折たく柴の記 / 『折たく柴の記』父の日課 寅の刻に起きる暮らし
我物の心をわきまへしより此のかたの事は覺えしに、日々の事唯同じさまにして、露たがふ所おはせざりけり。寅の時ばかりには、必ず起き出で給ひて、水をもて身をあらひすゝぎて、みづから髪とりあげ給ひしかば、夜さむき比は、母にておはせし人の、湯をまゐらすべきとのたまひしを、めしつかふものども、わづらはす事ゆめ〳〵しかるべからずと、制しとゞめらる。七十に餘り給ひしほどは、母にておはせし人の、我も齡のかたぶきぬれば、夜さむに堪へずとて、圍爐裏に火をうづみて、それに足さしてふし給ひて、鑵子に湯をいれて、火のほとりにさし置きて、父の起き出で給ふ時に、其の湯をまゐらせられたりき。」ふたり共に、佛の道をたふとみ給ひしが、父にておはせし人の髪とりあげあてゝは、衣裳あらためて、佛を禮し給ふ事、曉毎におこたり給はず。父母の忌日には手づから飯を炊ぎてすゝめらる。下部等に命ぜられし事あらず。夜いまだ明けざるほどは、坐してあしたをまちて、夜明けはてゝ出仕したまふ。父のおはせし所は南にありて、出仕し給ふべき門は北にありしに、朝には東よりし、夕には西より道し給ふ。雪踏とて、皮を底にしたるものをめして、いかにも足おとの高らかに聞ゆるやうに、すぎゆき給ひしかば、我が父の來り給ふは、みな人の聞き知りし程に、をさなき子も、その啼をとゞめたりき。」
新字:我物の心をわきまへしより此のかたの事は覚えしに、日々の事唯同じさまにして、露たがふ所おはせざりけり。寅の時ばかりには、必ず起き出で給ひて、水をもて身をあらひすゝぎて、みづから髪とりあげ給ひしかば、夜さむき比は、母にておはせし人の、湯をまゐらすべきとのたまひしを、めしつかふものども、わづらはす事ゆめ〳〵しかるべからずと、制しとゞめらる。七十に余り給ひしほどは、母にておはせし人の、我も齢のかたぶきぬれば、夜さむに堪へずとて、囲炉裏に火をうづみて、それに足さしてふし給ひて、鑵子に湯をいれて、火のほとりにさし置きて、父の起き出で給ふ時に、其の湯をまゐらせられたりき。」ふたり共に、仏の道をたふとみ給ひしが、父にておはせし人の髪とりあげあてゝは、衣裳あらためて、仏を礼し給ふ事、暁毎におこたり給はず。父母の忌日には手づから飯を炊ぎてすゝめらる。下部等に命ぜられし事あらず。夜いまだ明けざるほどは、坐してあしたをまちて、夜明けはてゝ出仕したまふ。父のおはせし所は南にありて、出仕し給ふべき門は北にありしに、朝には東よりし、夕には西より道し給ふ。雪踏とて、皮を底にしたるものをめして、いかにも足おとの高らかに聞ゆるやうに、すぎゆき給ひしかば、我が父の来り給ふは、みな人の聞き知りし程に、をさなき子も、その啼をとゞめたりき。」
書き下し
我物の心をわきまへしより此のかたの事は覺えしに、日々の事唯同じさまにして、露たがふ所おはせざりけり。寅の時ばかりには、必ず起き出で給ひて、水をもて身をあらひすゝぎて、みづから髪とりあげ給ひしかば、夜さむき比は、母にておはせし人の、湯をまゐらすべきとのたまひしを、めしつかふものども、わづらはす事ゆめ〳〵しかるべからずと、制しとゞめらる。七十に餘り給ひしほどは、母にておはせし人の、我も齡のかたぶきぬれば、夜さむに堪へずとて、圍爐裏に火をうづみて、それに足さしてふし給ひて、鑵子に湯をいれて、火のほとりにさし置きて、父の起き出で給ふ時に、其の湯をまゐらせられたりき。」ふたり共に、佛の道をたふとみ給ひしが、父にておはせし人の髪とりあげあてゝは、衣裳あらためて、佛を禮し給ふ事、曉毎におこたり給はず。