礼記 / 檀弓上
曾子曰:「喪有疾,食肉飲酒,必有草木之滋焉。以為薑桂之謂也。」 子夏喪其子而喪其明。曾子弔之曰:「吾聞之也:朋友喪明則哭之。」曾子哭,子夏亦哭,曰:「天乎!予之無罪也。」曾子怒曰:「商,女何無罪也?吾與女事夫子於洙、泗之間,退而老於西河之上,使西河之民疑女於夫子,爾罪一也;喪爾親,使民未有聞焉,爾罪二也;喪爾子,喪爾明,爾罪三也。而曰女何無罪與!」子夏投其杖而拜曰:「吾過矣!吾過矣!吾離群而索居亦已久矣。」
新字:曽子曰:「喪有疾,食肉飲酒,必有草木之滋焉。以為薑桂之謂也。」 子夏喪其子而喪其明。曽子弔之曰:「吾聞之也:朋友喪明則哭之。」曽子哭,子夏亦哭,曰:「天乎!予之無罪也。」曽子怒曰:「商,女何無罪也?吾与女事夫子於洙、泗之間,退而老於西河之上,使西河之民疑女於夫子,爾罪一也;喪爾親,使民未有聞焉,爾罪二也;喪爾子,喪爾明,爾罪三也。而曰女何無罪与!」子夏投其杖而拝曰:「吾過矣!吾過矣!吾離群而索居亦已久矣。」
書き下し
曾子曰く、「喪に疾有れば、肉を食い酒を飲み、必ず草木の滋(じ)有り」と。以て薑桂(きょうけい)の謂いと為すなり。 子夏其の子を喪いて其の明を喪う。曾子これを弔いて曰く、「吾これを聞く、朋友明を喪えば則ちこれを哭す」と。曾子哭す。子夏も亦哭して曰く、「天か、予(われ)の罪無きや」と。曾子怒りて曰く、「商、女(なんじ)何ぞ罪無からんや。吾女と夫子に洙(しゅ)・泗(し)の間に事え、退きて西河の上に老ゆ。西河の民をして女を夫子に疑わしむ、爾の罪一なり。爾の親を喪いて、民をして未だ聞くこと有らざらしむ、爾の罪二なり。爾の子を喪いて、爾の明を喪う、爾の罪三なり。而して曰く、女何ぞ罪無からんや」と。子夏其の杖を投じて拝して曰く、「吾過てり、吾過てり。吾群を離れて索居すること亦已に久し」と。
現代語訳
曾子が言った。「喪中に病気になったときは、肉を食べ酒を飲んでよいが、必ず草木から取った風味を添えよ」。記した者はこれを、生姜や肉桂のことだと解している。 子夏(孔子の弟子、名は商)は子を亡くし、泣きすぎて失明した。曾子が弔って言った。「友人が視力を失えば哭すると聞いている」。そして曾子が哭すると、子夏も哭して言った。「天よ、私には罪などないのに」。曾子は怒って言った。「商よ、お前に罪がないことがあろうか。私はお前とともに洙水・泗水のほとり(魯の地)で先生にお仕えし、退いてからお前は西河のほとりで老いた。西河の民に、お前を先生その人かと思わせた。これがお前の第一の罪だ。親を亡くしたときには、民にお前の喪の様子が何も聞こえてこなかった。これが第二の罪だ。子を亡くしたときには、泣いて目を失った。これが第三の罪だ。それでいて、どうして罪がないなどと言うのか」。子夏は杖を投げ捨てて拝礼し、言った。「私が間違っていた、私が間違っていた。仲間から離れて一人で暮らすことが、あまりにも長すぎたのだ」。
解説
この章句が説くこと
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