礼記 / 檀弓下
君臨臣喪,以巫、祝、桃、茢、執戈,惡之也;所以異於生也。 喪有死之道焉。先王之所難言也。 喪之朝也,順死者之孝心也,其哀離其室也,故至於祖、考之廟而后行。殷朝而殯於祖,周朝而遂葬。
新字:君臨臣喪,以巫、祝、桃、茢、執戈,悪之也;所以異於生也。 喪有死之道焉。先王之所難言也。 喪之朝也,順死者之孝心也,其哀離其室也,故至於祖、考之廟而后行。殷朝而殯於祖,周朝而遂葬。
書き下し
君臣の喪に臨むには、巫(ふ)・祝(しゅく)・桃・茢(れつ)を以てし、戈(ほこ)を執らしむ、これを悪(にく)めばなり。生に異なる所以なり。 喪には死の道有り。先王の言い難き所なり。 喪の朝(ちょう)するや、死者の孝心に順うなり。其の其の室を離るるを哀しむ、故に祖・考の廟に至りて后(のち)に行く。殷は朝して祖に殯し、周は朝して遂に葬る。
現代語訳
君主が臣下の喪に臨むときは、巫(ふ、神に仕える者)と祝(しゅく、祭祀の祈りを司る者)に桃の枝と茢(れつ、葦の穂で作った箒)を持たせ、戈(ほこ)を執る者を従える。これは死の不浄を忌み嫌うからであり、生きている者を訪ねる場合と異なるゆえんである。 喪には、死というものの有様がある。それは先王も口に出して言いにくいところであった。 葬る前に柩を祖廟に朝(ちょう)させるのは、死者の孝心に沿うためである。死者が住み慣れた自分の家を離れるのを哀しむので、祖父や父の廟に至って別れを告げてから、墓へ向かう。殷では廟に朝させたあと祖廟で殯をし、周では廟に朝させたあとそのまま葬った。
解説
死の忌みと、死者の心への配慮という、一見相反する二つを並べた段である。君主が臣下の喪に臨むとき、巫と祝に桃の枝と葦の箒を持たせ、戈を執る者を従えるのは、死を忌み嫌うからだとはっきり言う。鄭玄は、桃と茢は凶邪を払うものだと注する。次の「喪には死の道有り、先王の言い難き所なり」について、鄭玄は、人の死には鳥獣の死と同じような有様があり、聖人はそれをはっきり言わなかったのだと読む。遺体は親しい人であっても、朽ちていく存在である。その生々しさを先王は正面から語らず、礼のかたちで包んだのである。一方で後半は、柩を祖廟に朝させる礼を、死者の孝心に沿うものと説く。生前、子が出かけるときに親に告げたように、死者も祖先の廟に別れを告げてから旅立つ。死を忌む心と、死者を生者と同じく扱う心の両方を、礼は矛盾なく抱えている。遺体への畏れと故人への愛着が同居するのは、今の遺族にも自然な感情であろう。
この章句が説くこと
礼記喪礼死孝祖廟
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