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弁名 / 天命帝鬼神

易又曰。聖人以此洗心。退藏於密。吉凶與民同患。是言卜筮者也。君陳曰。爾有嘉謀嘉猷。則入告爾后于內。爾乃順之于外曰。斯謀斯猷。惟我后之德。嗚呼臣人咸若時。惟良顯哉。夫聖人豈無嘉謀嘉猷。然洗其心退藏於密。乃順之于外曰。是鬼神之命也。洗其心者。悉致諸鬼神。而不敢留以爲己謀猷也。密者。謂不洩于外也。是其意吉凶與民同患故也。其仁至矣哉。鬼神合謀。吉無不利。其知至矣哉。

新字:易又曰。聖人以此洗心。退蔵於密。吉凶与民同患。是言卜筮者也。君陳曰。爾有嘉謀嘉猷。則入告爾后于内。爾乃順之于外曰。斯謀斯猷。惟我后之徳。嗚呼臣人咸若時。惟良顕哉。夫聖人豈無嘉謀嘉猷。然洗其心退蔵於密。乃順之于外曰。是鬼神之命也。洗其心者。悉致諸鬼神。而不敢留以為己謀猷也。密者。謂不洩于外也。是其意吉凶与民同患故也。其仁至矣哉。鬼神合謀。吉無不利。其知至矣哉。

書き下し

易に又た曰く、「聖人此を以て心を洗ひ、密に退蔵し、吉凶民と患を同じくす」と。是れ卜筮を言ふ者なり。君陳に曰く、「爾嘉謀嘉猷有らば、則ち入りて爾の后に内に告げ、爾乃ち之を外に順ひて曰へ、斯の謀斯の猷は、惟れ我が后の徳なりと。嗚呼、臣人咸な時くの若くならば、惟れ良顕なるかな」と。夫れ聖人豈に嘉謀嘉猷無からんや。然れども其の心を洗ひて密に退蔵し、乃ち之を外に順ひて曰ふ、是れ鬼神の命なりと。其の心を洗ふとは、悉く諸を鬼神に致して、敢へて留めて以て己の謀猷と為さざるなり。密とは、外に洩らさざるを謂ふなり。是れ其の意、吉凶民と患を同じくするが故なり。其の仁至れるかな。鬼神謀を合はせ、吉にして利ろしからざる無し。其の知至れるかな。

現代語訳

易にはまた「聖人はこれによって心を洗い、奥深くに退いて隠し、吉凶を民と憂いを同じくする」とある。これは卜筮のことを言ったものである。『書経』君陳篇に「あなたによい謀りごとやよい策があれば、内に入って君主に告げ、外ではそれに従って『この謀り、この策は、わが君の徳によるものです』と言いなさい。ああ、臣下たる者がみなこのようであれば、まことに善くして顕れることであろう」とある。そもそも聖人によい謀りごとやよい策がないはずがあろうか。しかし心を洗って奥深くに退いて隠し、外ではそれに従って「これは鬼神の命である」と言う。「心を洗う」とは、すべてを鬼神に委ねて、あえて自分の謀りごととして留めておかないことである。「密」とは、外に漏らさないことをいう。その意図は、吉凶について民と憂いを同じくするためである。その仁は至れるものではないか。鬼神と謀りごとを合わせれば、吉であって利ろしくないことはない。その知は至れるものではないか。

解説

易の「心を洗い密に退蔵す」を、徂徠は卜筮の場面として読む。書経君陳篇で臣下がよい策を君の徳として示すように、聖人も自分の妙案を自分の手柄とせず、「鬼神の命である」として民に示した。そうすることで民と吉凶の憂いを共にし、民が安心して従える。これが聖人の仁であり知だという。朱子学が「洗心」を心の修養と読んだのとは対照的である。優れたリーダーは、自分の案であっても組織の決定や理念の名のもとに示し、皆が自分のこととして担えるようにする。手柄を手放すことが人を動かすのである。

この章句が説くこと

卜筮鬼神聖人仁知謀

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