礼記 / 檀弓上
事親有隱而無犯,左右就養無方,服勤至死,致喪三年。事君有犯而無隱,左右就養有方,服勤至死,方喪三年。事師無犯無隱,左右就養無方,服勤至死,心喪三年。
新字:事親有隠而無犯,左右就養無方,服勤至死,致喪三年。事君有犯而無隠,左右就養有方,服勤至死,方喪三年。事師無犯無隠,左右就養無方,服勤至死,心喪三年。
書き下し
親に事うるには、隠すこと有りて犯すこと無く、左右に就養して方(つね)無く、服勤して死に至り、喪を致すこと三年。君に事うるには、犯すこと有りて隠すこと無く、左右に就養して方有り、服勤して死に至り、方喪三年。師に事うるには、犯すこと無く隠すこと無く、左右に就養して方無く、服勤して死に至り、心喪三年。
現代語訳
親に仕えるには、その過ちを言い立てず、面と向かって逆らうことはせず、身の回りの世話は決まった者に任せず誰でも尽くし、骨の折れる仕事にも死ぬまで勤め、亡くなれば悲しみを尽くして三年の喪に服する。主君に仕えるには、面と向かって諫めることはあっても過ちを隠し立てはせず、身の回りの世話には定められた役目の分担があり、骨の折れる仕事にも死ぬまで勤め、亡くなれば親の喪になぞらえて三年の喪に服する。師に仕えるには、逆らうこともなく隠すこともなく、身の回りの世話は決まった者に任せず誰でも尽くし、骨の折れる仕事にも死ぬまで勤め、亡くなれば喪服は着ないが心の中で三年の喪に服する。
解説
親・君・師という三つの関係について、仕え方と喪の服し方を対にして並べた、檀弓篇でも名高い一節である。鄭玄は「隠」を過失を称揚しないこと、「無犯」を顔色を犯して諫めないことと注し、論語の「父母に事うるには幾(ようや)く諫む」を引く。親は恩によって結ばれるから、過ちは外に言い立てず、諫めるにも穏やかにする。君は義によって結ばれるから、正面から諫めてよく、過ちを隠してはならない。師はその中間で、逆らいもせず隠しもしない。喪の違いがもっとも印象深く、親には実の喪、君には親になぞらえた喪、師には喪服を着けない「心喪」を三年とする。孔子の没後、弟子たちが墓のそばで三年を過ごしたと伝えられるのは、この心喪にあたる。関係の種類に応じて、率直さと思いやりの配分を変える知恵として、今も読む価値がある。
この章句が説くこと
礼記孝師弟君臣心喪
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