父母の忌日には手づから飯を炊ぎてすゝめらる。下部等に命ぜられし事あらず。夜いまだ明けざるほどは、坐してあしたをまちて、夜明けはてゝ出仕したまふ。父のおはせし所は南にありて、出仕し給ふべき門は北にありしに、朝には東よりし、夕には西より道し給ふ。雪踏とて、皮を底にしたるものをめして、いかにも足おとの高らかに聞ゆるやうに、すぎゆき給ひしかば、我が父の來り給ふは、みな人の聞き知りし程に、をさなき子も、その啼をとゞめたりき。」
現代語訳
私が物心がついてからこのかたのことは覚えているが、日々のことはただ同じ様子で、少しも違うところがおありにならなかった。寅の刻(午前四時ごろ)には必ず起き出されて、水で身を洗いすすぎ、自分で髪を結い上げられたので、夜の寒い頃は、母であった人が、湯をさしあげましょうとおっしゃったのを、召し使う者どもを煩わせることは決してよくないと、制し止められた。七十を過ぎられた頃は、母であった人が、私も齢が傾いたので夜の寒さに堪えられませんと言って、囲炉裏に火を埋めて、それに足を差して臥し、鑵子(湯沸かし)に湯を入れて火のほとりに置いておき、父の起き出される時にその湯を差し上げておられた。」二人とも仏の道を尊んでおられたが、父であった人は髪を結い上げてからは、衣装を改めて仏を礼拝されることを、暁ごとに怠られなかった。父母の忌日には自ら飯を炊いてお供えされた。下部などにお命じになることはなかった。夜がまだ明けないうちは、座って朝を待ち、すっかり夜が明けてから出仕なさった。父の住まいは南にあって、出仕なさる門は北にあったのに、朝には東から、夕には西から回って行かれる。雪駄といって皮を底にしたものを履いて、とにかく足音が高らかに聞こえるように通って行かれたので、わが父がおいでになるのは皆が聞き知っていて、幼い子もその泣き声をやめたものだった。」
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
折たく柴の記・『折たく柴の記』父君の容貌と静かな日々の暮らし我物覺えしよりは、髪に黒きすぢはすくなかりき。面は方におはしまして、額上高く起り、眼大きく、鬚多く、たけは短かくおはせしかど、すべて骨ふとく、たくましく見え給ひたりき。天性喜怒の色あらはれ見えたまはず、笑ひ給ふにも、聲高くわらはせ給ひし事は覺えず。まして人を叱り給ふにも、あら〳〵しきことの給ひし事は聞かず。もののたまふ事も、いかにもことばすくなくして、たち居かろ〴〵しからず。驚き給ひさわぎ給ひ、事に堪へかね給ひしなどいふ事は見しこともあらず。たとへば灸治などし給ふにも灸小さきと、數すくなきときは、無益の事なりと仰せられて、大きなる灸を、其の數すくなからず、五所も七所も、一時にすゑさせて、いたみ給ふけしきも見え給はず。」身靜なる時には、つねにおはします所を淨く掃ひて、壁上に古畫をかけて、花瓶には、春秋の花をすこしくさしはさみて、それに對して默坐して日を消し給ひ、又みづから繪かき給ふことなどもありき。それも色を設けたることなどをば、このみ給はず。」身の病み給ふ時より外は、人をめしつかひ給ふといふことなく、何事も手づからみづからのみなし給ひたりき。」朝夕の物をめすことも、飯は二椀を過さず。手して椀をさゝぐるに、其の輕重によりて、飯の多きすくなきはしれぬれば、其の餘物は、飯の多少によりて、多くもすくなくもくらひて、常に我が腹にみつる分量をすぐすべからず。