礼記 / 曲礼上
為人子者:居不主奧,坐不中席,行不中道,立不中門。食饗不為㮣,祭祀不為尸。聽於無聲,視於無形。不登高,不臨深。不苟訾,不苟笑。孝子不服闇,不登危;懼辱親也。父母存,不許友以死。不有私財。
新字:為人子者:居不主奥,坐不中席,行不中道,立不中門。食饗不為㮣,祭祀不為尸。聴於無声,視於無形。不登高,不臨深。不苟訾,不苟笑。孝子不服闇,不登危;懼辱親也。父母存,不許友以死。不有私財。
書き下し
人の子為る者は、居るに奥(おう)を主とせず、坐するに席に中せず、行くに道に中せず、立つに門に中せず。食饗には㮣(がい)を為さず、祭祀には尸と為らず。声無きに聴き、形無きに視る。高きに登らず、深きに臨まず。苟(いやし)くも訾(そし)らず、苟くも笑わず。孝子は闇(くら)きに服せず、危うきに登らず。親を辱めんことを懼(おそ)るればなり。父母存すれば、友に許すに死を以てせず。私財を有せず。
現代語訳
子である者は、家にいるときは奥(室の西南の隅、尊者の座)を自分の居場所とせず、坐るときは席の真ん中に坐らず、歩くときは道の真ん中を歩かず、立つときは門の真ん中に立たない。饗宴の食事では分量を自分で決めて取り仕切ることをせず、祭祀では尸の役を務めない。親の声がなくてもその意を聴き取り、親の姿がなくてもその望みを見て取る。高い所に登らず、深い淵に臨まない。むやみに人をそしらず、むやみに笑わない。孝子は暗がりで事をせず、危ない所に登らない。親の名を辱めることを恐れるからである。父母が生きているうちは、友のために命を捨てると約束しない。自分だけの財産をもたない。
解説
親が健在な子が慎むべき事柄を列挙した段である。奥・席の中央・道の中央・門の中央はいずれも尊者の占める位置であり、子がそこを避けるのは、家の中心はあくまで親にあるという秩序を身で示すためである。「声無きに聴き、形無きに視る」は、親が口に出す前にその意を察することで、孝の心遣いの細やかさを言う名句として知られる。高い所や深い淵に近づかず、暗がりで事をしないのは、身を損なえば親を悲しませ、疑わしい振る舞いをすれば親の名を汚すからである。孝経の「身体髪膚、これを父母に受く、敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」と同じ考えがここにある。友のために命を捨てる約束をせず、私財をもたないのも、自分の身と財がまだ親のものだという意識による。自分の身を大切にすること自体が、家族への責任の一部であるという見方は、今も無理なく通じる。
この章句が説くこと
礼記孝身を慎む親子曲礼
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