礼記 / 檀弓上
孔子曰:「之死而致死之,不仁而不可為也。之死而致生之,不知而不可為也。是故竹不成用,瓦不成味,木不成斫,琴瑟張而不平,竽笙備而不和,有鐘磬而無簨虡。其曰明器,神明之也。」
書き下し
孔子曰く、「死に之(ゆ)きてこれを死を致すは、不仁にして為すべからざるなり。死に之きてこれに生を致すは、不知にして為すべからざるなり。是の故に竹は用を成さず、瓦は味(かい)を成さず、木は斫(しゃく)を成さず、琴瑟は張れども平らかならず、竽笙(うしょう)は備われども和せず、鐘磬(しょうけい)有れども簨虡(しゅんきょ)無し。其の明器と曰うは、これを神明にするなり。
現代語訳
孔子が言った。「死者のもとへ行って、完全に死んだもの(何も知らない者)として扱うのは、仁に欠けることで、してはならない。死者のもとへ行って、完全に生きている者として扱うのは、知に欠けることで、してはならない。だから(墓に納める器は)竹の器は縁取りがなく実用にならず、土の器は艶がなく、木の器は削りが仕上がっておらず、琴や瑟は弦を張っても調律がされておらず、竽や笙はそろっていても音が合わず、鐘や磬はあってもそれを掛ける台がない。これらを明器と呼ぶのは、死者を神明として扱うからである。
解説
墓に納める副葬品、明器の意味を孔子が説いた段である。死者を完全に無知なものとして扱えば、親を見捨てることになり仁に反する。反対に生きている人と同じに扱えば、死という事実を認めないことになり知に反する。形はあっても使えない器を納めることで、死者を生者でも無でもない、神明として遇するのである。鄭玄は「成」を善しと読み、「味」は「沬(かい)」の誤りで艶の意だと注し、「神明」を死者を神明とすることで人の知り得ないものだから器もこのようにするのだと説く。生と死の間の曖昧さをそのまま形にしたこの考えは、仏壇や墓への供え物にも通じる。亡き人に語りかけながら、もう答えないことも知っているという、遺された者の心の在り方そのものである。
この章句が説くこと
礼記明器孔子仁知
関連する章句
-
論語・雍也篇樊遅、知を問う。子曰く、民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざく、知と謂う可し。仁を問う。曰く、仁者は難きを先にして獲るを後にす、仁と謂う可し。
-
『慎思録』巻之一孟子曰く、不仁者は与に言ふべけんや。其の危ふきを安しとして其の菑ひを利とし、其の亡ぶる所以の者を楽しむと。蓋し不仁者は必ず知らず。何となれば則ち不仁の人は其の本心を失ひて、是非の心昏し。故に忠言を聞くと雖も信ぜず。之を聴くこと聡ならざるに因るなり。此れ与に言ふべからざるなり。其の知無きに因りて、故に啻だ義理の楽しむべきを知ること能はざるのみに非ず、危菑の懼るべきと雖も、亦知ること能はず。是を以て其の危ふきを安しとして其の菑ひを利とし、荒淫暴虐にして、敗亡を致す所以の者を楽しむ。危菑既に至ると雖も、亦悟らず、終に以て敗亡を取る。昏愚の甚だしきと謂ふべきなり。国語に、古人之を人天禍を覓めて弭めずと謂ふなり。孟子の所謂其の亡ぶる所以の者を楽しむなり。尹起辛曰く、天資乱を好むの人は、覆亡に至らざれば止まずと。亦此の意なり。古来不仁の人、往往皆此くの如し。嗚呼哀しむべきかな。
-
『都鄙問答』卷之一・武士ノ道ヲ問ノ段答ふ、実に左もあるべきことかな。樊遅仁を問ふ。子曰く、人を愛す。知を問ふ。人を知る。仁知は大なりといへども、此の二語を以て尽くし玉ふ。文字によらずして、人の暁し易きこそよからん。愚元来不学なれば、幸ひなるかな、心易く汝が身にも備はりたることを以て語るべし。先づ手足は、口のために使はるるなり。如何となれば、口が物を食はねば、手足安穏なること能はず。このゆゑに手足が苦労して、一代口の為に使はるると云へども、少しも不屑らしきことなく、口に忠を尽くして、能く事へまつるものなり。君に事へまつる道も、手足の口に使はるることを法とすべし。臣下の飯と汁は、君より給はる奉禄なり。其の禄なくして、何を以て命をつぐべきや。このゆへに我が身を委ねて、君の身に代はり、
-
『呻吟語』内篇・問學・知る可からざるを知れば則ち鑿つ君子は其の知る可きを知り、其の知る可からざるを知らず。其の知る可きを知らざれば則ち愚なり、其の知る可からざるを知れば則ち鑿つなり。
-
荀子・賦篇皇天(こうてん)物を隆(くだ)し、以て下民に示し施す、或いは厚く或いは薄く、常に齊均(せいきん)ならず。桀紂(けつちゅう)は以て亂れ、湯武(とうぶ)は以て賢なり。涽涽(こんこん)たり淑淑(しゅくしゅく)たり、皇皇(こうこう)たり穆穆(ぼくぼく)たり。四海に周流(しゅうりゅう)して、曾(すなわ)ち日を崇(お)えず。君子は以て脩め、跖(せき)は以て室を穿(うが)つ。大なること天に參(さん)じ、精微(せいび)にして形無く、義を行いて以て正しく、事業以て成る。以て暴(ぼう)を禁じ窮(きゅう)を足(た)らしむ可く、百姓(ひゃくせい)之を待ちて而(しか)る後に泰寧(たいねい)なり。臣愚にして識らず、願わくは其の名を問わん。曰く、此れ夫(か)の寬平(かんぺい)に安んじて險隘(けんあい)を危(あや)ぶむ者か。脩潔(しゅうけつ)を之れ親しみて、雜汙(ざつお)を之れ狄(しりぞ)くる者か。甚だ深く藏(かく)れて外は敵に勝つ者か。禹舜(うしゅん)に法(のっと)りて能く跡(あと)を弇(おお)う者か。行(こう)の動靜(どうせい)、之を待ちて而(しか)る後に適(かな)う者か。血氣の精(せい)なり、志意の榮(えい)なり、百姓之を待ちて而る後に寧(やす)く、天下之を待ちて而る後に平らかなり、明達純粹(めいたつじゅんすい)にして疵(きず)無し。夫(そ)れ是れを之れ君子の知(ち)と謂う。知なり。
-
論語・八佾篇或るひと禘を問う。子曰く、『知らざるなり。その説を知る者の天下に於けるや、其れ諸を斯に示すが如きか。』と掌を指す。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る