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礼記 / 檀弓下

五十無車者,不越疆而弔人。 季武子寢疾,蟜固不說齊衰而入見,曰:「斯道也,將亡矣;士唯公門說齊衰。」武子曰:「不亦善乎,君子表微。」及其喪也,曾點倚其門而歌。

新字:五十無車者,不越疆而弔人。 季武子寝疾,蟜固不説斉衰而入見,曰:「斯道也,将亡矣;士唯公門説斉衰。」武子曰:「不亦善乎,君子表微。」及其喪也,曽点倚其門而歌。

書き下し

五十にして車無き者は、疆(さかい)を越えて人を弔せず。 季武子疾に寝す、蟜固(きょうこ)斉衰(しさい)を説(ぬ)がずして入りて見(まみ)え、曰く、「斯の道や、将に亡びんとす。士は唯だ公門にのみ斉衰を説ぐ」と。武子曰く、「亦た善からずや、君子は微を表す」と。其の喪に及ぶや、曾点其の門に倚(よ)りて歌う。

現代語訳

五十歳になって車を持たない者は、国境を越えてまで人を弔問しに行かない。 季武子(きぶし、魯の執政の大夫)が病に臥したとき、蟜固(きょうこ)は斉衰(しさい、一年などの喪に着る喪服)を脱がずにそのまま入って見舞い、こう言った。「喪服を脱いで大夫の家に入るという今のやり方は、もうすぐ廃れるでしょう。士は、君主の門を入るときにだけ斉衰を脱ぐものです」。武子は言った。「それもまた結構ではないか。君子は埋もれかけたものを明らかにするものだ」。武子の喪になると、曾点(そうてん、曾子の父)はその家の門に寄りかかって歌をうたった。

解説

老いへの配慮と、権勢家に対する士の気骨を描いた段である。五十で車のない者が国境を越えて弔わないのは、鄭玄の注によれば気力が衰え始めるからで、礼は無理をしてまで義理を果たせとは言わない。続く季武子の話では、専権をふるった季氏の家では、人々が君主の門でするように喪服を脱いで入るのが慣わしになっていた。蟜固は喪服のまま入り、本来それは公門だけの礼だと言ってのけた。大夫が君主のように扱われている僭越を、身をもって正したのである。武子は「君子は微を表す」と褒めたが、鄭玄はこれを、どうすることもできず善いふりをしたのだと注する。そして武子の喪に、曾点は門に寄りかかって歌った。鄭玄は、自分は季氏の喪にくみしないと示したのだと注する。権力者の前で慣わしに流されず、筋を通す士の姿である。組織の空気が上の者を必要以上に持ち上げるとき、それを黙って正す勇気がいることを思わせる。

この章句が説くこと

礼記季武子曽点気骨喪服

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