折たく柴の記 / 『折たく柴の記』老父の取り押さえと取繩の戒め
終らせ給ひて、はるかに年隔てし後に高徳寺の前住了也の語りしは、わかくおはせし時の事をば、見るべきやうもなし。八十に餘り給ひし時の事をばまのあたり見しことこそありつれ。酒に狂ぜしものゝ、こゝに入り來りて、刀をうちふりて、人を逐ひ散しければ、出で合ふものもなかりしに、杖にすがりて庵室を出でられしかば、此の事知り給はであやふき事かなと思ひたれど、すべきやうもなくて、門のすきまよりうかゞひ見しに、かの男のかたにむかひゆき給ふほどに、刀をふりあげし所を、その手をむずと取り給ふと見えしが、やがて蹴たふしざまに刀をとりてかたはらの溝の中になげ入れて、庵室に歸り入られたりき。彼の男は起きもやらずして、そのまゝに醉ひ臥したれば、その時こそ若法師原も、こゝかしこより出で來りてそれをまもり居て、酒さめし後に送りやりしかといふ。かゝる事は、老いぬる人の、さもなくてもあらむなどいふ人もあるべければ、あなかしこ。人には語るべからず。されどそれらのことわり、わきまへ給はぬ人にはおはせず。いかにかくはし給ひたりけむといふことは、よく〳〵思ひはかるべきことなり。我が十七八ばかりの比、とり繩といひて、人を縛すべきものを、青き絲を細く組ませて、その末にとりかぎといふものをつけしを懷にせしに、我が父の前にてとり落したりけり。なにものぞとのたまひて、とりて見給ひ、やゝありて、我昔の職にてありし程は、此の物を燧袋にいれて身に隨へたりき。それは狂したるものゝあらむときに、下部に仰せてからめとらむに、もし下部等がもちあはせぬこともありもやせむと思ひしが故なり。職解けぬる後は不用の物なれば、猫のつなとなししは、その物なり。すべてものゝふのわざは、何事も心得べきこと勿論なり。されど、人はそのほど〳〵につけてなすべきわざとなすまじきわざとある事なり。これらの具は、わぬしの身に隨ふべき物にはあらず。かほどのわきまへなからむ年齡にもおはせぬものをと、のたまひたりき。
新字:終らせ給ひて、はるかに年隔てし後に高徳寺の前住了也の語りしは、わかくおはせし時の事をば、見るべきやうもなし。八十に余り給ひし時の事をばまのあたり見しことこそありつれ。酒に狂ぜしものゝ、こゝに入り来りて、刀をうちふりて、人を逐ひ散しければ、出で合ふものもなかりしに、杖にすがりて庵室を出でられしかば、此の事知り給はであやふき事かなと思ひたれど、すべきやうもなくて、門のすきまよりうかゞひ見しに、かの男のかたにむかひゆき給ふほどに、刀をふりあげし所を、その手をむずと取り給ふと見えしが、やがて蹴たふしざまに刀をとりてかたはらの溝の中になげ入れて、庵室に帰り入られたりき。彼の男は起きもやらずして、そのまゝに酔ひ臥したれば、その時こそ若法師原も、こゝかしこより出で来りてそれをまもり居て、酒さめし後に送りやりしかといふ。かゝる事は、老いぬる人の、さもなくてもあらむなどいふ人もあるべければ、あなかしこ。人には語るべからず。されどそれらのことわり、わきまへ給はぬ人にはおはせず。いかにかくはし給ひたりけむといふことは、よく〳〵思ひはかるべきことなり。我が十七八ばかりの比、とり縄といひて、人を縛すべきものを、青き糸を細く組ませて、その末にとりかぎといふものをつけしを懐にせしに、我が父の前にてとり落したりけり。なにものぞとのたまひて、とりて見給ひ、やゝありて、我昔の職にてありし程は、此の物を燧袋にいれて身に随へたりき。それは狂したるものゝあらむときに、下部に仰せてからめとらむに、もし下部等がもちあはせぬこともありもやせむと思ひしが故なり。職解けぬる後は不用の物なれば、猫のつなとなししは、その物なり。すべてものゝふのわざは、何事も心得べきこと勿論なり。されど、人はそのほど〳〵につけてなすべきわざとなすまじきわざとある事なり。これらの具は、わぬしの身に随ふべき物にはあらず。かほどのわきまへなからむ年齢にもおはせぬものをと、のたまひたりき。
書き下し
