折たく柴の記 / 『折たく柴の記』高瀧吉兵衛が宍粟で斬った三人
父の仰せられしは、我がわかかりし頃、播磨國宍粟をしれる人の家に仕へし人に、高瀧の何某といふがありき。(吉兵衛といふ。名はしらず)此の者忽に見えずなりたり。日を經し後に聞えしは、此のもの漁することをこのみしが、唐網といふものをもたせ出でて河のほとりにて、著たる物どもぬぎ、刀脇ざしをば、召し供せしものに、よく守れよといひて、我ひとりかの網をうちて、水に入りて鮎をとりつゝゆくほどに、林田領の境に入りぬ。此の所はそこの領主よりして、漁する事を禁ぜられければ、守りのもの二人がために捕へられて、繩をもて縛しなむとするを、血の涙を流してわびごとしければ、からうじてゆるされて歸りしかど、其の事つひには、あらはれぬべしとおもひしがゆゑにや、よしなき事いたくこのみぬれば、かゝる禍にはかゝれるなどいひしほどに、其の年も暮れて、明けの年の正月元日に、林田の屋形の大門前にて、多かる出仕のものどもの中にて、宗徒のもの一人をうちきりて、ありし事のよしをつまびらかにしるして、其の恥をすゝがむためなりといふ事をかきたる札をたてゝうせぬ。遠くはのがれじとて、ここかしこに人をわかちてあなぐりもとむれど、もとめ得ず。その明けの日、又一人をうちきりて札をたつる事きのふの事のごとし。是をあなぐりもとむる事甚急なれども求め得ず。同じき月の七日に、また一人をうちきりて、札をたつる事前のごとくにしてうせぬ。いかにもとむれどもつひにゆきがたをしらず。初一度こそあらめ、二度三度に及びし事ども、不敵なるものなりけりと當時の人はいひけり。」
新字:父の仰せられしは、我がわかかりし頃、播磨国宍粟をしれる人の家に仕へし人に、高滝の何某といふがありき。(吉兵衛といふ。名はしらず)此の者忽に見えずなりたり。日を経し後に聞えしは、此のもの漁することをこのみしが、唐網といふものをもたせ出でて河のほとりにて、著たる物どもぬぎ、刀脇ざしをば、召し供せしものに、よく守れよといひて、我ひとりかの網をうちて、水に入りて鮎をとりつゝゆくほどに、林田領の境に入りぬ。此の所はそこの領主よりして、漁する事を禁ぜられければ、守りのもの二人がために捕へられて、縄をもて縛しなむとするを、血の涙を流してわびごとしければ、からうじてゆるされて帰りしかど、其の事つひには、あらはれぬべしとおもひしがゆゑにや、よしなき事いたくこのみぬれば、かゝる禍にはかゝれるなどいひしほどに、其の年も暮れて、明けの年の正月元日に、林田の屋形の大門前にて、多かる出仕のものどもの中にて、宗徒のもの一人をうちきりて、ありし事のよしをつまびらかにしるして、其の恥をすゝがむためなりといふ事をかきたる札をたてゝうせぬ。遠くはのがれじとて、ここかしこに人をわかちてあなぐりもとむれど、もとめ得ず。その明けの日、又一人をうちきりて札をたつる事きのふの事のごとし。是をあなぐりもとむる事甚急なれども求め得ず。同じき月の七日に、また一人をうちきりて、札をたつる事前のごとくにしてうせぬ。いかにもとむれどもつひにゆきがたをしらず。初一度こそあらめ、二度三度に及びし事ども、不敵なるものなりけりと当時の人はいひけり。」
書き下し
父の仰せられしは、我がわかかりし頃、播磨國宍粟をしれる人の家に仕へし人に、高瀧の何某といふがありき。(吉兵衛といふ。名はしらず)此の者忽に見えずなりたり。日を經し後に聞えしは、此のもの漁することをこのみしが、唐網といふものをもたせ出でて河のほとりにて、著たる物どもぬぎ、刀脇ざしをば、召し供せしものに、よく守れよといひて、我ひとりかの網をうちて、水に入りて鮎をとりつゝゆくほどに、林田領の境に入りぬ。此の所はそこの領主よりして、漁する事を禁ぜられければ、守りのもの二人がために捕へられて、繩をもて縛しなむとするを、血の涙を流してわびごとしければ、からうじてゆるされて歸りしかど、其の事つひには、あらはれぬべしとおもひしがゆゑにや、よしなき事いたくこのみぬれば、かゝる禍にはかゝれるなどいひしほどに、其の年も暮れて、明けの年の正月元日に、林田の屋形の大門前にて、多かる出仕のものどもの中にて、宗徒のもの一人をうちきりて、ありし事のよしをつまびらかにしるして、其の恥をすゝがむためなりといふ事をかきたる札をたてゝうせぬ。遠くはのがれじとて、ここかしこに人をわかちてあなぐりもとむれど、もとめ得ず。その明けの日、又一人をうちきりて札をたつる事きのふの事のごとし。是をあなぐりもとむる事甚急なれども求め得ず。同じき月の七日に、また一人をうちきりて、札をたつる事前のごとくにしてうせぬ。いかにもとむれどもつひにゆきがたをしらず。初一度こそあらめ、二度三度に及びし事ども、不敵なるものなりけりと當時の人はいひけり。」
