遠羅天釜 / 『遠羅天釜』見性の歓喜と正受老人の一喝
二十二而從若州交虛堂勝會乍省覺其後在豫州讀佛祖三經大猛省聲夜提起無字片時不休只愁不得純一無雜打成一片又愁不能寤寐恒一二十四歲春在越英巖僧舍苦吟晝夜不眠廢食共忘忽然大疑現前如萬里一條層氷裏凍殺胸裡分外清潔而進不得退不得癡々呆々只有無字而已雖陪講筵聞師評唱如數十步外而聞堂上議論或如在空中行如此者數日乍一夜聽鐘聲發轉如擲碎氷盤似摧倒玉樓忽然蘇息來自身直是岩頭和尚貫通三世不損毫毛從前疑惑盡底氷消高聲叫曰也大奇也大奇無生死可出無菩提可求傳燈千七百箇葛藤不足消一捏於此慢憧山發憍心潮湧心竊謂二三百年來如予痛快打發底不可有之荷一段所見直行信陽謁正受老師演所見呈偈師左手握言偈曰者箇是學得底那箇是見得底伸右手予曰若有見得底可呈師須吐却作嘔吐聲師云趙州無字作麼生見予曰無字有甚麼所肯手脚師以指拶予鼻曰多少著手脚了也予擬議師大笑云此守藏窮鬼子予不顧師曰儞恁麼爲足那予曰有甚麼不足處師擧南泉遷化話予掩耳出師曰闍梨予囘頭師曰此守藏窮鬼子從此大凡每見予盡言守藏窮鬼子一夕師納涼坐櫺端予亦呈偈師曰妄想情解予高聲叫曰妄想情解師卽提住予瞠擧二三十終突落堂下時五月四日夜霖雨後也予在泥土上假臥氣息共盡去死十分動亦不得師在簷上呵々大笑少焉蘇息起來作禮通身汗流師高聲叫曰此守藏窮鬼子於此親參南泉遷化話寢食共廢一日有些省覺入室種種下語不契只云守藏窮鬼子予心竊謂辭去徃佗方一日往城下托鉢有狂人欲把苕箒打予予不覺打破南泉遷化話其餘數段因緣疏山壽塔話大惠荷葉團々頌自謂盡打發歸來演所見師總不可杳只微々笑而已從此休言守藏窮鬼子
新字:二十二而従若州交虚堂勝会乍省覚其後在予州読仏祖三経大猛省声夜提起無字片時不休只愁不得純一無雑打成一片又愁不能寤寐恒一二十四歳春在越英巖僧舎苦吟昼夜不眠廃食共忘忽然大疑現前如万里一条層氷裏凍殺胸裡分外清潔而進不得退不得痴々呆々只有無字而已雖陪講筵聞師評唱如数十歩外而聞堂上議論或如在空中行如此者数日乍一夜聴鐘声発転如擲砕氷盤似摧倒玉楼忽然蘇息来自身直是岩頭和尚貫通三世不損毫毛従前疑惑尽底氷消高声叫曰也大奇也大奇無生死可出無菩提可求伝灯千七百箇葛藤不足消一捏於此慢憧山発憍心潮湧心窃謂二三百年来如予痛快打発底不可有之荷一段所見直行信陽謁正受老師演所見呈偈師左手握言偈曰者箇是学得底那箇是見得底伸右手予曰若有見得底可呈師須吐却作嘔吐声師云趙州無字作麼生見予曰無字有甚麼所肯手脚師以指拶予鼻曰多少著手脚了也予擬議師大笑云此守蔵窮鬼子予不顧師曰儞恁麼為足那予曰有甚麼不足処師挙南泉遷化話予掩耳出師曰闍梨予囘頭師曰此守蔵窮鬼子従此大凡毎見予尽言守蔵窮鬼子一夕師納涼坐櫺端予亦呈偈師曰妄想情解予高声叫曰妄想情解師即提住予瞠挙二三十終突落堂下時五月四日夜霖雨後也予在泥土上仮臥気息共尽去死十分動亦不得師在簷上呵々大笑少焉蘇息起来作礼通身汗流師高声叫曰此守蔵窮鬼子於此親参南泉遷化話寝食共廃一日有些省覚入室種種下語不契只云守蔵窮鬼子予心窃謂辞去往佗方一日往城下托鉢有狂人欲把苕箒打予予不覚打破南泉遷化話其余数段因縁疏山寿塔話大恵荷葉団々頌自謂尽打発帰来演所見師総不可杳只微々笑而已従此休言守蔵窮鬼子
書き下し