口にかなふ物なりとも、一色をのみ多く食ひぬれば、必ずその爲に傷けらるゝ事あり。なに物をも撰ばずして皆々すこしづゝ食ふ時は、たがひに相制する所あるにや。食のために傷けらるゝ事はすくなしと覺ゆるなりと仰せられき。」よのつねには、こなたよりまゐらする物をめして、なに物をまゐらせよとのたまひし事はあらず。たゞ四時の新味をばその出で來りし初に、なにものに限らず參らせよと仰せられて、家人と共にきこしめしけり。」酒はわづかも喉に下し給へば、大きに醉ひ給ひしかば、たゞ盃を把りて、歡を受け給ふのみなりき。茶をばこのみてめしけり。」身にめしける物も、家におはする時は、あらひすゝぎしものをもめしけれど、あかづきぬるをば、いね給ふ時もめす事なく、門を出で給ふに至りては、かならずあたらしくあざやかなる物どもをめす。それも身におひ給はぬ品のもの用ひられし事はあらず。」
-
折たく柴の記・『折たく柴の記』父君の身なりと鞘巻の刀むかし人は、つねに身死しなむ後の見ぐるしからぬやうを、心にかけしなりなどの給ひたりき。」扇などをも、人多き中にとりも落し、わすれもする事あり。これらの物にても、そのぬしの心はおしはからるゝこと也と仰せられし。むかし樣とかいひて、尺ばかりの白骨なるに、紙は金銀の砂子地なるを用ひ給ひ、繪かきしも、しかるべき畫工のかきしにあらねば、用ひ給はず。」ましてわきざしの如き武器の事はいふに及はず。」七十に餘り給ひし後に、左の臂いたみ給ふことおはしまして、そのよしを申し給ひ、職を辭し給ひしかど、戸部ゆるし給はざりけり。それよりしては、はゞ一寸六七分ばかりありて、長さ一尺餘なる鞘卷の刀ばかりを帶して出仕し給ひ、刀をば道の程ばかり、召供のものにもたせ給ひたりき。今思ふに異體のことなりしかど、人もとがめず。まして戸部も、のたまふ旨もなかりき。おもふに、それはもし事あらむに、刀を帶しながら、それを用ひざらむ事しかるべからず。しかりとて身に痛あれば、刃を用ふるには堪へず。しかど無用の物、身に隨へざらむにはと、思ひ給ひしにや。其の鞘卷は、身終り給ふまで、常に身をはなし給はで、終り給ふ時に仰せ置かれしかば、陸奥におはせし、初より養ひ給ひたりし人の許に贈りぬ。飾れる所々は、黒金物に浪を彫りたるに、鞘は黒くぬりしに、千段まきといふごとくに卷きし所を、金白檀といふものにせしなり。」髪おろし給ひし後は、鞘をば皮のひきはだに入れられたり。
-
折たく柴の記・『折たく柴の記』自序 寡黙な父母と尋ね損ねた悔いむかし人は、いふべき事あれば、うちいひて、その餘は、みだりにものいはず。いふべき事をも、いかにもことば多からで、其の義を盡したりけり。我が父母にてありし人々も、かくぞおはしける。父にておはせし人の、その年七十五になり給ひし時に、傷寒をうれひて事きれ給ひなむとするに、醫の來りて獨參湯をなむすゝむべきといふ也。よのつねに人にいましめ給ひしは、としわかき人は、いかにもありなむ。よはひかたぶきし身の、いのちの限りある事をもしらで、藥のためにいきぐるしきさまして、終りぬるはわろし。あひかまへて、心せよとのたまひしかば、此の事いかにあらむと、いふ人ありしかど、疾病の急なるが、見まゐらするも心ぐるしといふ程に、生姜の汁にあはせて、すゝめしに、それよりいき出で給ひて、つひに其の病愈え給ひたりけり。後に母にてありし人の、いかに此の程は、人にそむきふし給ふのみにて、また物のたまふ事もなかりしと、問ひ申されしに、されば頭のいたむこと殊に甚しく、我いまだ人にくるしげなる色みせし事なかりしに、日頃にかはれる事もありなむにはしかるべからず。