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武士道 / 第八章 名譽・新井白石と小蛇の創

史上哀事多し、されど未だ人類の母エバが、騷立つ胸、戰く指に、粗き針取りて、憂に沈める良人の摘み與ふる無花果の葉を綴るの光景の如く哀しきはあらず。神明に背く覿面の罪果は人間に固着して離るべからず。裁縫の技の何如に精妙を極むとも、未だ羞恥を包むに足るべき蔽膝を縫ふ能はず。」新井白石の年少うして苦學するや、富人某といふものあり、其志の超凡なるを見、之に孫女を妻はし、且つ給するに勤學の資を以てせんと乞ひしに、白石之を辭し、昔、靈潭に小蛇棲めり、人あ◎り小刀を拔き、其腮に微傷を負はしむるや、條ち丈餘の大蛇と化して斃れ、頭上に尺餘の創痕を有したりと云今ふ、富人の欲する所は、即ち小蛇を傷くることなり、されど後來、我れ家を興し、名を成さんには、其創殊に大なるものあらん。

新字:史上哀事多し、されど未だ人類の母エバが、騷立つ胸、戦く指に、粗き針取りて、憂に沈める良人の摘み与ふる無花果の葉を綴るの光景の如く哀しきはあらず。神明に背く覿面の罪果は人間に固着して離るべからず。裁縫の技の何如に精妙を極むとも、未だ羞恥を包むに足るべき蔽膝を縫ふ能はず。」新井白石の年少うして苦学するや、富人某といふものあり、其志の超凡なるを見、之に孫女を妻はし、且つ給するに勤学の資を以てせんと乞ひしに、白石之を辞し、昔、霊潭に小蛇棲めり、人あ◎り小刀を抜き、其腮に微傷を負はしむるや、条ち丈余の大蛇と化して斃れ、頭上に尺余の創痕を有したりと云今ふ、富人の欲する所は、即ち小蛇を傷くることなり、されど後来、我れ家を興し、名を成さんには、其創殊に大なるものあらん。

書き下し

史上、哀事多し。されど未だ人類の母エバが、騒立つ胸、戦く指に、粗き針取りて、憂に沈める良人の摘み与ふる無花果の葉を綴るの光景の如く哀しきはあらず。神明に背く覿面の罪果は、人間に固着して離るべからず。裁縫の技の如何に精妙を極むとも、未だ羞恥を包むに足るべき蔽膝を縫ふ能はず。新井白石の年少うして苦学するや、富人某といふものあり、其志の超凡なるを見、之に孫女を妻はし、且つ給するに勤学の資を以てせんと乞ひしに、白石之を辞し、『昔、霊潭に小蛇棲めり。人あり小刀を抜き、其腮に微傷を負はしむるや、たちまち丈余の大蛇と化して斃れ、頭上に尺余の創痕を有したりと云ふ。富人の欲する所は、即ち小蛇を傷くることなり。されど後来、我れ家を興し、名を成さんには、其創ことに大なるものあらん。

現代語訳

歴史に哀しい出来事は多い。しかし人類の母エバが、騒ぐ胸と震える指で粗い針を取り、憂いに沈む夫が摘んで与えるいちじくの葉を綴る光景ほど哀しいものはありません。神に背いた罪の結果はその場で人に固着して離れません。裁縫の技術がどれほど精妙を極めても、羞恥を包むに足る前掛けを縫うことはできません。新井白石が若くして苦学していたとき、ある富豪が彼の志の並外れているのを見て、孫娘を妻に与え、さらに学資を与えようと申し出ました。白石はこれを断って言いました。昔、霊験のある淵に小さな蛇が棲んでいた。ある人が小刀を抜いてその顎にわずかな傷を負わせると、たちまち一丈余りの大蛇に化けて死に、頭に一尺余りの傷跡があったという。富豪が望むのは、まさに小蛇を傷つけることです。しかし後日、私が家を興し名を成すときには、その傷はとりわけ大きなものになるでしょう。

解説

恥の思想が二つの話で示されます。まずエバがいちじくの葉を縫う場面。どれほど技術があっても恥を包むことはできない、という一句が強烈です。そして新井白石の逸話。若い日の妥協は小蛇の小さな傷でも、大蛇になったときには一尺の傷跡になる。今の自分にとって小さな譲歩が、成長した自分にとっては消せない傷になるという見方で、次の段に結論が置かれます。
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この章句が説くこと

恥妥協白石傷将来

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