折たく柴の記 / 『折たく柴の記』医者と富商の婿入りの誘いを断る
其の後又ある人の、我がためり謀りて、今の世に醫をもて業とする人を見るに、多くは方書だに讀得ぬ輩なり。そこの才學をもて、すこしく心を用ひたらむには、それらの庸醫と比すべき事にもあらず。此の事當時の賤しき業にもあらず。あはれ此の業をもて、父をもやしなひまゐらすべき謀こそあらまほしけれ、といふあり。古こそあれ。後の世の人は、醫をもて仁術ともいひしかば、志を得ざらむ人の、此の事に隱れむもまたあしからじ。されど、我が才もとより疎なれば、其の業また精しからじ。人をあやまる所あらむには、其の術の仁なることを得べからず。此の事我がよくせむ所にあらず。古の人はひとりのつみあらざるをも殺す事をなさずとこそ承はれと答へぬ。かゝりしほどに、又當時天下に雙なしなどいふ富商の子の、學ぶ友となりぬる事出で來しに、その子のいひしは、我が父たるものゝ見まゐらせて、必ず天下の大儒ともなり給ふべき御事なり。我が亡兄のむすめの候ふなるにあはせまゐらせ。黄金三千兩にもとめ得し宅地をもて學問の料となして、ものまなび給ふやうにと、某が心のやうに申せとこそ侍れといふ。我此の事をきゝて、御こゝろざしの程わするべからず。我むかしある人の申しし事を聞きしに、夏のころ靈山とかにあそびしものどもの中、池に足ひたし居けるに、小しきなる蛇の來りて其の足の大指を舐るあるが、忽に去りては、また忽に來りて舐る、かくするがうちに、其の蛇やう〳〵に大きくなりしにや、後には其の大指を呑むばかりになりしかば、腰よりさすがを取出して、刄のかたを上になして大指の上にあてゝまつ、また來りて大指を呑まむとする所を、あげさまにさしきりたれば、うしろさまに飛び去るほどに、家にかけ入りて障子をさす。ともなひしものども、なに事にかといふ程こそあれ、石はしり木たふれて、地ふるふ事半時ばかりすぎてのちに、障子をほそめにあけて見けるに、一丈餘の大蛇の、唇の上より頭のかたまで一尺餘きられたるがたふれ死したりといふ事あり。その事のありやなしやは、いまだ知らねど、今のたまふことに似たる所に侍るなり。初其の蛇の小しきなりし程は、わづかにさすがをもてさしきりし所なるが、すでに大きくなりしに至りては一尺餘りの疵とは成りしなり。我今身貧しく窮まりたれば、人知れるものにもあらず。此の身のまゝにて、そこの亡兄のあとを承け繼ぎなむには、その疵なほ小しきなるべし、もしのたまふ所のごとく、世にしらるべきほどの儒生ともなりなむには、その疵は殊に大にこそなりぬべけれ三千兩の黄金をすてゝ、大疵あらむ儒生と成し立てられむ事は、謀を得給ひたりともいふべからず。たとひさしきる所の小しきなりとも、我もまた疵被ぶらむ事をねがはず。我かくこそ申したれと答へといひたり。後に聞けば、然るべき儒生の。その娘にはあひぐせしなり。(その富家は河村といひし。その孫女の夫は黒川とかいひて、其の父祖共に儒に名ありし人なり)此の事をも父にておはせし人に語り申しければ、めづらしからぬ事なれど、よき喩にもありつるかなと、わらひ給ひたりき。
新字:其の後又ある人の、我がためり謀りて、今の世に医をもて業とする人を見るに、多くは方書だに読得ぬ輩なり。そこの才学をもて、すこしく心を用ひたらむには、それらの庸医と比すべき事にもあらず。此の事当時の賤しき業にもあらず。あはれ此の業をもて、父をもやしなひまゐらすべき謀こそあらまほしけれ、といふあり。古こそあれ。後の世の人は、医をもて仁術ともいひしかば、志を得ざらむ人の、此の事に隠れむもまたあしからじ。されど、我が才もとより疎なれば、其の業また精しからじ。人をあやまる所あらむには、其の術の仁なることを得べからず。此の事我がよくせむ所にあらず。古の人はひとりのつみあらざるをも殺す事をなさずとこそ承はれと答へぬ。かゝりしほどに、又当時天下に双なしなどいふ富商の子の、学ぶ友となりぬる事出で来しに、その子のいひしは、我が父たるものゝ見まゐらせて、必ず天下の大儒ともなり給ふべき御事なり。我が亡兄のむすめの候ふなるにあはせまゐらせ。黄金三千両にもとめ得し宅地をもて学問の料となして、ものまなび給ふやうにと、某が心のやうに申せとこそ侍れといふ。