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折たく柴の記 / 『折たく柴の記』塗籠の書物を穴に埋めた夜

明けの日、藩邸に參りしに、殿屋こと〴〵くかたぶきたれば、東の馬場に、假屋うたせ給ひておはします。地なほしきりにふるひぬれば、必ず火起りぬべしとおもふに、我ぬりごめのかたぶくまではなけれど。壁の所々くづれ落ちしあまたあれば、くづれしつち、水にひたして、そのやぶれを修め塗らしむ。おもひし事のごとくに、同じき廿九日の夜に入りて火起れり。資財こと〴〵くぬりごめに納めしかとおもふに、地ふるふ事やまず。ぬりごめ倒れむ事もはかるべからず。また修め塗りし所の土、いまだ乾かず、火勢さかりにして、新舊の土の間ひらけなば、內に火の入らむ事もはかりがたく。やがてそのほとりの地に坑鑿せて、賜はりし所の書ども、また手づから抄錄せしものども。ぬりごめよりとり出して、かの坑の中にいれ。疊六七帖その上にならべ置き土厚くきりかけて、家を出づ。こゝかしこにて、火のために道を逃られて、火勢やゝ衰へし時に。その燒けすぎしあとの道を經て、家に歸りて見るに。かの書を埋みし坑に近き岸の上なる家のやけ落ちたるが、火未消えずぞありける。しきりに水をそゝぎて、火を打消して、やけたる家の柱などとりのけて見しに、其の家の落ちぬる時に、かの埋みし所の土をばうち散らして、上に重ねし疊の燒けうせ、下なる疊に火すでにつきし程に歸り來りけるなり。ぬりごめは思ひしに似ず、たふれもせず、やけもうせず。さらばはじめ坑うがち、書をさめし事は、徒に力を勞せしなりけり、といひてわらひぬ。

新字:明けの日、藩邸に参りしに、殿屋こと〴〵くかたぶきたれば、東の馬場に、仮屋うたせ給ひておはします。地なほしきりにふるひぬれば、必ず火起りぬべしとおもふに、我ぬりごめのかたぶくまではなけれど。壁の所々くづれ落ちしあまたあれば、くづれしつち、水にひたして、そのやぶれを修め塗らしむ。おもひし事のごとくに、同じき廿九日の夜に入りて火起れり。資財こと〴〵くぬりごめに納めしかとおもふに、地ふるふ事やまず。ぬりごめ倒れむ事もはかるべからず。また修め塗りし所の土、いまだ乾かず、火勢さかりにして、新旧の土の間ひらけなば、内に火の入らむ事もはかりがたく。やがてそのほとりの地に坑鑿せて、賜はりし所の書ども、また手づから抄録せしものども。ぬりごめよりとり出して、かの坑の中にいれ。畳六七帖その上にならべ置き土厚くきりかけて、家を出づ。こゝかしこにて、火のために道を逃られて、火勢やゝ衰へし時に。その焼けすぎしあとの道を経て、家に帰りて見るに。かの書を埋みし坑に近き岸の上なる家のやけ落ちたるが、火未消えずぞありける。しきりに水をそゝぎて、火を打消して、やけたる家の柱などとりのけて見しに、其の家の落ちぬる時に、かの埋みし所の土をばうち散らして、上に重ねし畳の焼けうせ、下なる畳に火すでにつきし程に帰り来りけるなり。ぬりごめは思ひしに似ず、たふれもせず、やけもうせず。さらばはじめ坑うがち、書をさめし事は、徒に力を労せしなりけり、といひてわらひぬ。

書き下し

明けの日、藩邸に參りしに、殿屋こと〴〵くかたぶきたれば、東の馬場に、假屋うたせ給ひておはします。地なほしきりにふるひぬれば、必ず火起りぬべしとおもふに、我ぬりごめのかたぶくまではなけれど。壁の所々くづれ落ちしあまたあれば、くづれしつち、水にひたして、そのやぶれを修め塗らしむ。おもひし事のごとくに、同じき廿九日の夜に入りて火起れり。資財こと〴〵くぬりごめに納めしかとおもふに、地ふるふ事やまず。ぬりごめ倒れむ事もはかるべからず。また修め塗りし所の土、いまだ乾かず、火勢さかりにして、新舊の土の間ひらけなば、內に火の入らむ事もはかりがたく。やがてそのほとりの地に坑鑿せて、賜はりし所の書ども、また手づから抄錄せしものども。ぬりごめよりとり出して、かの坑の中にいれ。疊六七帖その上にならべ置き土厚くきりかけて、家を出づ。こゝかしこにて、火のために道を逃られて、火勢やゝ衰へし時に。その燒けすぎしあとの道を經て、家に歸りて見るに。かの書を埋みし坑に近き岸の上なる家のやけ落ちたるが、火未消えずぞありける。しきりに水をそゝぎて、火を打消して、やけたる家の柱などとりのけて見しに、其の家の落ちぬる時に、かの埋みし所の土をばうち散らして、上に重ねし疊の燒けうせ、下なる疊に火すでにつきし程に歸り來りけるなり。ぬりごめは思ひしに似ず、たふれもせず、やけもうせず。さらばはじめ坑うがち、書をさめし事は、徒に力を勞せしなりけり、といひてわらひぬ。

現代語訳

明くる日、藩邸に参ったところ、殿舎がことごとく傾いていたので、東の馬場に仮屋を建てさせて、そこにいらっしゃる。地がなおしきりに震うので、必ず火が起こるだろうと思うと、私の塗籠は傾くまではいかないが、壁のところどころが崩れ落ちたものが多いので、崩れた土を水に浸して、その破れを修繕して塗らせた。思ったとおり、同じ二十九日の夜に入って火が起こった。資財をことごとく塗籠に納めたと思うが、地の震うことはやまない。塗籠が倒れることも計りがたい。また修繕して塗ったところの土は、まだ乾かず、火勢が盛んで、新旧の土の間が開けば、内に火が入ることも計りがたい。そこで、そのあたりの地に穴を掘らせて、賜った書物ども、また自分の手で抄録したものどもを、塗籠から取り出して、その穴の中に入れ、畳六、七帖をその上に並べ置き、土を厚くかけて、家を出た。あちこちで、火のために道を逃れて、火勢がやや衰えた時に、その焼け過ぎた跡の道を通って、家に帰って見ると、あの書を埋めた穴に近い岸の上の家が焼け落ちたのが、火がまだ消えずにあった。しきりに水をそそいで火を打ち消し、焼けた家の柱などを取りのけて見ると、その家が落ちた時に、あの埋めた所の土を散らして、上に重ねた畳が焼け失せ、下の畳に火がすでについたところに帰って来たのであった。塗籠は思ったのとは違い、倒れもせず、焼けもしなかった。それならば、はじめに穴を掘って書物を納めたことは、無駄な骨折りであったなあ、と言って笑った。

解説

白石は崩れた塗籠の壁を修理させ、火が迫ると、賜った書物と自分で書き抜いた書き付けを穴に埋めました。結果として塗籠は無事で、穴は無駄骨だったと笑って結びます。しかも埋めた穴の上の畳は焼けており、あと一歩で書物に火が回るところでした。備えた手間が結果として要らなかったことを、あえて笑い話として書くのが白石らしい点です。主君から賜った書物をまず守ろうとした行動に、学問と恩への思いが表れます。リスクに備えて動き、結果に一喜一憂しない落ち着きは、現代の危機管理にも学べます。
『人生の方程式』の表紙

人生を、一行の式にしてみた。

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この章句が説くこと

塗籠書物を埋める火災抄録備え無駄骨

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