折たく柴の記 / 『折たく柴の記』剣の稽古と翁問答との出会い
又十一歳の時に、我が父の友に關といひし人の子どもは、太刀打のわざにすぐれて、人にをしふる事ありしを、我にも此のわざをしへられむ事を望みしに、わぬしいまだいとけなし。これらのわざ學ばむ事遲からずといふ。さてそ侍るべけれど、太刀つかふ事すこしも心得ざらむには、刀脇ざし腰にせむ事、誠に不用の事にやといひしかば、のたまふ所誠に然なりとて、一つのわざを傳へて習はしめたり。かゝりしほどに、其の年十六になりし者の(神戸といひしものゝ二男なり)我と藝を試みむといひしかば、木刀をとりて、三たびあひて、三たびまで勝つ事を得たりしにぞ、人々もまた興に入りてわらひたりける。その後は、つねにかゝる武藝の事どもを好みて、手習ふことなど、心にも染まずありしかど、物よむ事をも好みければ、つねに我が國の物がたり草紙等の類をば見ずといふものなかりき。十七歳の時に至りて、おなじやうにめしつかはれしわか侍のもとにゆきしに、(長谷川といふものなり)案の上に書あるを見れば、翁問答と題せしものなり。いかなる事をかしるしぬらむと思ひて、借ることを得て、家に携へ歸りて見けるにこそ、初めて聖人の道といふものある事をばしりけれ。是より道にこころざし切なりけれど、師とすべき人もあらず。
新字:又十一歳の時に、我が父の友に関といひし人の子どもは、太刀打のわざにすぐれて、人にをしふる事ありしを、我にも此のわざをしへられむ事を望みしに、わぬしいまだいとけなし。これらのわざ学ばむ事遅からずといふ。さてそ侍るべけれど、太刀つかふ事すこしも心得ざらむには、刀脇ざし腰にせむ事、誠に不用の事にやといひしかば、のたまふ所誠に然なりとて、一つのわざを伝へて習はしめたり。かゝりしほどに、其の年十六になりし者の(神戸といひしものゝ二男なり)我と芸を試みむといひしかば、木刀をとりて、三たびあひて、三たびまで勝つ事を得たりしにぞ、人々もまた興に入りてわらひたりける。その後は、つねにかゝる武芸の事どもを好みて、手習ふことなど、心にも染まずありしかど、物よむ事をも好みければ、つねに我が国の物がたり草紙等の類をば見ずといふものなかりき。十七歳の時に至りて、おなじやうにめしつかはれしわか侍のもとにゆきしに、(長谷川といふものなり)案の上に書あるを見れば、翁問答と題せしものなり。いかなる事をかしるしぬらむと思ひて、借ることを得て、家に携へ帰りて見けるにこそ、初めて聖人の道といふものある事をばしりけれ。是より道にこころざし切なりけれど、師とすべき人もあらず。
書き下し
又十一歳の時に、我が父の友に關といひし人の子どもは、太刀打のわざにすぐれて、人にをしふる事ありしを、我にも此のわざをしへられむ事を望みしに、わぬしいまだいとけなし。これらのわざ學ばむ事遲からずといふ。さてそ侍るべけれど、太刀つかふ事すこしも心得ざらむには、刀脇ざし腰にせむ事、誠に不用の事にやといひしかば、のたまふ所誠に然なりとて、一つのわざを傳へて習はしめたり。かゝりしほどに、其の年十六になりし者の(神戸といひしものゝ二男なり)我と藝を試みむといひしかば、木刀をとりて、三たびあひて、三たびまで勝つ事を得たりしにぞ、人々もまた興に入りてわらひたりける。その後は、つねにかゝる武藝の事どもを好みて、手習ふことなど、心にも染まずありしかど、物よむ事をも好みければ、つねに我が國の物がたり草紙等の類をば見ずといふものなかりき。十七歳の時に至りて、おなじやうにめしつかはれしわか侍のもとにゆきしに、(長谷川といふものなり)案の上に書あるを見れば、翁問答と題せしものなり。いかなる事をかしるしぬらむと思ひて、借ることを得て、家に携へ歸りて見けるにこそ、初めて聖人の道といふものある事をばしりけれ。是より道にこころざし切なりけれど、師とすべき人もあらず。
現代語訳
また十一歳のとき、父の友人に関という人の子どもで、太刀打ちの技にすぐれ、人に教えることもある者がいたので、私にもこの技を教えてもらうことを望んだところ、「そなたはまだ幼い。このような技を学ぶのは遅くない」と言う。「それはそうでございましょうが、太刀を使うことを少しも心得ないのに、刀や脇差を腰に差すのは、まことに役に立たないことではないでしょうか」と言うと、「おっしゃるところはまことにそのとおりだ」と言って、一つの技を伝えて習わせてくれた。こうしているうちに、その年十六になった者(神戸という者の次男である)が、私と技を試してみようと言ったので、木刀をとって三度立ち合い、三度とも勝つことができたので、人々もまた面白がって笑った。その後は、いつもこのような武芸のことを好んで、手習いなどは心にも染まなかったが、物を読むことも好んだので、わが国の物語や草紙などの類は、見ないものがなかった。十七歳のときになって、同じように召し使われていた若侍のもとに行ったところ(長谷川という者である)、机の上に書物があるのを見ると、「翁問答」と題したものであった。どのようなことを記したのだろうと思って、借りることができ、家に携え帰って見たところ、初めて聖人の道というものがあることを知った。これより道に志すことは切実であったが、師とすべき人もなかった。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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啓発録・跋嗚呼如何せん、吾身刀圭の家に生れ、賤技に局々として、吾初年の志を遂る事を不得を。然れども所業は此に在りても、所志は彼に在り候へは、後世吾心を知り吾志を憐み吾道を信ずる者あらん歟。嘉永戊申季夏橋本左内誌。
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