礼記 / 檀弓上
子柳之母死,子碩請具。子柳曰:「何以哉?」子碩曰:「請粥庶弟之母。」子柳曰:「如之何其粥人之母以葬其母也。不可。」既葬,子碩欲以賻布之餘具祭器。子柳曰:「不可,吾聞之也,君子不家於喪,請班諸兄弟之貧者。」
新字:子柳之母死,子碩請具。子柳曰:「何以哉?」子碩曰:「請粥庶弟之母。」子柳曰:「如之何其粥人之母以葬其母也。不可。」既葬,子碩欲以賻布之余具祭器。子柳曰:「不可,吾聞之也,君子不家於喪,請班諸兄弟之貧者。」
書き下し
子柳(しりゅう)の母死す。子碩(しせき)具(そな)えんことを請う。子柳曰く、「何を以てせんや」と。子碩曰く、「請う庶弟の母を粥(ひさ)がん」と。子柳曰く、「これを如何ぞ其れ人の母を粥ぎて以て其の母を葬らんや。不可なり」と。既に葬りて、子碩賻布(ふふ)の余りを以て祭器を具えんと欲す。子柳曰く、「不可なり。吾これを聞く、君子は喪に家せず。請う諸(これ)を兄弟の貧しき者に班(わか)たん」と。
現代語訳
子柳(魯の人)の母が亡くなった。弟の子碩が葬儀の支度を整えたいと申し出た。子柳は言った。「何でまかなうのか」。子碩は言った。「庶弟の母(父の妾)を売らせてください」。子柳は言った。「人の母を売って自分の母を葬るなど、どうしてできようか。それはならない」。葬儀が終わると、子碩は香典として贈られた布の残りで祭器をそろえようとした。子柳は言った。「それはならない。私はこう聞いている。君子は喪によって家を富ませない、と。兄弟のうち貧しい者たちに分けてやろう」。
解説
貧しい家の兄弟が母の葬儀をどうまかなうかをめぐる話である。弟の子碩は、父の妾すなわち庶弟の母を売って費用に充てようとしたが、兄の子柳は、人の母を売って自分の母を葬ることはできないと退けた。葬儀の後、子碩は賻布の余りで祭器をそろえようとしたが、子柳は「君子は喪に家せず」として、兄弟の貧しい者に分け与えた。鄭玄は、死者によって利を得ることを嫌ったのだと注し、死者が生前いとおしんだ者に分けるのだと説く。葬儀に集まった香典は、死者を送るための助けであって、遺族の財産を増やすためのものではない。見栄のために無理な出費をしないこと、香典の余りを残された者のうち困っている人に回すことは、今の葬儀や相続の場面でも大切な心がけである。
この章句が説くこと
礼記葬儀香典孝兄弟
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論語・学而篇曾子曰く、「終りを慎み遠きを追えば、民の徳厚きに帰す。」
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戦国策・魏惠王死魏の恵王死す、葬るに日有り。天大いに雨雪ふり、牛目に至り、城郭を壊す。且に桟道を為して葬らんとす。群臣多く太子に諫むる者ありて曰く、「雪甚だしきこと此くの如くにして喪行わば、民必ず甚だ之を病まん。官費又給せざらんことを恐る、請う期を弛(ゆる)めて日を更(か)えよ」と。太子曰く、「人の子と為りて、民の労と官の費用を以ての故に、先王の喪を行わざるは、義ならざるなり。子復た言うこと勿かれ」と。群臣皆敢えて言わずして、犀首に告ぐ。犀首曰く、「吾未だ以て之を言う有らざるなり。是れ其れ唯だ恵公のみか。請う恵公に告げん」と。恵公曰く、「諾」と。駕して太子に見えて曰く、「葬るに日有り」と。太子曰く、「然り」と。恵公曰く、「昔王季歴楚山の尾に葬られ、灓水(らんすい)其の墓を齧(か)み、棺の前和を見(あら)わす。文王曰く、『嘻(ああ)、先君必ず一たび群臣百姓に見(まみ)えんと欲するなり、故に灓水をして之を見わさしむ』と。是に於いて出だして之が為に朝に張り、百姓皆之を見、三日にして後更めて葬る。此れ文王の義なり。今葬るに日有りて、雪甚だしく、牛目に及び、行き難し。太子日に及ぶの故を以て、亟(すみ)やかに葬らんと欲するに嫌(うたが)い無きを得んや。願わくは太子日を更えよ。先王必ず少しく留まりて社稷を扶(たす)け黔首を安んぜんと欲するなり、故に雪をして甚だしからしむ。因りて期を弛めて更めて日を為すは、此れ文王の義なり。此くの若くにして為さずんば、意(おも)うに文王に法(のっと)るを羞(は)ずるか」と。太子曰く、「甚だ善し。敬みて期を弛め、更めて日を択ばん」と。恵子徒(ただ)に其の説を行うのみに非ざるなり、又魏の太子をして未だ其の先王を葬らざるに因りて又文王の義を説かしむ。文王の義を説きて以て天下に示す、豈に小功ならんや。
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『驢鞍橋』卷下この日晩にいたり、天徳の勝地において、如法に葬す。門人四十四人、夜もすから茶毘の左右を囲繞するに、無香無臭、只白煙を見るのみ。第三日に至て、灰塵を掃ふに、その骨白雪の如し。聚会の男女、分取て供養す。又天徳院、並に所住の三院に納む。冷灰を小壺に貯へ、天徳院の北岳に埋んで無縫塔を立て、石平和尚の四字を書す。師の春秋七十七年、幼年にして生死を疑ひ、四十二にして祝髪、六十余にして得悟す。その行業の始末は前書に詳也。利生三十余年、度人数を知ること無し。
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