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折たく柴の記 / 『折たく柴の記』堀田家で禄を辞し、致仕を願い出る

我廿三歳の夏の頃。豫州の家滅びしかば、前にしるしし事のごとく、我がつかへの塗もおのづからひらけたり。かくて筑前守紀正俊朝臣に薦めしものゝありて。廿六歳の三月に、彼の朝臣の許に出で仕ふ。一年を隔て、我廿八歳の秋、筑州の事おはしまして、其の嫡男下總守正仲朝臣、彼のあとを繼がれしかど、不幸のことのみ打つゞきて、後には家人等を扶助すべきことも意のまゝならず。皆々其の祿米を減ぜられしほどに、祿を辭し去るものどもすくなからず。我はじめ出で仕へしより此のかた、彼の父子にしられし身にもあらねども、凡そ主となり、從者となれるものゝ、かゝる時に至りて、はなれ去るべき事にあらずとおもひしかば、わづかに妻拏の饑をまぬかるゝのみにて、心にもあらぬつかへにしたがひゐたりけれど、いとま多かる身なりしかば、この時にこそ經史の類をも涉獵せし事はありつれ。貧は士の常などいふ事あれば、私の事においては、いかにも堪へ忍びしかど、つかへにしたがふ身には、そのほどにつけて、なすべき事ども多ければ、つひには財盡き、力窮まりて三十五歳といひし春に至りて、ありし事共書きあらはして、身のいとまを給はるべき由を申し聞え、したしかりしものどもには、かねてよりかく思ひたちし事を語りたりけるに、祿米あれば、饑ゑて死するまでの事はあらず。かくまで財力つきはてし人の、祿をも辭して去らむには、一日の饑をすくふべきたすけもあらじ。我が身こそかくまでおもひたち給ひたれば、いかにもおはすべきこととなれ。わかき妻、をさなき子どもの事をば、いかにし給ふべきなど、いふ事共ありしかど、頼みし人の不幸の事共おはしまさずば、我今までかくてはをるべからず。此の年頃堪へがたき事をも堪へ、忍びがたき事をも忍びしは、主となしまゐらせ從者となりし所を思ひしがゆゑなり。けふ祿辭し去りて、あすは妻拏等皆々はなれちりなむをもて、我がこゝろざしのほどは見ゆべき事ぞかし。天もしものしり給ふ事あらむには、それまでの事もあらじものをといひけり。總州もいかに思ひ給ひしにかあらむ。のたまひ出す旨もなく、春すぎ夏たけてのたまふ事どもありて、たゞいかにもして、我が家をさらむ事、思ひとゞまるべしとありしに、(此の使は太田垣といひし家の老たり)されど、また申す旨ありし程に、

新字:我廿三歳の夏の頃。予州の家滅びしかば、前にしるしし事のごとく、我がつかへの塗もおのづからひらけたり。かくて筑前守紀正俊朝臣に薦めしものゝありて。廿六歳の三月に、彼の朝臣の許に出で仕ふ。一年を隔て、我廿八歳の秋、筑州の事おはしまして、其の嫡男下総守正仲朝臣、彼のあとを継がれしかど、不幸のことのみ打つゞきて、後には家人等を扶助すべきことも意のまゝならず。皆々其の禄米を減ぜられしほどに、禄を辞し去るものどもすくなからず。我はじめ出で仕へしより此のかた、彼の父子にしられし身にもあらねども、凡そ主となり、従者となれるものゝ、かゝる時に至りて、はなれ去るべき事にあらずとおもひしかば、わづかに妻拏の饑をまぬかるゝのみにて、心にもあらぬつかへにしたがひゐたりけれど、いとま多かる身なりしかば、この時にこそ経史の類をも渉猟せし事はありつれ。貧は士の常などいふ事あれば、私の事においては、いかにも堪へ忍びしかど、つかへにしたがふ身には、そのほどにつけて、なすべき事ども多ければ、つひには財尽き、力窮まりて三十五歳といひし春に至りて、ありし事共書きあらはして、身のいとまを給はるべき由を申し聞え、したしかりしものどもには、かねてよりかく思ひたちし事を語りたりけるに、禄米あれば、饑ゑて死するまでの事はあらず。かくまで財力つきはてし人の、禄をも辞して去らむには、一日の饑をすくふべきたすけもあらじ。我が身こそかくまでおもひたち給ひたれば、いかにもおはすべきこととなれ。わかき妻、をさなき子どもの事をば、いかにし給ふべきなど、いふ事共ありしかど、頼みし人の不幸の事共おはしまさずば、我今までかくてはをるべからず。此の年頃堪へがたき事をも堪へ、忍びがたき事をも忍びしは、主となしまゐらせ従者となりし所を思ひしがゆゑなり。けふ禄辞し去りて、あすは妻拏等皆々はなれちりなむをもて、我がこゝろざしのほどは見ゆべき事ぞかし。天もしものしり給ふ事あらむには、それまでの事もあらじものをといひけり。総州もいかに思ひ給ひしにかあらむ。のたまひ出す旨もなく、春すぎ夏たけてのたまふ事どもありて、たゞいかにもして、我が家をさらむ事、思ひとゞまるべしとありしに、(此の使は太田垣といひし家の老たり)されど、また申す旨ありし程に、