我此の事をきゝて、御こゝろざしの程わするべからず。我むかしある人の申しし事を聞きしに、夏のころ霊山とかにあそびしものどもの中、池に足ひたし居けるに、小しきなる蛇の来りて其の足の大指を舐るあるが、忽に去りては、また忽に来りて舐る、かくするがうちに、其の蛇やう〳〵に大きくなりしにや、後には其の大指を呑むばかりになりしかば、腰よりさすがを取出して、刄のかたを上になして大指の上にあてゝまつ、また来りて大指を呑まむとする所を、あげさまにさしきりたれば、うしろさまに飛び去るほどに、家にかけ入りて障子をさす。ともなひしものども、なに事にかといふ程こそあれ、石はしり木たふれて、地ふるふ事半時ばかりすぎてのちに、障子をほそめにあけて見けるに、一丈余の大蛇の、唇の上より頭のかたまで一尺余きられたるがたふれ死したりといふ事あり。その事のありやなしやは、いまだ知らねど、今のたまふことに似たる所に侍るなり。初其の蛇の小しきなりし程は、わづかにさすがをもてさしきりし所なるが、すでに大きくなりしに至りては一尺余りの疵とは成りしなり。我今身貧しく窮まりたれば、人知れるものにもあらず。此の身のまゝにて、そこの亡兄のあとを承け継ぎなむには、その疵なほ小しきなるべし、もしのたまふ所のごとく、世にしらるべきほどの儒生ともなりなむには、その疵は殊に大にこそなりぬべけれ三千両の黄金をすてゝ、大疵あらむ儒生と成し立てられむ事は、謀を得給ひたりともいふべからず。たとひさしきる所の小しきなりとも、我もまた疵被ぶらむ事をねがはず。我かくこそ申したれと答へといひたり。後に聞けば、然るべき儒生の。その娘にはあひぐせしなり。(その富家は河村といひし。その孫女の夫は黒川とかいひて、其の父祖共に儒に名ありし人なり)此の事をも父にておはせし人に語り申しければ、めづらしからぬ事なれど、よき喩にもありつるかなと、わらひ給ひたりき。
書き下し
其の後又ある人の、我がためり謀りて、今の世に醫をもて業とする人を見るに、多くは方書だに讀得ぬ輩なり。そこの才學をもて、すこしく心を用ひたらむには、それらの庸醫と比すべき事にもあらず。此の事當時の賤しき業にもあらず。あはれ此の業をもて、父をもやしなひまゐらすべき謀こそあらまほしけれ、といふあり。古こそあれ。後の世の人は、醫をもて仁術ともいひしかば、志を得ざらむ人の、此の事に隱れむもまたあしからじ。されど、我が才もとより疎なれば、其の業また精しからじ。人をあやまる所あらむには、其の術の仁なることを得べからず。此の事我がよくせむ所にあらず。古の人はひとりのつみあらざるをも殺す事をなさずとこそ承はれと答へぬ。かゝりしほどに、又當時天下に雙なしなどいふ富商の子の、學ぶ友となりぬる事出で來しに、その子のいひしは、我が父たるものゝ見まゐらせて、必ず天下の大儒ともなり給ふべき御事なり。我が亡兄のむすめの候ふなるにあはせまゐらせ。黄金三千兩にもとめ得し宅地をもて學問の料となして、ものまなび給ふやうにと、某が心のやうに申せとこそ侍れといふ。我此の事をきゝて、御こゝろざしの程わするべからず。我むかしある人の申しし事を聞きしに、夏のころ靈山とかにあそびしものどもの中、池に足ひたし居けるに、小しきなる蛇の來りて其の足の大指を舐るあるが、忽に去りては、また忽に來りて舐る、かくするがうちに、其の蛇やう〳〵に大きくなりしにや、後には其の大指を呑むばかりになりしかば、腰よりさすがを取出して、刄のかたを上になして大指の上にあてゝまつ、また來りて大指を呑まむとする所を、あげさまにさしきりたれば、うしろさまに飛び去るほどに、家にかけ入りて障子をさす。ともなひしものども、なに事にかといふ程こそあれ、石はしり木たふれて、地ふるふ事半時ばかりすぎてのちに、障子をほそめにあけて見けるに、一丈餘の大蛇の、唇の上より頭のかたまで一尺餘きられたるがたふれ死したりといふ事あり。その事のありやなしやは、いまだ知らねど、今のたまふことに似たる所に侍るなり。初其の蛇の小しきなりし程は、わづかにさすがをもてさしきりし所なるが、すでに大きくなりしに至りては一尺餘りの疵とは成りしなり。我今身貧しく窮まりたれば、人知れるものにもあらず。