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礼記 / 曲礼上

《禮》曰:「君子抱孫不抱子。」此言孫可以為王父尸,子不可以為父尸。為君尸者,大夫士見之,則下之。君知所以為尸者,則自下之,尸必式。乘必以几。 齊者不樂不弔。

新字:《礼》曰:「君子抱孫不抱子。」此言孫可以為王父尸,子不可以為父尸。為君尸者,大夫士見之,則下之。君知所以為尸者,則自下之,尸必式。乗必以几。 斉者不楽不弔。

書き下し

礼に曰く、「君子は孫を抱きて子を抱かず」と。此れ孫は以て王父の尸と為るべく、子は以て父の尸と為るべからざるを言う。君の尸為る者は、大夫・士これを見れば、則ちこれに下る。君、以て尸と為る所の者を知れば、則ち自らこれに下り、尸必ず式(しょく)す。乗るには必ず几を以てす。 斉(さい)する者は楽しまず弔わず。

現代語訳

古い礼の書に「君子は孫を抱くが子は抱かない」とある。これは、祖先の祭りでは孫が祖父の尸(かたしろ)となることができるが、子は父の尸となることができないことを言っている。君の祭りで尸となる者に大夫や士が出会ったら、車から下りて敬意を表す。君も、その者が尸となることを知っていれば、自ら車を下りて敬意を表し、尸は必ず車の横木に手をかけて身をかがめ答礼する。尸が車に乗るときは必ず几を踏み台にする。 祭りの前に斎戒している者は、音楽を楽しまず、弔問にも行かない。

解説

祭祀で祖先の霊の代わりとなる尸についての規定である。古代の祭祀では、祖先の霊が宿る者として生きた人を尸に立て、供物を受けさせた。尸には孫の世代が立つのが決まりで、それは宗廟で祖と孫が同じ列に並び、父と子は別の列に属するという昭穆(しょうぼく)の秩序に基づく。孔穎達の疏も、この句を昭穆の例を明らかにするものと説いている。「孫を抱きて子を抱かず」は、ふだんの抱き方の話ではなく、孫は祖父の尸となりうる尊い存在だからこそ抱いて慈しむのだ、という祭祀の論理から出た言葉である。尸となる者には大夫や士ばかりか君までが車を下りて敬意を示す。ふだんは身分の低い者でも、祭りの場では祖先の霊を担うからである。斎戒中の者が音楽も弔問も避けるのは、鄭玄が注するとおり、哀楽に心が乱れて祭りへの思いが散るのを防ぐためである。大切な務めの前に心を一つに保つという点は、今の仕事にも通じる。

この章句が説くこと

礼記尸祭祀斎戒曲礼

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