礼記 / 曲礼上
父之讎,弗與共戴天。兄弟之讎,不反兵。交遊之讎,不同國。 四郊多壘,此卿大夫之辱也。地廣大,荒而不治,此亦士之辱也。 臨祭不惰。祭服敝則焚之,祭器敝則埋之,龜筴敝則埋之,牲死則埋之。凡祭於公者,必自徹其俎。
新字:父之讎,弗与共戴天。兄弟之讎,不反兵。交遊之讎,不同国。 四郊多塁,此卿大夫之辱也。地広大,荒而不治,此亦士之辱也。 臨祭不惰。祭服敝則焚之,祭器敝則埋之,亀筴敝則埋之,牲死則埋之。凡祭於公者,必自徹其俎。
書き下し
父の讎(あだ)は、与(とも)に共に天を戴かず。兄弟の讎は、兵を反(かえ)さず。交遊の讎は、国を同じくせず。 四郊に塁多きは、此れ卿大夫の辱なり。地広大にして、荒れて治まらざるは、此れ亦た士の辱なり。 祭に臨みて惰らず。祭服敝(やぶ)るれば則ちこれを焚き、祭器敝るれば則ちこれを埋め、亀筴(きさく)敝るれば則ちこれを埋め、牲死すれば則ちこれを埋む。凡そ公に祭る者は、必ず自ら其の俎(そ)を徹す。
現代語訳
父の仇とは、同じ天の下にともに生きることはしない。兄弟の仇に対しては、武器を取りに家へ戻ることなく、常に携えていて出会えばすぐに討つ。友人の仇とは、同じ国に住まない。 都の四方の郊外に敵に備える砦が多く築かれているのは、国の政を担う卿や大夫の恥である。土地が広大であるのに、荒れて治まっていないのは、これもまた士の恥である。 祭りに臨んでは怠らない。祭服が破れたら焼き、祭器が壊れたら土に埋め、占いに用いた亀甲や筮竹が傷んだら埋め、供える予定の牲(いけにえ)が死んだら埋める。およそ君の祭りに加わった者は、必ず自分の俎(そ、肉を載せる台)を自分で下げる。
解説
仇討ちの規定、官にある者の恥、祭具の扱いを並べた段である。「父の讎は与に共に天を戴かず」は「不倶戴天」の語源として知られる。孔穎達の疏は、父は子にとっての天であり、父を殺した者は自分の天を殺した者だから、必ず報いて同じ天下に共存しないのだと説く。兄弟の仇には武器を手放さず、友人の仇には同じ国に住まないと、関係の親疏によって報復の程度を段階づけている点が礼の特色である。ただし周礼には仇討ちを官に届け出て管理する規定もあり、無制限の私闘を認めていたわけではない。四郊に砦が多いのを卿大夫の恥とするのは、鄭玄の注によれば、国を安んずる謀を立てられず、しばしば侵攻を受けていることを示すからである。土地が荒れれば士の恥というのも、職分を果たしていない責任を問うている。祭服は焼き、祭器は埋めるというのは、神に用いた物を日常の用に流さない慎みである。自分の持ち場の荒廃を自らの恥と受け止める感覚は、今の仕事にも通じる。
この章句が説くこと
礼記不倶戴天復讐恥曲礼
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