此の身のまゝにて、そこの亡兄のあとを承け繼ぎなむには、その疵なほ小しきなるべし、もしのたまふ所のごとく、世にしらるべきほどの儒生ともなりなむには、その疵は殊に大にこそなりぬべけれ三千兩の黄金をすてゝ、大疵あらむ儒生と成し立てられむ事は、謀を得給ひたりともいふべからず。たとひさしきる所の小しきなりとも、我もまた疵被ぶらむ事をねがはず。我かくこそ申したれと答へといひたり。後に聞けば、然るべき儒生の。その娘にはあひぐせしなり。(その富家は河村といひし。その孫女の夫は黒川とかいひて、其の父祖共に儒に名ありし人なり)此の事をも父にておはせし人に語り申しければ、めづらしからぬ事なれど、よき喩にもありつるかなと、わらひ給ひたりき。
現代語訳
その後、またある人が、私のために考えをめぐらせて言った。「今の世で医を業としている人を見ると、多くは医書さえ読みこなせない連中である。あなたの才学で少し心を用いれば、それらの凡庸な医者とは比べものにならない。これは今の世、卑しい仕事でもない。ぜひこの業で父上をお養いする計画を立てたいものだ」という者がいた。「昔のことは別として、後の世の人は、医を仁術とも言ったので、志を遂げられない人が、この道に隠れるのもまた悪くはないだろう。しかし、私の才はもともと粗いので、その業もまた精しくならないだろう。人を誤る所があっては、その術が仁であるとは言えない。このことは私のよくするところではない。古の人は、罪のない人一人をも殺さないとこそ承っております」と答えた。そうこうするうちに、また当時、天下に並ぶ者なしと言われる富商の子が、共に学ぶ友となるということが起こったが、その子が言うには、「私の父が、あなたを見申して、必ず天下の大儒にもなられるお方であると申しております。亡き兄の娘がおりますので、お娶せ申し上げ、黄金三千両で手に入れた宅地を学問の費用として、学問をなさるようにと、私の心づもりのように申せと言いつかりました」という。私はこのことを聞いて、「お志のほどは忘れません。私はむかし、ある人が申したことを聞いたのですが、夏のころ、霊山とかに遊んだ者たちの中に、池に足を浸していた者がいて、小さな蛇が来てその足の親指を舐めるのですが、たちまち去ってはまた来て舐める。こうするうちに、その蛇が次第に大きくなったのか、後にはその親指を呑むほどになったので、腰から小刀を取り出して、刃のほうを上にして親指の上に当てて待ち、また来て親指を呑もうとするところを、すくい上げるように突き切ったところ、蛇は後ろざまに飛び去ったので、家に駆け込んで障子を閉めた。共に来た者たちが、何事かと言ううちに、石は走り木は倒れ、地が震えることが半時ほど続いて、そののち障子を細めに開けて見たところ、一丈余りの大蛇が、唇の上から頭のほうまで一尺余り切られて、倒れ死んでいたという話があります。その事があったかなかったかは、まだ知りませんが、今おっしゃることに似たところがございます。初めその蛇が小さかったころは、わずかに小刀で突き切った程度の所だったのが、すでに大きくなってからは、一尺余りの傷となったのです。私は今、身が貧しく窮まっていて、人に知られた者でもありません。この身のまま、あなたの亡き兄上の跡を継ぐならば、その傷はなお小さいでしょう。もしおっしゃるとおり、世に知られるほどの儒者となった場合には、その傷はとりわけ大きくなるでしょう。三千両の黄金を捨てて、大きな傷を負うような儒者に仕立てられるのは、うまい計らいを得られたとは言えません。たとえ切る所が小さくても、私もまた傷を負うことを願いません。私はこう申します」と答えた、と言った。後に聞けば、しかるべき儒者が、その娘と連れ添ったということである。(その富家は河村といった。その孫娘の夫は黒川とかいって、その父祖ともに儒者として名のあった人である。)このことを父であった人に語り申したところ、「珍しくもない話ではあるが、よい喩えではあったな」と、お笑いになった。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
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