遠羅天釜 / 『遠羅天釜』悟後の深まりと諸子への勧め
其後省悟大歡喜者三兩囘所恨語路有到有不到平生如燈影裏行歸來侍病於如何老人一日看讀息耕老師送南浦和尚偈相送當門有修竹爲君葉々起淸風大歡喜如獲夜光於暗路不覺高聲曰我今日始入得語言三昧立禮拜矣其後行脚路歷勢陽一日衝大雨行雨水到膝廓然深入得荷葉團々句中歡喜不得立放身倒水中忘却起立腰包皆浸行人怪立扶起予呵々大笑人皆以爲狂矣其冬在泉州信旧僧堂夜坐聽雪有得所翌年住濃東靈松僧堂經行忽然打失從前多少所得大歡喜三十二歲住此破院一夜夢吾母以紫絹衣附予提起覺兩袖甚重探之各有一面古鏡徑可五六寸右手者光輝透徹心肝自心及山河大地如澄潭無底左手者全面無一點光耀其面如新鍋未觸火氣者忽然覺左邊光輝勝右邊百千億倍從此見萬物如見自己而初了知如來目見佛性後來因取碧巖錄讀從前所見大異其後一夜把法華經讀乍徹見法華圓頓眞正奧義打破最初一團疑惑覺得從上多少悟解了知大錯了不覺放聲啼泣須知參禪甚不容易今雖放蕩老懶到毫釐無所可取自覺四十年終不空送却光陰非是所以張五在楊州放金艱辛者哉予亦效吾予擔一且所見揩磨淨盡錯一生了與彼張六死守一鋌金窮餓其身困煎其心肝何得異天竺此言二乘長者窮子漢土此言默照邪禪流類是皆不知菩薩威儀不明佛國土因緣之所致也今時往々擔一片空理會佛會祖會古則公案了盡言如棒如陀羅尼如一喝大可笑勉旃諸子佛道深遠須知如海轉入轉深似山轉上轉高若欲知自家得力當否如何先須參南泉遷化話昔三聖敎秀上座去問長沙岑禪師南泉遷化後作麼生沙云石頭爲沙彌時見六祖秀云不問爲沙彌時南泉遷化後作麼生沙云使伊尋思去秀云和尚雖有千尺寒松且無抽條筍長沙無語秀歸擧示三聖三聖不覺吐舌曰勝臨濟七步此語若得見得分明許儞得小分相應何故無人獨語者其賤如鼠以何爲驗鼓牙三下合掌曰漸
新字:其後省悟大歓喜者三両囘所恨語路有到有不到平生如灯影裏行帰来侍病於如何老人一日看読息耕老師送南浦和尚偈相送当門有修竹為君葉々起清風大歓喜如獲夜光於暗路不覚高声曰我今日始入得語言三昧立礼拝矣其後行脚路歴勢陽一日衝大雨行雨水到膝廓然深入得荷葉団々句中歓喜不得立放身倒水中忘却起立腰包皆浸行人怪立扶起予呵々大笑人皆以為狂矣其冬在泉州信旧僧堂夜坐聴雪有得所翌年住濃東霊松僧堂経行忽然打失従前多少所得大歓喜三十二歳住此破院一夜夢吾母以紫絹衣附予提起覚両袖甚重探之各有一面古鏡径可五六寸右手者光輝透徹心肝自心及山河大地如澄潭無底左手者全面無一点光耀其面如新鍋未触火気者忽然覚左辺光輝勝右辺百千億倍従此見万物如見自己而初了知如来目見仏性後来因取碧巖録読従前所見大異其後一夜把法華経読乍徹見法華円頓真正奥義打破最初一団疑惑覚得従上多少悟解了知大錯了不覚放声啼泣須知参禅甚不容易今雖放蕩老懶到毫釐無所可取自覚四十年終不空送却光陰非是所以張五在楊州放金艱辛者哉予亦効吾予担一且所見揩磨浄尽錯一生了与彼張六死守一鋌金窮餓其身困煎其心肝何得異天竺此言二乗長者窮子漢土此言黙照邪禅流類是皆不知菩薩威儀不明仏国土因縁之所致也今時往々担一片空理会仏会祖会古則公案了尽言如棒如陀羅尼如一喝大可笑勉旃諸子仏道深遠須知如海転入転深似山転上転高若欲知自家得力当否如何先須参南泉遷化話昔三聖教秀上座去問長沙岑禅師南泉遷化後作麼生沙云石頭為沙弥時見六祖秀云不問為沙弥時南泉遷化後作麼生沙云使伊尋思去秀云和尚雖有千尺寒松且無抽条筍長沙無語秀帰挙示三聖三聖不覚吐舌曰勝臨済七歩此語若得見得分明許儞得小分相応何故無人独語者其賤如鼠以何為験鼓牙三下合掌曰漸
