礼記 / 曲礼下
凡祭宗廟之禮:牛曰「一元大武」,豕曰「剛鬣」,豚曰「腯肥」,羊曰「柔毛」,雞曰「翰音」,犬曰「羹獻」,雉曰「疏趾」,兔曰「明視」,脯曰「尹祭」,槀魚曰「商祭」,鮮魚曰「脡祭」,水曰「清滌」,酒曰「清酌」,黍曰「薌合」,粱曰「薌萁」,稷曰「明粢」,稻曰「嘉蔬」,韭曰「豐本」,鹽曰「鹹鹺」,玉曰「嘉玉」,幣曰「量幣」。
新字:凡祭宗廟之礼:牛曰「一元大武」,豕曰「剛鬣」,豚曰「腯肥」,羊曰「柔毛」,鶏曰「翰音」,犬曰「羹献」,雉曰「疏趾」,兔曰「明視」,脯曰「尹祭」,槀魚曰「商祭」,鮮魚曰「脡祭」,水曰「清滌」,酒曰「清酌」,黍曰「薌合」,粱曰「薌萁」,稷曰「明粢」,稲曰「嘉蔬」,韭曰「豊本」,塩曰「鹹鹺」,玉曰「嘉玉」,幣曰「量幣」。
書き下し
凡そ宗廟を祭るの礼、牛には「一元大武(いちげんたいぶ)」と曰い、豕(ぶた)には「剛鬣(ごうりょう)」と曰い、豚には「腯肥(とつひ)」と曰い、羊には「柔毛」と曰い、雞には「翰音(かんおん)」と曰い、犬には「羹献(こうけん)」と曰い、雉には「疏趾(そし)」と曰い、兔には「明視」と曰い、脯(ほじし)には「尹祭(いんさい)」と曰い、槀魚(こうぎょ)には「商祭」と曰い、鮮魚には「脡祭(ていさい)」と曰い、水には「清滌(せいてき)」と曰い、酒には「清酌」と曰い、黍には「薌合(きょうごう)」と曰い、粱には「薌萁(きょうき)」と曰い、稷には「明粢(めいし)」と曰い、稲には「嘉蔬(かそ)」と曰い、韭(にら)には「豊本」と曰い、塩には「鹹鹺(かんさ)」と曰い、玉には「嘉玉」と曰い、幣には「量幣」と曰う。
現代語訳
宗廟(祖先の廟)を祭る礼では、供え物を次のような美称で呼ぶ。牛は「一元大武」(大きな頭と太い足跡のもの)、成長した豚は「剛鬣」(こわい鬣のもの)、子豚は「腯肥」(よく肥えたもの)、羊は「柔毛」(柔らかな毛のもの)、鶏は「翰音」(高く鳴くもの)、犬は「羹献」(羹にして献ずるもの)、雉は「疏趾」(指の離れたもの)、兎は「明視」(目の明らかなもの)、干し肉は「尹祭」(正しく切った供え)、干し魚は「商祭」(よく量った供え)、生の魚は「脡祭」(まっすぐな供え)、水は「清滌」(清らかなもの)、酒は「清酌」(清らかに酌むもの)、黍は「薌合」(香り良く粘るもの)、粱は「薌萁」(香り良いもの)、稷は「明粢」(明らかな穀物)、稲は「嘉蔬」(めでたい穀物)、韮は「豊本」(根の盛んなもの)、塩は「鹹鹺」(塩辛いもの)、玉は「嘉玉」(めでたい玉)、帛(ぬさ)は「量幣」(寸法を量った幣)と呼ぶ。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・倫理・福を求むるは已に君子の心に非ず郊社は、天地生成の大德に報ゆるなり。然れども災沴には禳有り、順成には祈有り。君の私田を為すは則ち仁、民の公田を為すは則ち忠なり。福を求むるを嫌はず、禍を免るるを嫌はず。子孫の先祖を祭るは、追養繼孝を以てなり。我が祖父母より此の身有るなり。曰く、「先人の澤に賴りて、以て其の餘慶を享く」と。曰く、「吾朝夕奉養して歡を承けしに、一旦復た杯棬を獻ぜず、心悲思して寄する無し、故に祭薦して以て吾が情を伸ぶるなり」と。曰く、「吾貧賤にして菽水を供するに足らず、今鼎食するも親逮ばず、心悲思して及ぶ莫し、故に祭薦して以て吾が悔いを志すなり」と。豈に其の遊魂虛位の能く我を福せんが為に之を求めんや。福を求むるは已に君子の心に非ず。而して一飯の設、數拜の勤を以て、福を先人に求む、仁孝誠敬の心果たして是くのごとくならんや。利を謀らず、報を責めず、其の感激を望まず。他人に在りてすら猶ほ然り、而るに況んや我が先人をや。『詩』の祭は必ず福を言ふ、而して『楚茨』の諸詩を尤も甚だしと為す、豈に訓と為す可けんや。吾獨り『采蘩』『采蘋』の二詩に取る有り。物を盡くし志を盡くし、以て吾が子孫の誠敬を達するのみ、他は及ばざるなり。此の道に明らかならば、則ち天下の萬事萬物皆我の當に為すべき所を盡くし、禍福利害は皆其の自ら至るに聽す。人事脩まりて外慕の心息み、道に向かふこと專らにして作輟の念忘れん。何者ぞ。性分に明らかにして冀悻する所無ければなり。
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『呻吟語』外篇・品藻・古人の笑ふ所宋儒は古に泥み、更に古昔の真偽、今世の是非を考へず。只だ祭祀一節の如し。古人は席地にして飲食に便ならず。故に簠簋籩豆を尚び、其の器は皆な高し。今古人を祭るに之を用ふるは、其の時に從ふなり。子孫の祖考を祭るは、只だ祖考の常に用ひし所の宜しきを用ふ可し。而るに簠簋籩豆是れ設くるは可ならんや。諸の此の類の如きは甚だ多く、皆な古人の笑ふ所なり。古人をして今に生まれしめば、舉動必ず此の如くならざらん。
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