礼記 / 檀弓上
大公封於營丘,比及五世,皆反葬於周。君子曰:「樂樂其所自生,禮不忘其本。古之人有言曰:狐死正丘首,仁也。」 伯魚之母死,期而猶哭。夫子聞之,曰:「誰與哭者?」門人曰:「鯉也。」夫子曰:「嘻!其甚也。」伯魚聞之,遂除之。
新字:大公封於営丘,比及五世,皆反葬於周。君子曰:「楽楽其所自生,礼不忘其本。古之人有言曰:狐死正丘首,仁也。」 伯魚之母死,期而猶哭。夫子聞之,曰:「誰与哭者?」門人曰:「鯉也。」夫子曰:「嘻!其甚也。」伯魚聞之,遂除之。
書き下し
大公(たいこう)営丘に封ぜられ、五世に比及(およ)ぶまで、皆反(かえ)りて周に葬る。君子曰く、「楽は其の自りて生ずる所を楽しみ、礼は其の本を忘れず。古の人言える有り、曰く、狐死して丘に首を正すは、仁なり」と。 伯魚の母死し、期(き)にして猶哭す。夫子これを聞きて曰く、「誰か哭する者ぞ」と。門人曰く、「鯉(り)なり」と。夫子曰く、「嘻(ああ)、其れ甚だし」と。伯魚これを聞きて、遂にこれを除く。
現代語訳
太公望(呂尚)は営丘(斉の都)に封ぜられたが、五代目に至るまで、斉の君はみな周に帰って葬られた。君子は言った。「楽は自分の生まれ出た所を楽しみ、礼はその根本を忘れない。古の人の言葉に、狐は死ぬとき頭を自分の生まれた丘の方へまっすぐ向けるという。それは仁の心である」。 伯魚(孔子の子、名は鯉)の母(孔子のもとを去った妻)が死んだ。一年が過ぎても伯魚はなお哭していた。孔子はそれを聞いて言った。「哭しているのは誰か」。門人が答えた。「鯉さんです」。孔子は言った。「ああ、それは度が過ぎている」。伯魚はこれを聞いて、哭するのをやめた。
解説
前半は、斉の始祖太公望とその子孫が五代にわたり周の地に帰葬したことを、君子がほめた話である。鄭玄は、太公は封を受けたのちも周に留まって太師となり、周で死んで葬られ、子孫はそこを離れるに忍びなかったと注す。「楽は其の自りて生ずる所を楽しみ、礼は其の本を忘れず」は礼楽の精神を端的に言い表した句で、「狐死して丘に首を正す」は後に「首丘の情」という成語となり、故郷や根本を思う心の喩えとして広く使われるようになった。後半は、離縁された母の喪で一年を過ぎてもなお哭していた伯魚を、孔子が「其れ甚だし」と止めた話である。鄭玄は「嘻」を悲しみ恨む声と注し、孔穎達の疏は伯魚を責めたのではないと説く。自分の出自を大切に思うことと、悲しみを適切な時に収めることの両方が、この段では並べて語られている。
この章句が説くこと
礼記報本首丘伯魚檀弓
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