書き下し
其の後、省悟して大いに歡喜すること三兩囘。恨む所は、語路に到ること有り、到らざること有りて、平生、燈影裏を行くが如し。歸り來たりて病に如何老人に侍す。一日、息耕老師の南浦和尚を送るの偈を看讀するに、相ひ送るに門に當たりて修竹有り、君が爲に葉々、淸風を起こす、と。大いに歡喜すること、夜光を暗路に獲るが如く、覺えず高聲に曰く、我、今日始めて語言三昧に入り得たり、と。立ちて禮拜す。其の後、行脚の路、勢陽を歷たり。一日、大雨を衝きて行くに、雨水、膝に到る。廓然として荷葉團々の句に深く入り得たり。歡喜して立つを得ず、身を放ちて水中に倒れ、起立を忘却す。腰包皆浸る。行人、怪しみて扶け起こす。予、呵々大笑す。人皆な以て狂と爲す。其の冬、泉州の信旧の僧堂に在りて、夜坐して雪を聽き、得る所有り。翌年、濃東の靈松の僧堂に住し、經行するに忽然として從前多少の所得を打失し、大いに歡喜す。三十二歲、此の破院に住す。一夜、吾が母、紫絹の衣を以て予に附し、提起せしむと夢む。覺むれば兩袖甚だ重し。之を探るに、各々一面の古鏡有り、徑五六寸ばかり。右手の者は光輝透徹して心肝、自心より山河大地に及び、澄潭の底無きが如し。左手の者は全面に一點の光耀無く、其の面、新鍋の未だ火氣に觸れざる者の如し。忽然として覺ゆ、左邊の光輝、右邊に勝ること百千億倍なるを。此れ從り萬物を見ること、自己を見るが如くして、初めて如來の目もて佛性を見ることを了知す。後來、碧巖錄を取りて讀むに因りて、從前の所見と大いに異なり。其の後、一夜、法華經を把りて讀み、乍ち法華圓頓眞正の奧義を徹見し、最初の一團の疑惑を打破し、從上多少の悟解を覺得して、大錯なりと了知す。覺えず聲を放ちて啼泣す。須らく知るべし、參禪は甚だ容易ならざることを。今、放蕩老懶にして、毫釐も取るべき所無しと雖も、自ら覺ゆ、四十年、終に光陰を空しく送却せざることを。是れ張五の楊州に在りて金を放ちて艱辛せし所以の者に非ずや。予も亦た吾に效ひ、予、一片の所見を擔ひて揩磨し淨盡して、一生を錯了するは、彼の張六の一鋌の金を死守して其の身を窮餓せしめ、其の心肝を困煎するに與して、何ぞ異なるを得ん。天竺、此れを二乘・長者窮子と言ひ、漢土、此れを默照邪禪と言ふ。流類、是れ皆な菩薩の威儀を知らず、佛國土の因緣を明らめざるの致す所なり。今時、往々にして一片の空理會を擔ひ、佛を會し、祖を會し、古則公案を會し了盡すと言ひ、棒も陀羅尼の如く、一喝も大いに笑ふべしと言ふ。勉旃せよ、諸子。佛道は深遠なり。須らく知るべし、海の如く、入るに轉た深く、山に似て、上るに轉た高し。若し自家の得力の當否を知らんと欲せば、先づ須らく南泉遷化の話に參ずべし。昔、三聖、秀上座をして長沙岑禪師に問はしむ、南泉遷化の後、作麼生、と。沙云く、石頭、沙彌爲りし時、六祖に見ゆ、と。