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折たく柴の記 / 『折たく柴の記』朝比奈の誓言と老いの備え

朝比奈といひし老人の常のことばに、神佛に誓ひて物いふありけり。父にておはします人の仰せられしは、よのつねに、いつはり多き人は、其の言葉を信にせむとて神佛に誓ひていふ事あり。此の人は常の行ひにいつはりある人にはあらねど、天性かろ〴〵しき人のことばのつゝしみなくて、神佛に誓ひて物いふ事のくせになりたるなり。汝等もよく心すべき事なり、といましめ給ひき。父にておはせし人の友に、關といひし人は、年五つも六つもすくなかりしと聞えしが、その七十に餘りぬる比より、物いふ事もなし。行ふ事も耄せられしと、みえし事多かりけるを見給ひて、およそは、人の氣力は齡と共に衰へぬるものなれば、耄すべき期至りぬれば、いかにつゝしみ思ふ心ありとも、耄せざる事を得べからず。されば、わかざかりなる時より、その心得したらむには、たとひ耄期に至りぬるとも、うち見る人のあさましと思ふほどの事は、あるまじきものにや。老いたる人の耄せしと見ゆる事は、いふまじき事をもいひなすまじき事をもなす。これをすぶるに、たゞよく物をわすれぬるによるなり。わかきも老いたるも、その行ひの恒ありて、凡の事ども事すくなきにはしかず。事多ければ、或はなし、或はやむ事ありて、おのづから恒なりかたし。されば我わかかりしより、常になし行ふ事ども事多からずして、そのなし行ふ事どもちからの及ばむ限りは、みづから事をとりて、めしつかふものどもにうち任せし事もあらず。つねの調度をも、置くべき所をさだめて、かしこをこゝに、うつし置きし事あらねば、夜ふけ燈消えし時といへども、たづねもとむる事なくしてこれを得つ。たとへば、目の見、耳の聞き、手の取り、足のゆく事の、我が思ふ所に應じぬるが如くなるは、その事と物とこと〴〵く皆我と共に常に習ひ熟しぬるが故なるべし。

新字:朝比奈といひし老人の常のことばに、神仏に誓ひて物いふありけり。父にておはします人の仰せられしは、よのつねに、いつはり多き人は、其の言葉を信にせむとて神仏に誓ひていふ事あり。此の人は常の行ひにいつはりある人にはあらねど、天性かろ〴〵しき人のことばのつゝしみなくて、神仏に誓ひて物いふ事のくせになりたるなり。汝等もよく心すべき事なり、といましめ給ひき。父にておはせし人の友に、関といひし人は、年五つも六つもすくなかりしと聞えしが、その七十に余りぬる比より、物いふ事もなし。行ふ事も耄せられしと、みえし事多かりけるを見給ひて、およそは、人の気力は齢と共に衰へぬるものなれば、耄すべき期至りぬれば、いかにつゝしみ思ふ心ありとも、耄せざる事を得べからず。されば、わかざかりなる時より、その心得したらむには、たとひ耄期に至りぬるとも、うち見る人のあさましと思ふほどの事は、あるまじきものにや。老いたる人の耄せしと見ゆる事は、いふまじき事をもいひなすまじき事をもなす。これをすぶるに、たゞよく物をわすれぬるによるなり。わかきも老いたるも、その行ひの恒ありて、凡の事ども事すくなきにはしかず。事多ければ、或はなし、或はやむ事ありて、おのづから恒なりかたし。されば我わかかりしより、常になし行ふ事ども事多からずして、そのなし行ふ事どもちからの及ばむ限りは、みづから事をとりて、めしつかふものどもにうち任せし事もあらず。つねの調度をも、置くべき所をさだめて、かしこをこゝに、うつし置きし事あらねば、夜ふけ灯消えし時といへども、たづねもとむる事なくしてこれを得つ。たとへば、目の見、耳の聞き、手の取り、足のゆく事の、我が思ふ所に応じぬるが如くなるは、その事と物とこと〴〵く皆我と共に常に習ひ熟しぬるが故なるべし。