又世の人熱にをかされて、ことばのあやまち多かるを見るにも、しかじ、いふ事なからむにはと思ひしかば、さてこそありつれと答へ給ひき。これらの事にても、よのつねの事ども思ひはかるべし。」かくおはせしかば、あはれ問ひまゐらせばやと、思ふ事もいひ出でがたくしてうちすぐる程に、うせ給ひしかば、さてやみぬる事のみぞ多かる。よのつねの事どもはさてもやあるべき。おやおほちの御事詳ならざりし事こそくやしけれど、今はとふべき人とてもなし。此の事のくやしさに我が子どもゝ、また我がごとくの事ありなむ事をしりぬ。今はいとまある身となりぬ。心に思ひ出づるをり〳〵、すぎにし事ども、そこはかとなくしるしおきぬ。外ざまの人の見るべきものにもあらねば、ことばのつたなきをも、事のわづらはしきをも、えらぶべしやは。それが中、前代の御事におよびし事どもは、いともかしこけれど、世によくしれる人もなきは、おのづから傳ふる人のなからむも、わびしからまし。我が子うま子の後までも、是等の事ども見むものは、おやおほぢの身をおこしし事もやすからず。おやにてありしものゝ、前代の御惠をうけし事は、世の常ならざりし事をも、おもひしる事も有りなむには、忠と孝との道にも違はざる事もありなましと、六十の老翁散位源君美丙申の十月四日に筆を起しつ。
-
折たく柴の記・『折たく柴の記』老父の取り押さえと取繩の戒め終らせ給ひて、はるかに年隔てし後に高徳寺の前住了也の語りしは、わかくおはせし時の事をば、見るべきやうもなし。八十に餘り給ひし時の事をばまのあたり見しことこそありつれ。酒に狂ぜしものゝ、こゝに入り來りて、刀をうちふりて、人を逐ひ散しければ、出で合ふものもなかりしに、杖にすがりて庵室を出でられしかば、此の事知り給はであやふき事かなと思ひたれど、すべきやうもなくて、門のすきまよりうかゞひ見しに、かの男のかたにむかひゆき給ふほどに、刀をふりあげし所を、その手をむずと取り給ふと見えしが、やがて蹴たふしざまに刀をとりてかたはらの溝の中になげ入れて、庵室に歸り入られたりき。彼の男は起きもやらずして、そのまゝに醉ひ臥したれば、その時こそ若法師原も、こゝかしこより出で來りてそれをまもり居て、酒さめし後に送りやりしかといふ。かゝる事は、老いぬる人の、さもなくてもあらむなどいふ人もあるべければ、あなかしこ。人には語るべからず。されどそれらのことわり、わきまへ給はぬ人にはおはせず。いかにかくはし給ひたりけむといふことは、よく〳〵思ひはかるべきことなり。我が十七八ばかりの比、とり繩といひて、人を縛すべきものを、青き絲を細く組ませて、その末にとりかぎといふものをつけしを懷にせしに、我が父の前にてとり落したりけり。なにものぞとのたまひて、とりて見給ひ、やゝありて、我昔の職にてありし程は、此の物を燧袋にいれて身に隨へたりき。それは狂したるものゝあらむときに、下部に仰せてからめとらむに、もし下部等がもちあはせぬこともありもやせむと思ひしが故なり。職解けぬる後は不用の物なれば、猫のつなとなししは、その物なり。すべてものゝふのわざは、何事も心得べきこと勿論なり。されど、人はそのほど〳〵につけてなすべきわざとなすまじきわざとある事なり。これらの具は、わぬしの身に隨ふべき物にはあらず。かほどのわきまへなからむ年齡にもおはせぬものをと、のたまひたりき。
-
