礼記 / 曲礼下
凡祭,有其廢之,莫敢舉也;有其舉之,莫敢廢也。非其所祭而祭之,名曰淫祀。淫祀無福。 天子以犧牛,諸侯以肥牛,大夫以索牛,士以羊豕。 支子不祭,祭必告于宗子。
新字:凡祭,有其廃之,莫敢舉也;有其舉之,莫敢廃也。非其所祭而祭之,名曰淫祀。淫祀無福。 天子以犠牛,諸侯以肥牛,大夫以索牛,士以羊豕。 支子不祭,祭必告于宗子。
書き下し
凡そ祭りは、其の廃する有れば、敢えて挙ぐる莫(な)く、其の挙ぐる有れば、敢えて廃する莫し。其の祭る所に非ずしてこれを祭る、名づけて淫祀と曰う。淫祀は福無し。 天子は犠牛を以てし、諸侯は肥牛を以てし、大夫は索牛を以てし、士は羊豕(ようし)を以てす。 支子(しし)は祭らず、祭らば必ず宗子に告ぐ。
現代語訳
およそ祭祀というものは、すでに廃されたものを勝手に復活させることはせず、行われているものを勝手に廃することはしない。自分が祭るべきでない神を祭ることを淫祀(みだりな祭り)といい、淫祀には福がない。 犠牲は、天子は純色の牛を用い、諸侯は肥えた牛を用い、大夫は選んで求めた牛を用い、士は羊と豚を用いる。 支子(嫡子でない子)は祭祀を行わない。やむをえず行うときは、必ず宗子(本家を継ぐ嫡子)に告げてから行う。
解説
祭祀の秩序を守る原則を三つ述べる段である。第一は、廃された祭りを勝手に興さず、行われている祭りを勝手にやめないこと、そして祭るべきでないものを祭る「淫祀」を戒めることである。祭りは私的な願掛けではなく、身分と関係に応じて定まった務めであり、分を越えて神に近づこうとすることは福をもたらさないとされる。論語為政篇の「其の鬼に非ずしてこれを祭るは諂(へつら)いなり」と同じ考えである。第二は犠牲の等級で、牛の質や種類で身分の差を表す。第三の「支子は祭らず」について鄭玄は、勝手にしないためで、宗子に事故があって支子が代わって祭る場合をいうと注している。先祖の供養を誰が担うか、どこまでを自分の務めとするかという問いは、いまの家族にも残っている。
この章句が説くこと
礼記祭祀淫祀宗子節度
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