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礼記 / 檀弓上

宋襄公葬其夫人,醯醢百甕。曾子曰:「既曰明器矣,而又實之。」 孟獻子之喪,司徒旅歸四布。夫子曰:「可也。」 讀賵,曾子曰:「非古也,是再告也。」 成子高寢疾,慶遺入,請曰:「子之病革矣,如至乎大病,則如之何?」子高曰:「吾聞之也:生有益于人,死不害于人。吾縱生無益於人,吾可以死害于人乎哉?我死,則擇不食之地而葬我焉。」

新字:宋襄公葬其夫人,醯醢百甕。曽子曰:「既曰明器矣,而又実之。」 孟献子之喪,司徒旅帰四布。夫子曰:「可也。」 読賵,曽子曰:「非古也,是再告也。」 成子高寝疾,慶遺入,請曰:「子之病革矣,如至乎大病,則如之何?」子高曰:「吾聞之也:生有益于人,死不害于人。吾縦生無益於人,吾可以死害于人乎哉?我死,則択不食之地而葬我焉。」

書き下し

宋の襄公其の夫人を葬る、醯醢(けいかい)百甕(ひゃくおう)。曾子曰く、「既に明器と曰えり、而るに又これを実たす」と。 孟献子の喪、司徒の旅(りょ)四布を帰す。夫子曰く、「可なり」と。 賵(ぼう)を読む、曾子曰く、「古に非ざるなり、是れ再び告ぐるなり」と。 成子高疾(やまい)に寝(ふ)す、慶遺入りて、請いて曰く、「子の病革(すみ)やかなり、如(も)し大病に至らば、則ちこれを如何せん」と。子高曰く、「吾これを聞けり、生きては人に益有り、死しては人を害せず、と。吾縦(たと)い生きて人に益無くとも、吾以て死して人を害すべけんや。我死せば、則ち不食の地を択びて我を葬れ」と。

現代語訳

宋の襄公(じょうこう)が夫人を葬ったとき、醯醢(けいかい、酢と肉の塩辛)を百甕も墓に納めた。曾子は言った。「明器(めいき、死者のために作る形だけの器)と呼んでおきながら、その中身を満たすとは」。 孟献子(もうけんし、魯の大夫)の喪で、司徒の属官の旅(りょ、下士)が、四方から贈られた布を送り主に返した。孔子は「それでよい」と言った。 柩を送り出す前に賵(ぼう、葬儀のために贈られた車馬や財物)の目録を読み上げることについて、曾子は言った。「これは古の礼ではない。贈った者の口上に重ねて、もう一度告げることになるからだ」。 成子高(せいしこう、斉の大夫)が病に臥したとき、慶遺(けいい)が入ってきて願い出た。「あなたの病は重くなりました。もし大事に至ったら、どういたしましょうか」。子高は言った。「私はこう聞いている。生きては人の役に立ち、死んでは人に害を与えない、と。私はたとえ生きて人の役に立たなかったとしても、死んで人に害を与えてよいものだろうか。私が死んだら、耕作されていない土地を選んで私を葬ってくれ」。

解説

葬送における過不足をめぐる四つの話を集めた段である。宋の襄公は夫人の墓に醯醢を百甕も納めた。曾子の批判について鄭玄は、明器と名づけながら祭器のように中身を満たすのは、鬼神の器と人の器を乱すものだと注する。明器はあくまで死者のための形だけの器であり、生者の食物を実際に詰め込むのは死者を生者と混同することになる。孟献子の家が余った賻布を返したのを孔子が認めたのは、喪を利得の機会にしなかったからである。賵を読み上げることを曾子が退けたのは、同じことを二度告げる煩わしさを嫌ったものである。最後の成子高の言葉は、とりわけ胸を打つ。生きて益を与えられなかったとしても、せめて死んで人に害を与えまいと、耕されない土地に葬るよう命じた。墓が田畑をつぶすことを憂えたのである。自分の死後に残る負担をどう軽くするか。終活という言葉が広まった今、この一節はそのまま読める。

この章句が説くこと

礼記明器曽子終活葬送

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