礼記 / 檀弓上
子思之母死於衛,柳若謂子思曰:「子,聖人之後也,四方於子乎觀禮,子蓋慎諸。」子思曰:「吾何慎哉?吾聞之:有其禮,無其財,君子弗行也;有其禮,有其財,無其時,君子弗行也。吾何慎哉!」
新字:子思之母死於衛,柳若謂子思曰:「子,聖人之後也,四方於子乎観礼,子蓋慎諸。」子思曰:「吾何慎哉?吾聞之:有其礼,無其財,君子弗行也;有其礼,有其財,無其時,君子弗行也。吾何慎哉!」
書き下し
子思の母衛に死す。柳若(りゅうじゃく)子思に謂いて曰く、「子は聖人の後なり。四方子に於いて礼を観る。子蓋ぞ諸を慎まざる」と。子思曰く、「吾何をか慎まんや。吾これを聞く、其の礼有りて其の財無ければ、君子行わざるなり。其の礼有り、其の財有りて、其の時無ければ、君子行わざるなり。吾何をか慎まんや」と。
現代語訳
子思の母が衛で亡くなった。柳若(衛の人)が子思に言った。「あなたは聖人(孔子)の子孫です。四方の人々はあなたを見て礼を学ぼうとしています。どうか慎重になさってください」。子思は言った。「私が何を慎むことがあろうか。私はこう聞いている。礼の定めがあっても、それを行う財力がなければ、君子は行わない。礼の定めがあり、財力もあっても、それを行うべき時でなければ、君子は行わない。(私はそのとおりにするだけで)何を慎むことがあろうか」。
解説
子思の母、すなわち伯魚の妻は、伯魚の死後に衛の人に再嫁していた。鄭玄は、柳若は子思が嫁いだ母のために喪服を着ようとするのを見て、礼を誤るのではと案じて戒めたのだと注し、嫁母のための喪は斉衰期であるとする。子思は、礼の定めがあっても財がなければ行わず、財があっても時にかなわなければ行わない、それだけのことで何を慎むことがあろうかと答えた。鄭玄は、時が止まるべき所で止まり、行うべき所で行うのだから疑うことはないと注し、喪の礼は子としてのものであるが、贈り物の類は喪主を越えないと説く。身の丈に合った振る舞いが結局はいちばん礼にかなうという教えは、世間体に振り回されがちな冠婚葬祭の場で、今も心強い指針になる。
この章句が説くこと
礼記子思身の丈時宜喪礼
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