書き下し

我廿三歳の夏の頃。豫州の家滅びしかば、前にしるしし事のごとく、我がつかへの塗もおのづからひらけたり。かくて筑前守紀正俊朝臣に薦めしものゝありて。廿六歳の三月に、彼の朝臣の許に出で仕ふ。一年を隔て、我廿八歳の秋、筑州の事おはしまして、其の嫡男下總守正仲朝臣、彼のあとを繼がれしかど、不幸のことのみ打つゞきて、後には家人等を扶助すべきことも意のまゝならず。皆々其の祿米を減ぜられしほどに、祿を辭し去るものどもすくなからず。我はじめ出で仕へしより此のかた、彼の父子にしられし身にもあらねども、凡そ主となり、從者となれるものゝ、かゝる時に至りて、はなれ去るべき事にあらずとおもひしかば、わづかに妻拏の饑をまぬかるゝのみにて、心にもあらぬつかへにしたがひゐたりけれど、いとま多かる身なりしかば、この時にこそ經史の類をも涉獵せし事はありつれ。貧は士の常などいふ事あれば、私の事においては、いかにも堪へ忍びしかど、つかへにしたがふ身には、そのほどにつけて、なすべき事ども多ければ、つひには財盡き、力窮まりて三十五歳といひし春に至りて、ありし事共書きあらはして、身のいとまを給はるべき由を申し聞え、したしかりしものどもには、かねてよりかく思ひたちし事を語りたりけるに、祿米あれば、饑ゑて死するまでの事はあらず。かくまで財力つきはてし人の、祿をも辭して去らむには、一日の饑をすくふべきたすけもあらじ。我が身こそかくまでおもひたち給ひたれば、いかにもおはすべきこととなれ。わかき妻、をさなき子どもの事をば、いかにし給ふべきなど、いふ事共ありしかど、頼みし人の不幸の事共おはしまさずば、我今までかくてはをるべからず。此の年頃堪へがたき事をも堪へ、忍びがたき事をも忍びしは、主となしまゐらせ從者となりし所を思ひしがゆゑなり。けふ祿辭し去りて、あすは妻拏等皆々はなれちりなむをもて、我がこゝろざしのほどは見ゆべき事ぞかし。天もしものしり給ふ事あらむには、それまでの事もあらじものをといひけり。總州もいかに思ひ給ひしにかあらむ。のたまひ出す旨もなく、春すぎ夏たけてのたまふ事どもありて、たゞいかにもして、我が家をさらむ事、思ひとゞまるべしとありしに、(此の使は太田垣といひし家の老たり)されど、また申す旨ありし程に、

現代語訳

私が二十三歳の夏のころ、豫州の家が滅びたので、前に記したとおり、私の仕官の道は自然に開けた。そうして筑前守紀正俊朝臣に推薦してくれる人があって、二十六歳の三月に、その朝臣のもとに出仕した。一年を隔て、私が二十八歳の秋に、筑州(正俊)の身の上にご不幸があって、その嫡男の下総守正仲朝臣が跡を継がれたが、不幸なことばかり打ち続いて、後には家臣たちを扶助することも思うに任せなくなった。皆その禄米を減らされたので、禄を辞して去る者も少なくなかった。私は初めて出仕して以来、この父子に目をかけられた身でもないけれども、およそ主となり従者となった者が、このような時に至って離れ去るべきではないと思ったので、わずかに妻子の飢えをまぬがれるばかりで、心にもない勤めに従っていたが、暇の多い身であったから、この時こそと、経書や史書の類を広く読んだこともあった。貧しいのは武士の常などと言うので、私事においては、何とか堪え忍んだけれども、勤めに従う身には、その身分に応じてなすべきことが多いので、ついには財が尽き、力が窮まって、三十五歳という春に至って、これまでの事情を書き記して、お暇をいただきたい旨を申し上げ、親しくしていた人たちには、かねてからこう思い立っていたことを語ったところ、「禄米があれば、飢えて死ぬまでのことはない。ここまで財力が尽き果てた人が、禄を辞して去ったところで、一日の飢えを救う助けもあるまい。あなたがここまで思い立たれたのだから、どうなるのもやむを得ないが、若い妻、幼い子どものことは、どうなさるおつもりか」などという者もあったが、「頼みとした人にご不幸のことがなければ、私は今までこうしてはいなかっただろう。この年頃、堪えがたいことをも堪え、忍びがたいことをも忍んだのは、主となし申し従者となった間柄を思ったからである。今日禄を辞して去り、明日は妻子らが皆離れ散るであろうことで、私の志のほどは見えるはずだ。天がもしご存じであるならば、そこまでのことにはならないだろうに」と言った。総州(正仲)もどのようにお思いになったのか、おっしゃり出す趣もなく、春が過ぎ夏がたけてからおっしゃることがあって、ただどうにかして私が家を去ることを思いとどまってほしいということであったが、(この使いは太田垣といった家の老であった。)しかし、こちらからもまた申し上げる旨があったので、

解説

堀田家は、主君の相次ぐ不幸で家臣の禄が減らされ、去る者が続いた家でした。白石は、主従という関係はこういう時にこそ離れるべきではないと考え、貧しさに耐えて残り、暇な時間には経書や史書を読みました。その上で、財も力も尽き、三十五歳の春に致仕を願い出ます。去る時にも、周囲の反対に対して志を貫くと答えています。組織が傾いた時の身の処し方が、ここに具体的に記されています。耐えて支えた期間があるからこそ、辞めるという決断にも筋が通ります。去るにしても残るにしても、理由を自分の言葉で語れるかが問われています。
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人生を、一行の式にしてみた。

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この章句が説くこと

堀田家主従貧禄を辞す経史志

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