現代語訳
父が仰せになったのは、私が若かったころ、播磨国宍粟を治めていた人の家に仕えていた人に、高瀧の何某という者がいた。(吉兵衛といった。名は知らない)この者がたちまち姿が見えなくなった。日が経った後に聞こえてきたのは、この者は漁をすることを好んでいたが、唐網というものを持ち出して河のほとりで、着ている物どもを脱ぎ、刀と脇差を、召し連れた者に、よく守れと言って、自分一人でその網を打ち、水に入って鮎を捕りながら進むうちに、林田領の境に入ってしまった。この所は、そこの領主から漁をすることが禁じられていたので、守りの者二人に捕らえられ、縄で縛られようとしたのを、血の涙を流して詫びを言ったところ、ようやく許されて帰ったが、そのことが結局は露見するに違いないと思ったためか、「つまらないことをひどく好めば、このような災いにかかる」などと言っていたうちに、その年も暮れて、明けた年の正月元日に、林田の屋形の大門前で、大勢の出仕の者たちの中で、主だった者一人を斬って、あったことの次第を詳しく記して、その恥をすすぐためであるということを書いた札を立てて姿を消した。遠くは逃れまいと、あちらこちらに人を分けて探し求めたが、見つからない。その翌日、また一人を斬って札を立てることは昨日のとおりであった。これを探し求めることは非常に急であったが、見つからなかった。同じ月の七日に、また一人を斬って、札を立てることは前のようにして姿を消した。どう探しても、ついに行方が分からなかった。最初の一度ならまだしも、二度三度に及んだことどもは、不敵な者であったと、当時の人は言ったという。
解説

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論語・憲問篇憲、恥を問う。子曰わく、邦に道あれば穀し、邦に道無くして穀するは、恥なり。
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『驢鞍橋』卷中又此の恥は、浮世の人知らされば、苦しからずとは云はんや。夢幻なる人間の中の恥をだに愚に思ふは更になし。況や未来永劫の恥に於てをや。此の理をしらさるを、理を知る人と云はんや、義ある人となさんや。さりとては兼て思ひ知り給ふへし。理ある人間ならは、是れを恐るへし。義ある人ならは、勇猛堅固の心釼を以て、生死の敵を截断して、大平に住すへしと云ふはさまざまの異生となり、悪道に輪廻し、世々生々耻を曝さん事、口惜き事に非すや。是れを永劫の苦みと云ふ也。是れをかへりみすと云ふこと有らんや。なに人の知るぞ知らぬぞと云ふ間ならんや。さりとては兼てよふ思ひ知り、勇猛心を以て生死を修し離れて、大安楽に住せよと云ふ事也。是れまてはいさめの分式也。末はおつとつて心の用ゐ様也。
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『講孟余話』離婁上 第七章此の章、公孫丑上篇第七章と同一の手段、同一の議論にして、均しく恥の一字を以て人を激励す。恥の一字は孟子喫緊の語なり。故に云ふ「人は以て恥無かるべからず」、又云ふ「恥の人に於ける大なり」(並びに盡心上篇に見ゆ)。然れども恥を知らぬ人に至りては、孟子の説も亦窮すべし。斉の景公の涕出でて呉に女すを見て、一時の権道、保国の良図と思ふの族は、人間に羞恥と云ふことあるを夢にも知らず。斯の人をして路に当たらしめば、国体を失ひ国事を誤ること、豈に限りあらんや。然れども恥は人心必有の物なれば、木石に非ざるよりは恥なきことを得ず。其の恥なきと云ふ者は、真に恥なきに非ず。恥づと雖も是れを処することなき故に、強ひて恥ぢざるの容をなすのみ。其の中心益々自ら恥づるなり。是れに因りて孟子又是れを処するの法を掲示し、遂に五年・七年等の効験を挙げて是れを歓動す。是に於て誰か敢へて羞恥を棄てて効験に趨かざらんや。況んや文王を師とするは甚だ容易なることにて、即ち上章反求在身の説に過ぎず。其の政に発する者は民を養ひ且つ教ふるに過ぎず。其の兵に発する者は民を弔ひ罪を伐つに過ぎず。已に羞恥の甚しきを知り、又効験の易きを知る。誰か敢へて其の図を改めざらんや。如何ぞ今人頑然として移らざる。時に復た孟子あることなし。吾将た誰をか尤めん。悲しいかな。
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