二十二にして若州に從ひ、虛堂の勝會に交はり、乍ち省覺す。其の後、豫州に在りて佛祖三經を讀み、大いに猛省す。聲夜、無字を提起して片時も休まず、只だ純一無雜、打成一片ならざるを愁ひ、又た寤寐恒一なる能はざるを愁ふ。二十四歲の春、越の英巖の僧舍に在りて、苦吟して晝夜眠らず、廢食共に忘る。忽然として大疑現前す。萬里一條の層氷裏に凍殺せられたるが如く、胸裡分外に清潔にして、進むを得ず、退くを得ず、癡々呆々として、只だ無字有るのみ。講筵に陪して師の評唱を聞くも、數十步外にして堂上の議論を聞くが如く、或いは空中を行くが如し。此くの如き者數日。乍ち一夜、鐘聲を聽きて、發轉す。碎氷の盤を擲つが如く、玉樓を摧倒するに似たり。忽然として蘇息し來たるに、自身、直に是れ巖頭和尚、三世を貫通して毫毛をも損せず。從前の疑惑、盡く底に氷消す。高聲に叫びて曰く、也た大奇なり、也た大奇なり。生死の出づべき無く、菩提の求むべき無し。傳燈千七百箇の葛藤、一捏を消するに足らず、と。此に於いて慢幢山のごとく憍心潮のごとく湧く。心に竊かに謂へらく、二三百年來、予が如く痛快に打發する底、之有るべからず、と。一段の所見を荷ひて、直ちに信陽に行き、正受老師に謁し、所見を演べて偈を呈す。師、左手に握りて言ふ、偈は曰く、者箇は是れ學び得たる底か、那箇は是れ見得たる底か、と。右手を伸ぶ。予曰く、若し見得たる底有らば、師に呈すべし、と。師曰く、須く吐却すべし、と。嘔吐の聲を作す。師云く、趙州の無字、作麼生か見る、と。予曰く、無字、甚麼の手脚を肯ふ所か有らん、と。師、指を以て予が鼻を拶して曰く、多少か手脚を著け了れり、と。予、擬議す。師、大笑して云く、此の守藏窮鬼子、と。予、顧みず。師曰く、儞、恁麼にして足れりと爲すか、と。予曰く、甚麼の不足の處か有らん、と。師、南泉遷化の話を擧す。予、耳を掩ひて出づ。師曰く、闍梨、と。予、頭を囘らす。師曰く、此の守藏窮鬼子、と。此れ從り、大凡そ予を見る毎に盡く守藏窮鬼子と言ふ。一夕、師、涼を納れて櫺端に坐す。予も亦た偈を呈す。師曰く、妄想情解、と。予、高聲に叫びて曰く、妄想情解、と。師、卽ち提住して、予を瞠擧すること二三十、終に堂下に突き落とす。時に五月四日、夜、霖雨の後なり。予、泥土の上に假臥し、氣息共に盡き、死に去ること十分、動くことも亦た得ず。師、簷上に在りて呵々大笑す。少焉ありて蘇息し、起き來たりて禮を作せば、通身汗流る。師、高聲に叫びて曰く、此の守藏窮鬼子、と。此に於いて親しく南泉遷化の話に參じ、寢食共に廢す。一日、些か省覺有り、入室して種種に語を下せども契はず。只だ守藏窮鬼子と云ふ。予、心に竊かに謂ひ、辭去して佗方に往く。一日、城下に往きて托鉢するに、狂人有りて苕箒を把りて予を打たんと欲す。予、覺えず南泉遷化の話を打破す。其の餘の數段の因緣、疏山壽塔の話、大惠荷葉團々の頌、自ら謂へらく、盡く打發し了れり、と。歸り來たりて所見を演ぶるに、師、總べて杳すを可とせず、只だ微々として笑ふのみ。
現代語訳