終らせ給ひて、はるかに年隔てし後に高徳寺の前住了也の語りしは、わかくおはせし時の事をば、見るべきやうもなし。八十に餘り給ひし時の事をばまのあたり見しことこそありつれ。酒に狂ぜしものゝ、こゝに入り來りて、刀をうちふりて、人を逐ひ散しければ、出で合ふものもなかりしに、杖にすがりて庵室を出でられしかば、此の事知り給はであやふき事かなと思ひたれど、すべきやうもなくて、門のすきまよりうかゞひ見しに、かの男のかたにむかひゆき給ふほどに、刀をふりあげし所を、その手をむずと取り給ふと見えしが、やがて蹴たふしざまに刀をとりてかたはらの溝の中になげ入れて、庵室に歸り入られたりき。彼の男は起きもやらずして、そのまゝに醉ひ臥したれば、その時こそ若法師原も、こゝかしこより出で來りてそれをまもり居て、酒さめし後に送りやりしかといふ。かゝる事は、老いぬる人の、さもなくてもあらむなどいふ人もあるべければ、あなかしこ。人には語るべからず。されどそれらのことわり、わきまへ給はぬ人にはおはせず。いかにかくはし給ひたりけむといふことは、よく〳〵思ひはかるべきことなり。我が十七八ばかりの比、とり繩といひて、人を縛すべきものを、青き絲を細く組ませて、その末にとりかぎといふものをつけしを懷にせしに、我が父の前にてとり落したりけり。なにものぞとのたまひて、とりて見給ひ、やゝありて、我昔の職にてありし程は、此の物を燧袋にいれて身に隨へたりき。それは狂したるものゝあらむときに、下部に仰せてからめとらむに、もし下部等がもちあはせぬこともありもやせむと思ひしが故なり。職解けぬる後は不用の物なれば、猫のつなとなししは、その物なり。すべてものゝふのわざは、何事も心得べきこと勿論なり。されど、人はそのほど〳〵につけてなすべきわざとなすまじきわざとある事なり。これらの具は、わぬしの身に隨ふべき物にはあらず。かほどのわきまへなからむ年齡にもおはせぬものをと、のたまひたりき。
現代語訳
お亡くなりになって、はるかに年を隔てた後に、高徳寺の前住職の了也が語ったことには、お若くいらしたころのことは、見る手立てもない。八十を過ぎなさったときのことは、まのあたりに見たことがある。酒に狂った者が、ここに入ってきて、刀を振り回して人を追い散らしたので、出て立ち向かう者もなかったところ、杖にすがって庵室をお出になったので、このことをご存じないのであろう、危ういことだと思ったが、どうすることもできず、門のすきまからうかがい見ていると、あの男のほうへ向かってゆかれるうちに、男が刀を振り上げた所を、その手をむずとお取りになったと見えたが、すぐに蹴り倒すようにして刀を取り、かたわらの溝の中に投げ入れて、庵室に帰り入られた。あの男は起きもせずに、そのまま酔い臥していたので、そのときこそ若い法師たちも、あちこちから出てきて、それを見守っていて、酒が醒めた後に送り返したという。このようなことは、老いた人が、そんなことをしなくてもよいではないかなどと言う人もあろうから、くれぐれも人には語るな。けれども、そうした道理は、わきまえられない人ではなかった。どうしてこのようになさったのかということは、よくよく思い量るべきことである。私が十七、八歳のころ、取繩といって、人を縛るためのものを、青い糸を細く組ませて、その先に取り鉤というものをつけたのを懐に入れていたところ、父の前で取り落としたことがあった。何であるかとおっしゃって、取って見なさり、しばらくして、私が昔の職にあったころは、この物を燧袋に入れて身に添えていた。それは、狂った者があるときに、下部に命じてからめ取らせるのに、もし下部たちが持ち合わせないこともあるかもしれないと思ったからである。職を解かれた後は不用の物なので、猫の綱にしたのが、その物である。すべて武士のわざは、何事も心得るべきことは言うまでもない。けれども、人はそれぞれの身分につけて、なすべきわざとなすべきでないわざとあるものである。これらの道具は、おまえの身に添えるべき物ではない。これほどの分別がない年齢でもないのに、とおっしゃった。
解説

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