折たく柴の記・『折たく柴の記』朝比奈の誓言と老いの備え朝比奈といひし老人の常のことばに、神佛に誓ひて物いふありけり。父にておはします人の仰せられしは、よのつねに、いつはり多き人は、其の言葉を信にせむとて神佛に誓ひていふ事あり。此の人は常の行ひにいつはりある人にはあらねど、天性かろ〴〵しき人のことばのつゝしみなくて、神佛に誓ひて物いふ事のくせになりたるなり。汝等もよく心すべき事なり、といましめ給ひき。父にておはせし人の友に、關といひし人は、年五つも六つもすくなかりしと聞えしが、その七十に餘りぬる比より、物いふ事もなし。行ふ事も耄せられしと、みえし事多かりけるを見給ひて、およそは、人の氣力は齡と共に衰へぬるものなれば、耄すべき期至りぬれば、いかにつゝしみ思ふ心ありとも、耄せざる事を得べからず。されば、わかざかりなる時より、その心得したらむには、たとひ耄期に至りぬるとも、うち見る人のあさましと思ふほどの事は、あるまじきものにや。老いたる人の耄せしと見ゆる事は、いふまじき事をもいひなすまじき事をもなす。これをすぶるに、たゞよく物をわすれぬるによるなり。わかきも老いたるも、その行ひの恒ありて、凡の事ども事すくなきにはしかず。事多ければ、或はなし、或はやむ事ありて、おのづから恒なりかたし。されば我わかかりしより、常になし行ふ事ども事多からずして、そのなし行ふ事どもちからの及ばむ限りは、みづから事をとりて、めしつかふものどもにうち任せし事もあらず。つねの調度をも、置くべき所をさだめて、かしこをこゝに、うつし置きし事あらねば、夜ふけ燈消えし時といへども、たづねもとむる事なくしてこれを得つ。たとへば、目の見、耳の聞き、手の取り、足のゆく事の、我が思ふ所に應じぬるが如くなるは、その事と物とこと〴〵く皆我と共に常に習ひ熟しぬるが故なるべし。
-
折たく柴の記・『折たく柴の記』堪忍と貨色の二戒、父祖の家訓父にておはせし人の、八十に餘りて終り給ひし迄、何事も我が幼より見まゐらせたりしに、かはり給ふ所のおはしまさぬは、天性うけ得給ふ所の、人にこえすぐれ給ひしによりしなるべけれど、またつねの行によりて、其の德の衰へ給はぬが故とぞ覺ゆる。我が物覺えしより、敎へ給ひし事ども多かりしうちに、つねに思て出でらるゝ事は、男兒はたゞ事に堪ふることを習ふべきなり。これを習ふべき事は、何事にもあれ、我がきはめて堪へがたく思ふ事より堪へはじめぬれば、久しくしては、さのみは難事と思ふ事はあるべからざるなりと仰せられき。我八九歳の頃より、常に此の事によりて、力を得し事も多けれど、もとより我性急に生れ得しかば、怒の一つのみぞ、堪へがたき事もありし。されどそれも、幸に世の中の嶮岨の中をわたりて、すでに年と共に力衰へたりしかば、今はむかしのごとくにはあらぬにや。我が後の人々、此の事父祖の家訓なりとおもひて、よろづの事に此の心得あらむこそ、願はしき事なれ。又敎へ給ひし事に、我十三の時に、國をさりてより、つねに他人の中にして、ひとゝなりたり。されば、したしくいひかたらひしものども多かりし中に、つひにそのまじはりを全くせし事は、我がつゝしみし所、ただ二つありき。いはゆる貨と色との二つなり。我年比多くの人を見じにおの〳〵うまれ得る所の同じからぬは、其の人となれる所も、またおのおの同じからねど、彼二つの欲なき人のみ、かしこにありても、こゝにありても、人にいとはるゝ事はなきものなりと仰せられき。後にまた我が師にてありし人も、ふるき人の申しゝ事あり。貨と色との二つによりて、怨を結びし事は、つひにとけぬものなりと申しき。心得べき事なりと仰せられき。わかきも老いたるも、よく〳〵戒め思ふべき事なり。