折たく柴の記 / 『折たく柴の記』父君の身なりと鞘巻の刀
むかし人は、つねに身死しなむ後の見ぐるしからぬやうを、心にかけしなりなどの給ひたりき。」扇などをも、人多き中にとりも落し、わすれもする事あり。これらの物にても、そのぬしの心はおしはからるゝこと也と仰せられし。むかし樣とかいひて、尺ばかりの白骨なるに、紙は金銀の砂子地なるを用ひ給ひ、繪かきしも、しかるべき畫工のかきしにあらねば、用ひ給はず。」ましてわきざしの如き武器の事はいふに及はず。」七十に餘り給ひし後に、左の臂いたみ給ふことおはしまして、そのよしを申し給ひ、職を辭し給ひしかど、戸部ゆるし給はざりけり。それよりしては、はゞ一寸六七分ばかりありて、長さ一尺餘なる鞘卷の刀ばかりを帶して出仕し給ひ、刀をば道の程ばかり、召供のものにもたせ給ひたりき。今思ふに異體のことなりしかど、人もとがめず。まして戸部も、のたまふ旨もなかりき。おもふに、それはもし事あらむに、刀を帶しながら、それを用ひざらむ事しかるべからず。しかりとて身に痛あれば、刃を用ふるには堪へず。しかど無用の物、身に隨へざらむにはと、思ひ給ひしにや。其の鞘卷は、身終り給ふまで、常に身をはなし給はで、終り給ふ時に仰せ置かれしかば、陸奥におはせし、初より養ひ給ひたりし人の許に贈りぬ。飾れる所々は、黒金物に浪を彫りたるに、鞘は黒くぬりしに、千段まきといふごとくに卷きし所を、金白檀といふものにせしなり。」髪おろし給ひし後は、鞘をば皮のひきはだに入れられたり。
新字:むかし人は、つねに身死しなむ後の見ぐるしからぬやうを、心にかけしなりなどの給ひたりき。」扇などをも、人多き中にとりも落し、わすれもする事あり。これらの物にても、そのぬしの心はおしはからるゝこと也と仰せられし。むかし様とかいひて、尺ばかりの白骨なるに、紙は金銀の砂子地なるを用ひ給ひ、絵かきしも、しかるべき画工のかきしにあらねば、用ひ給はず。」ましてわきざしの如き武器の事はいふに及はず。」七十に余り給ひし後に、左の臂いたみ給ふことおはしまして、そのよしを申し給ひ、職を辞し給ひしかど、戸部ゆるし給はざりけり。それよりしては、はゞ一寸六七分ばかりありて、長さ一尺余なる鞘巻の刀ばかりを帯して出仕し給ひ、刀をば道の程ばかり、召供のものにもたせ給ひたりき。今思ふに異体のことなりしかど、人もとがめず。まして戸部も、のたまふ旨もなかりき。おもふに、それはもし事あらむに、刀を帯しながら、それを用ひざらむ事しかるべからず。しかりとて身に痛あれば、刃を用ふるには堪へず。しかど無用の物、身に随へざらむにはと、思ひ給ひしにや。其の鞘巻は、身終り給ふまで、常に身をはなし給はで、終り給ふ時に仰せ置かれしかば、陸奥におはせし、初より養ひ給ひたりし人の許に贈りぬ。飾れる所々は、黒金物に浪を彫りたるに、鞘は黒くぬりしに、千段まきといふごとくに巻きし所を、金白檀といふものにせしなり。」髪おろし給ひし後は、鞘をば皮のひきはだに入れられたり。
書き下し
むかし人は、つねに身死しなむ後の見ぐるしからぬやうを、心にかけしなりなどの給ひたりき。」扇などをも、人多き中にとりも落し、わすれもする事あり。これらの物にても、そのぬしの心はおしはからるゝこと也と仰せられし。むかし樣とかいひて、尺ばかりの白骨なるに、紙は金銀の砂子地なるを用ひ給ひ、繪かきしも、しかるべき畫工のかきしにあらねば、用ひ給はず。」ましてわきざしの如き武器の事はいふに及はず。」七十に餘り給ひし後に、左の臂いたみ給ふことおはしまして、そのよしを申し給ひ、職を辭し給ひしかど、戸部ゆるし給はざりけり。それよりしては、はゞ一寸六七分ばかりありて、長さ一尺餘なる鞘卷の刀ばかりを帶して出仕し給ひ、刀をば道の程ばかり、召供のものにもたせ給ひたりき。今思ふに異體のことなりしかど、人もとがめず。まして戸部も、のたまふ旨もなかりき。おもふに、それはもし事あらむに、刀を帶しながら、それを用ひざらむ事しかるべからず。しかりとて身に痛あれば、刃を用ふるには堪へず。しかど無用の物、身に隨へざらむにはと、思ひ給ひしにや。其の鞘卷は、身終り給ふまで、常に身をはなし給はで、終り給ふ時に仰せ置かれしかば、陸奥におはせし、初より養ひ給ひたりし人の許に贈りぬ。飾れる所々は、黒金物に浪を彫りたるに、鞘は黒くぬりしに、千段まきといふごとくに卷きし所を、金白檀といふものにせしなり。」髪おろし給ひし後は、鞘をば皮のひきはだに入れられたり。
現代語訳
身につける物も、家にいらっしゃるときは、洗いすすいだ物をお召しになったが、垢のついたものは、寝なさるときもお召しにならず、門を出なさるときには、必ず新しく鮮やかな物をお召しになった。それも、身分に合わない品の物をお用いになったことはない。「昔の人は、常に自分が死んだ後に見苦しくないようにと、心にかけたのである」などとおっしゃった。扇なども、人の多い中で取り落としたり、忘れたりすることがある。こうした物でも、その持ち主の心は推し量られることである、と仰せになった。昔風とかいって、一尺ばかりの白骨のものに、紙は金銀の砂子地のものを用い、絵を描いたものも、しかるべき絵師が描いたのでなければ、お用いにならなかった。まして脇差のような武器のことは言うまでもない。七十を過ぎなさった後に、左の肘が痛むことがおありになって、そのことを申し上げ、職を辞そうとなさったが、戸部はお許しにならなかった。それからは、幅が一寸六、七分ほどで、長さが一尺余りの鞘巻の刀だけを帯びて出仕なさり、刀(長いほう)は道中の間だけ、お供の者に持たせなさった。今思うと変わったことであったが、人もとがめなかった。まして戸部も、おっしゃることはなかった。思うに、それは、もし事があった場合に、刀を帯びながらそれを用いないのは良くない。そうかといって身に痛みがあるので、刃を用いるには耐えられない。しかし無用の物を身に添えないでいるのも、と思いなさったのであろうか。その鞘巻は、お亡くなりになるまで、常に身を離されず、お亡くなりになるときに言い置かれたので、陸奥にいらっしゃった、初めから養っておられた人のもとに贈った。飾ってある所々は、黒金物に波を彫ったもので、鞘は黒く塗り、千段巻といったように巻いた所を、金白檀というものにしたのである。髪をおろしなさった後は、鞘を皮のひきはだに入れられた。
解説

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