呻吟語 / 内篇・問學・知る可からざるを知れば則ち鑿つ
君子知其可知,不知其不可知。不知其可知則愚,知其不可知則鑿。
書き下し
君子は其の知る可きを知り、其の知る可からざるを知らず。其の知る可きを知らざれば則ち愚なり、其の知る可からざるを知れば則ち鑿つなり。
現代語訳
君子は知ることができるものを知り、知ることができないものは知ろうとしません。知ることができるものを知らなければ愚かであり、知ることができないものを知ろうとすれば穿ちすぎです。
解説
知の範囲を二つの失敗で挟みます。知れるものを知らなければ愚か、知れないものに手を出せば穿ちすぎ。どちらも同じだけ避けるべきだとされているのが要点で、探究を無制限に善とはしません。前に出てきた、鑿ちて求む可からずという段と同じ立場で、知の節度を説いた一段になっています。探究を無制限に善とはしない、知の節度を説いた一段です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
知範囲節度愚穿鑿
関連する章句
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『初学訓』巻之三一百行万善、皆知あるより行はれ、愚なるよりすたる。この故に、知は人身の大宝なり、貴ぶべし。人たる者は、高きもいやしきも、若きも老いたるも、只、知を求むべし。知を求むるの術はいかんぞや、学問するに如くはなし。学問にあらざれば、知求むべきやうなし。
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『初学訓』巻之三一およそ、善を好まずして悪を行ひ、君に不忠に、親に不孝に、国法を犯しておそれず、人に譏られ悪まれ、身を危くしてつつしまず、甚しきは、家を破り身を失ふは、なにの故ぞや。おろかにして知なきが故なり。知なきゆゑ、善の行ふべきことも、悪のなすべからざることをも知らず。たとへば、小児の、知なくして、水火をおそれず、井におち入り火に這入るが如し。又、善の行ふべきことを知らざるは、たとへば、三歳の小児に、菓と金とを前に列ね置きて取らせんに、必ず菓子をつかみて、金を捨つべし。是知なくして、金の宝なることを知らざればなり。
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『春秋左氏伝』襄公二十三年 知の難きや莒子重く之に賂ひ、死すること無からしめんとして曰く、「請ふ盟有らん」と。華周對へて曰く、「貨を貪りて命を棄つるは、亦た君の惡む所なり。昏に命を受けて、日未だ中せずして之を棄てば、何を以って君に事へん」と。莒子親ら之に鼓し、從ひて之を伐ち、杞梁を獲たり。莒人行成す。齊侯歸り、杞梁の妻に郊に遇ふ。之を弔せしむ。辭して曰く、「殖の罪有らば、何ぞ命を辱くせん。若し罪を免れば、猶ほ先人の敝廬の在る有り。下妾は郊弔に與ることを得ず」と。齊侯諸を其の室に弔す。齊侯將に臧紇に田を為さんとす。臧孫之を聞き、齊侯に見ゆ。之と晉を伐つことを言ふ。對へて曰く、「多きは則ち多し。抑も君は鼠に似たり。夫れ鼠は晝伏し夜動き、寢廟に穴せず、人を畏るるが故なり。今君晉の亂を聞きて、而る後に作る。寧ろ將に之に事へんとす。鼠に非ずして如何」と。乃ち田を與へず。仲尼曰く、「知の難きや。臧武仲の知有りて、魯國に容れられず。抑も由有るなり。作すこと順ならずして、施すこと恕ならざればなり。夏書に曰く、『茲を念ひ茲に在り』と。事を順にし施しを恕にするなり」と。
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『慎思録』巻之一学を為すの工夫、古人知を以て先と為す者は、蓋し知は以て開導すればなり。先づ之を知るに非ざれば、則ち力行すること能はず。先づ知るとは、当に行ふべきの端緒を知るなり。親に事ふる者の、先づ温凊定省、出づるに必ず告げ反れば必ず面するの法を知るが如き、是れなり。窮め知ること畢はりて而る後に方に之を行ふの謂に非ざるなり。既に其の端緒を知れば、則ち之を行ふこと最も急と為す。此れ乃ち知行並び進むの工夫なり。須らく此くの如くなるべし。蓋し知行の二者は、車の両輪の如く、鳥の両翼の如し。一を闕けば則ち不可なり。故に学は徒らに之を知ることを要せず、必ず力行を要す。二者以て学と為すべくして、行ふを以て重しと為す。若し之を行ふこと能はざれば、則ち徒らに之を知ると雖も、都て用無し。以て学と為すべからず。是を以て学ぶ者は、之を知るを先と為し、之を行ふを重しと為すなり。之を行ふに非ざれば、則ち真に知ること能はず。譬へば道路を行くが如し。其の道路の里程、山川の形勢、記籍有りて詳審なりと雖も、然れども躬親ら経過するに非ざれば、則ち其の真境を諳知すること能はず。故に行ひて後に知る者は、真知なり。
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『五常訓』巻之五・智一中庸の、博く学び、審に問ひ、慎んで思ひ、明かに弁ふるは、皆是知をもとむる道なり。かくの如く、知を明かにして後、篤く行ふ。古人も、此学もし真に知れば、行ふ事も其中にありといへり。よく此道を知れば、必よく行ふ。行はざるは知らざる故なり。附子、砒霜には毒ありと知りては、食はず。水火をば、人を害する事をよく知れる故に、おそれて、水におぼれ、火にやけず。病を治する事を知れば、良薬の苦きをも服し、熱きをこらへて、もぐさにて身を焼く。是よく知れる故なり。又博学多識なれど、道理を窮むる学問をせざれば、道を知らざる人、古来多し。経書の文句を説きわけたるまでにて、聖賢の教の道理を知らざるをば、訓詁の学と名づく。又故事出処を覚え、ひろく古今の事に通じて、道を知らざるをば、記誦の学と云ふ。詩文章を巧につくりて、道理にうときをば、詞章の学と云ふ。此三は、共に儒者の学にあらず。古人いやしめり。儒者の学は、理をきはめ、知を致して、道を知るを以て務とするを云ふ。書を読んで道を知らざるは、儒者の学にはあらず。
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『慎思録』巻之一知らざるの人は、豈に唯義理の為すべきを知ること能はざるのみならんや。抑も利害と雖も、亦知ること能はず。是を以て仁義に背き、貪暴を行ひて止まず。家を敗り身を滅ぼすに至りて顧みず。悲しむべきかな。此れ其の危ふきを安しとして、其の菑ひを利とするなり。