礼記 / 檀弓下
孔子謂:為明器者,知喪道矣,備物而不可用也。哀哉!死者而用生者之器也。不殆於用殉乎哉。其曰明器,神明之也。塗車芻靈,自古有之,明器之道也。孔子謂為芻靈者善,謂為俑者不仁,不殆於用人乎哉。
新字:孔子謂:為明器者,知喪道矣,備物而不可用也。哀哉!死者而用生者之器也。不殆於用殉乎哉。其曰明器,神明之也。塗車芻霊,自古有之,明器之道也。孔子謂為芻霊者善,謂為俑者不仁,不殆於用人乎哉。
書き下し
孔子謂えらく、明器を為(つく)る者は、喪の道を知れり、物を備えて用うべからず。哀しいかな、死者にして生者の器を用うるや。殉を用うるに殆(ちか)からずや。其の明器と曰うは、これを神明にするなり。塗車(とうしゃ)芻霊(すうれい)は、古より之有り、明器の道なり。孔子謂えらく、芻霊を為る者は善く、俑(よう)を為る者は不仁なり、人を用うるに殆からずや。
現代語訳
孔子は言った。明器(めいき、死者のために作る形だけの器)を作る者は、喪の道をわきまえている。物をそろえてはあるが、実際には使えないように作るのである。悲しいことだ、死者に生きている者の使う器を用いるとは。それは生きた人を殉死させることに近づくのではないか。明器と呼ぶのは、死者を神明として扱うからである。泥で作った車や藁で作った人形(芻霊)は昔からあり、それが明器の道である。孔子は、藁人形を作る者は善いが、俑(よう、顔かたちがあり、からくりで動く人形)を作る者は不仁である、それは人を殉死させることに近づくのではないか、と言った。
解説
副葬品のあり方をめぐる孔子の見解を記した段である。明器は、死者のために形だけ整え、実際には使えないように作った器である。孔子は、死者に生者の器をそのまま用いれば、やがて生きた人をも墓に送る殉死に近づくと警告した。鄭玄は、殆は「ちかい」の意で、生者の器を用いることは次第に人を用いることに近づくと注する。そこで藁の人形は善しとし、人に似せて顔があり動く俑を不仁とした。鄭玄は、俑は顔かたちがあり、からくりで動いて生きた人に似ていると注する。『孟子』梁恵王上篇に引かれる「始めて俑を作る者は、其れ後無からんか」という孔子の言葉も同じ考えに立つ。人に似せた人形を墓に埋める発想そのものが、人の命を軽んじる心につながると見たのである。象徴と現実の境を曖昧にしないこと。形式が実質を侵し始める危うさへの感覚は、儀式に限らず組織の慣行にも当てはまる。
この章句が説くこと
礼記孔子明器仁殉死
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