曰く、「仕うれども与に国を共にせず。君命を銜(ふく)みて使いすれば、これに遇うと雖も闘わず」と。曰く、「請い問う、従父昆弟の仇に居ること如何」と。曰く、「魁(かい)と為らず。主人能くすれば、則ち兵を執りて其の後に陪す」と。
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