二十二歳のとき、若州で虚堂の勝会に交わり、たちまち省覚した。その後、予州で仏祖三経を読んで大いに猛省し、夜ごと無字を提起して片時も休まず、ただ純一無雑で打成一片になれないのを愁い、また寤寐恒一になれないのを愁えた。二十四歳の春、越後の英巌の僧舎で、苦吟して昼夜眠らず、食事も忘れていたところ、たちまち大疑が現前した。万里に一条の氷が張り、その氷の中で凍え死ぬようで、胸中はひときわ清潔、進むことも退くこともできず、ぼうっとして、ただ無字があるのみであった。講筵に陪して師の評唱を聞いても、数十歩の外で堂上の議論を聞くようで、あるいは空中を歩くようであった。こうして数日、ある夜、鐘の音を聞くや、まるで氷の盤を投げ砕き、玉の楼を倒し砕くように、忽然として蘇った。自身がそのまま巌頭和尚であり、三世を貫通して毫毛も損なわず、これまでの疑惑はことごとく氷のように消えた。高声で叫んだ。「大奇、大奇。生死に出るべきものはなく、菩提に求めるべきものはない。伝灯録の千七百則の葛藤も、一捻りで消せないほどのものではない」と。ここで慢心が山のように起こり、驕りの心が潮のように湧き、心ひそかに、二三百年来、私のように痛快に打発した者はあるまいと思った。そこで一段の見解を担って、まっすぐ信州へ行き、正受老人に謁し、見解を述べて偈を呈した。師は左手で握って言った。「この偈は学び得たものか、それとも見得たものか」と。右手を伸ばした。私は言った。「もし見得たものがあれば、師に呈しましょう」と。師は言った。「吐き出せ」と。嘔吐の声を出した。師は言った。「趙州の無字を、どう見るか」と。私は言った。「無字に、手足を置く余地などありましょうか」と。師は指で私の鼻をつまんで言った。「ずいぶん手足を置いているぞ」と。私がためらうと、師は大笑して言った。「この守蔵窮鬼子め」と。私は顧みなかった。師は言った。「お前はそれで足れりとするのか」と。私は言った。「何の不足がありましょう」と。師は南泉遷化の話を挙げた。私は耳を覆って出た。師は言った。「闍梨」と。私が頭を回らすと、師は言った。「この守蔵窮鬼子め」と。これより、およそ私を見るたびにいつも守蔵窮鬼子と言われた。ある夕方、師が涼を取って縁側の端に坐っていた。私もまた偈を呈した。師は言った。「妄想情解だ」と。私は高声で叫んだ。「妄想情解」と。師はすぐ私をつかまえ、二、三十回も打ち据えたうえ、ついに堂の下へ突き落とした。時に五月四日、夜の長雨の後であった。私は泥土の上に仮に臥し、息もともに尽きて死ぬ寸前、動くこともできなかった。師は軒の上で呵々大笑された。しばらくして蘇生して起き上がり、礼拝すると、全身に汗が流れた。師は高声で叫んだ。「この守蔵窮鬼子め」と。ここで親しく南泉遷化の話に参じ、寝食ともに廃した。ある日、いささかの省覚があって入室し、さまざまに下語したが契わず、ただ「守蔵窮鬼子」と言われた。私は心中ひそかに思うところがあり、辞去して他方へ行った。ある日、城下に托鉢に行くと、狂人が箒で私を打とうとした。私は思わず南泉遷化の話を打ち破った。そのほか数段の因縁、疏山寿塔の話、大慧の荷葉団団の頌など、自ら残らず打発したと思った。帰って見解を述べると、師はいっさい許さず、ただかすかに微笑するだけであった。
解説

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