呻吟語 / 内篇・修身・邪僻を蹈めば肆志抗額
蹈邪僻,則肆志抗額略無所顧忌;由義禮,則羞頭愧面若無以自容。此愚不肖之恒態,而士君子之大恥也。
新字:蹈邪僻,則肆志抗額略無所顧忌;由義礼,則羞頭愧面若無以自容。此愚不肖之恒態,而士君子之大恥也。
書き下し
邪僻を蹈めば、則ち志を肆にし額を抗げて略ぼ顧忌する所無し。義禮に由れば、則ち頭を羞ぢ面を愧ぢて以て自ら容るる無きが若し。此れ愚不肖の恒態にして、士君子の大恥なり。
現代語訳
邪な道を踏むときは、思うままに気を張り額を上げて、ほとんど遠慮も憚りもありません。義と礼に従うときは、頭を恥じ顔を恥じて、身の置き所が無いようになります。これは愚かで劣った者の常の様子であり、士君子にとっては大きな恥です。
解説
恥じる向きが逆転している様子を描きます。悪いことをするときは堂々とし、正しいことをするときは照れて縮こまる。今でも見かける光景でしょう。呂坤はこれを愚かな者の常態だと言い、士君子の恥だとします。正しさを照れずに行えるかどうかが、ここでの分かれ目になっています。正しさを照れずに行えるかどうかが、ここでの分かれ目です。悪事に堂々とし、善事に縮こまる倒錯を突いた一段になっています。
この章句が説くこと
恥逆転義礼堂々照れ
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