書き下し

朝比奈といひし老人の常のことばに、神佛に誓ひて物いふありけり。父にておはします人の仰せられしは、よのつねに、いつはり多き人は、其の言葉を信にせむとて神佛に誓ひていふ事あり。此の人は常の行ひにいつはりある人にはあらねど、天性かろ〴〵しき人のことばのつゝしみなくて、神佛に誓ひて物いふ事のくせになりたるなり。汝等もよく心すべき事なり、といましめ給ひき。父にておはせし人の友に、關といひし人は、年五つも六つもすくなかりしと聞えしが、その七十に餘りぬる比より、物いふ事もなし。行ふ事も耄せられしと、みえし事多かりけるを見給ひて、およそは、人の氣力は齡と共に衰へぬるものなれば、耄すべき期至りぬれば、いかにつゝしみ思ふ心ありとも、耄せざる事を得べからず。されば、わかざかりなる時より、その心得したらむには、たとひ耄期に至りぬるとも、うち見る人のあさましと思ふほどの事は、あるまじきものにや。老いたる人の耄せしと見ゆる事は、いふまじき事をもいひなすまじき事をもなす。これをすぶるに、たゞよく物をわすれぬるによるなり。わかきも老いたるも、その行ひの恒ありて、凡の事ども事すくなきにはしかず。事多ければ、或はなし、或はやむ事ありて、おのづから恒なりかたし。されば我わかかりしより、常になし行ふ事ども事多からずして、そのなし行ふ事どもちからの及ばむ限りは、みづから事をとりて、めしつかふものどもにうち任せし事もあらず。つねの調度をも、置くべき所をさだめて、かしこをこゝに、うつし置きし事あらねば、夜ふけ燈消えし時といへども、たづねもとむる事なくしてこれを得つ。たとへば、目の見、耳の聞き、手の取り、足のゆく事の、我が思ふ所に應じぬるが如くなるは、その事と物とこと〴〵く皆我と共に常に習ひ熟しぬるが故なるべし。

現代語訳

朝比奈といった老人の口癖に、神仏に誓って物を言うことがあった。父であられた人が仰せになったのは、普通は、偽りの多い人が、自分の言葉を信じてもらおうとして神仏に誓って言うことがある。この人は日ごろの行いに偽りのある人ではないが、生まれつき軽々しい人で、言葉に慎みがなく、神仏に誓って物を言うことが癖になったのである。おまえたちもよく心すべきことである、と戒められた。父であられた人の友で、関といった人は、年が五つも六つも少なかったと聞くが、その七十を過ぎたころから、物を言うことにも、行いにも、耄碌なさったと見えることが多かったのをご覧になって、およそ人の気力は年齢とともに衰えるものであるから、耄碌する時期が至れば、どれほど慎もうと思う心があっても、耄碌しないでいることはできない。それならば、若い盛りのときからその心得をしておけば、たとえ耄碌する年になっても、見る人が情けないと思うほどのことは、あるまいと思われる。老いた人が耄碌したと見えるのは、言うべきでないことも言い、すべきでないこともすることである。これを推し量ると、ただよく物を忘れるからである。若い者も老いた者も、その行いに常があって、おおよそ事が少ないのに越したことはない。事が多ければ、あるいは行い、あるいはやめることがあって、おのずと常を保ちがたい。だから私は若いころから、常に行うことを多くせず、その行うことは力の及ぶ限り自分でとり行い、召し使う者たちに任せたことはない。日常の道具も置く場所を定め、あそこのものをここに移して置いたことがないので、夜が更けて灯が消えたときでも、探し求めることなく手に入れることができた。たとえば、目が見、耳が聞き、手が取り、足が行くことが、自分の思うとおりに応じるようなのは、その事と物とがことごとく皆、私とともに常に習い熟しているからであろう。

解説

前半は二つの短い教訓が並びます。誓言を口癖にする人への戒めでは、偽りが多い人ほど神仏に誓って言葉を飾るもので、日ごろの行いに偽りがなくても軽々しい口癖は信用を損なう、と父は説きます。続く関老人の話では、年を取れば気力は衰えるのだから、若いうちから備えよ、と述べます。要は行いに常があり、物の置き場を決め、事を増やさないことです。現代の仕事でも、整理と習慣が衰えや混乱を防ぎます。習い熟した行いが人を支える、という実感がこもっています。
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この章句が説くこと

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