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礼記 / 曲礼上

道德仁義,非禮不成。教訓正俗,非禮不備。分爭辨訟,非禮不決。君臣上下,父子兄弟,非禮不定。宦學事師,非禮不親。班朝治軍,涖官行法,非禮威嚴不行。禱祠祭祀,供給鬼神;非禮不誠不莊。是以君子恭敬、撙節、退讓以明禮。鸚鵡能言,不離飛鳥;猩猩能言,不離禽獸。今人而無禮,雖能言,不亦禽獸之心乎?夫唯禽獸無禮,故父子聚麀。是故聖人作,為禮以教人;使人以有禮,知自別於禽獸。

新字:道徳仁義,非礼不成。教訓正俗,非礼不備。分争弁訟,非礼不決。君臣上下,父子兄弟,非礼不定。宦学事師,非礼不親。班朝治軍,涖官行法,非礼威厳不行。祷祠祭祀,供給鬼神;非礼不誠不荘。是以君子恭敬、撙節、退譲以明礼。鸚鵡能言,不離飛鳥;猩猩能言,不離禽獣。今人而無礼,雖能言,不亦禽獣之心乎?夫唯禽獣無礼,故父子聚麀。是故聖人作,為礼以教人;使人以有礼,知自別於禽獣。

書き下し

道徳仁義も、礼に非ざれば成らず。教訓して俗を正すも、礼に非ざれば備わらず。争いを分かち訟(うった)えを弁ずるも、礼に非ざれば決せず。君臣上下、父子兄弟も、礼に非ざれば定まらず。宦学(かんがく)して師に事(つか)うるも、礼に非ざれば親しまず。朝(ちょう)に班(つら)ね軍を治め、官に涖(のぞ)み法を行うも、礼に非ざれば威厳行われず。祷祠(とうし)祭祀して、鬼神に供給するも、礼に非ざれば誠ならず荘ならず。是(ここ)を以て君子は恭敬・撙節(そんせつ)・退譲して以て礼を明らかにす。鸚鵡(おうむ)は能く言えども、飛鳥を離れず。猩猩(しょうじょう)は能く言えども、禽獣を離れず。今、人にして礼無くんば、能く言うと雖も、亦た禽獣の心ならずや。夫れ唯だ禽獣は礼無し、故に父子麀(ゆう)を聚(とも)にす。是の故に聖人作(おこ)り、礼を為(つく)りて以て人に教え、人をして礼有るを以て、自ら禽獣に別なるを知らしむ。

現代語訳

道徳や仁義も、礼によらなければ完成しない。教え諭して風俗を正すことも、礼によらなければ行き届かない。争いを裁き訴えを判別することも、礼によらなければ決着しない。君臣・上下・父子・兄弟の間柄も、礼によらなければ定まらない。官職を学び、師に仕えて学問をするのも、礼によらなければ師弟が親しく結ばれない。朝廷で位の順に並び、軍を治め、官職について法を執行するのも、礼によらなければ威厳が行き渡らない。祈りやまつりをして鬼神(祖霊や神々)に供え物をささげるのも、礼によらなければ誠がこもらず、厳粛にならない。だから君子は、恭しく敬い、自らを抑えて節度を守り、へりくだって譲ることで礼を明らかにするのである。鸚鵡は言葉を話せるが、鳥であることに変わりはない。猩猩(人の言葉を話すと伝えられた獣)も言葉を話せるが、獣であることに変わりはない。いま人でありながら礼がなければ、言葉が話せたとしても、その心は禽獣と同じではないか。禽獣には礼がないから、父と子が同じ雌を共にするようなことが起こる。それゆえ聖人が現れて礼を作り、それによって人を教え、人が礼をもつことで、自分が禽獣とは異なる存在であることを知るようにしたのである。

解説

礼がなければ何ひとつ成り立たない、という礼の総論である。道徳・教化・裁判・人倫・師弟・朝廷と軍・祭祀と、人の営みの領域を一つずつ挙げ、そのすべてに「礼に非ざれば」を重ねていく畳みかけの文体が印象に残る。仁義のような内面の徳でさえ礼という形を得てはじめて完成するという考えは、孔子が顔淵に「己に克ちて礼に復るを仁と為す」と説いた論語の言葉とも響き合う。後半の鸚鵡と猩猩のたとえは、言葉を話せることが人を人たらしめるのではなく、礼をもつことが人と禽獣を分けるのだという主張である。この人と禽獣の区別を礼に求める発想は、荀子が人の特質を「分」と「義」に見た議論とも通じる。言葉が巧みでも、相手を敬い自分を抑える節度を欠けば人としての信頼は得られない、という読み方をすれば、この段は今の組織や家庭にもそのまま当てはまる。

この章句が説くこと

礼記礼禽獣恭敬曲礼

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