秀云く、沙彌爲りし時を問はず、南泉遷化の後、作麼生、と。沙云く、伊をして尋思し去らしめよ、と。秀云く、和尚、千尺の寒松有りと雖も、且く抽條の筍無し、と。長沙、語無し。秀、歸りて三聖に擧示す。三聖、覺えず舌を吐きて曰く、臨濟の七步に勝れり、と。此の語、若し見得して分明ならば、儞に小分の相應を得ることを許さん。何が故ぞ。人の獨語する者無きは、其の賤、鼠の如し。何を以て驗と爲す。牙を鼓すること三下、合掌して曰く、漸、と。
現代語訳
その後、省悟して大いに歓喜することが二、三回あったが、恨むらくは、語路に到る所と到らない所があり、平生は灯影の中を行くようであった。帰って、病の如何老人に侍していたある日、息耕老師が南浦和尚を送る偈を読んだ。「相送って門に当たれば修竹あり、君がために葉葉清風を起こす」と。大いに歓喜し、闇路で夜光の珠を得たようで、思わず高声で言った。「私は今日、初めて語言三昧に入り得た」と。立って礼拝した。その後、行脚の途中、勢陽を通った。ある日、大雨を衝いて行くと、雨水が膝に至った。廓然として荷葉団団の句に深く入り得た。歓喜のあまり立っておれず、身を水の中に倒し、起き上がるのも忘れ、腰の包みもみな濡れた。行く人が怪しんで助け起こした。私は呵々大笑したが、人々はみな狂人だと思った。その冬、泉州の信旧の僧堂で夜坐して雪を聴き、得るところがあった。翌年、濃東の霊松の僧堂に住み、経行していると、忽然としてこれまでに得たもののあれこれを打ち失い、大いに歓喜した。三十二歳で、この破れ寺に住んだ。ある夜、私の母が紫の絹の衣を私に着せかけて、持ち上げさせる夢を見た。目覚めると両の袖が甚だ重い。探ると、それぞれ一面の古鏡があった。径は五、六寸ほどで、右の手のものは光り輝き透徹して心肝を照らし、自心から山河大地に及んで、底なしの澄んだ淵のようであった。左の手のものは全面に一点の光もなく、その面は新しい鍋がまだ火気に触れていないようであった。ところが忽然として、左の光が右の光に百千億倍勝っていると覚えた。これより万物を見ること自己を見るようで、初めて、如来が目で仏性を見ることを了知した。のち碧巌録を取って読むと、これまでの見解とは大いに異なっていた。その後ある夜、法華経を取って読むうち、たちまち法華の円頓真正の奥義を徹見し、最初の一団の疑惑を打ち破り、これまでの多くの悟解を、大きな誤りであったと了知して、思わず声を放って泣いた。知るがよい、参禅は決して容易ではない。今は放蕩して老い懶(ものぐさ)になり、わずかも取るべきところはないが、四十年、ついに光陰を空しく送らなかったと自ら覚える。これは、張五が揚州で金を放って艱辛を尽くしたのと同じ所以ではないか。私もまた張五にならう。一片の見解を担ってそれを磨き尽くし、一生を誤るのは、かの張六が一塊の金を死守して、その身を窮餓させ、その心肝を困煎するのと、どうして異なろうか。天竺でこれを二乗・長者窮子と言い、漢土でこれを黙照邪禅と言う。この類は、いずれも菩薩の威儀を知らず、仏国土の因縁を明らかにしないために至ったものである。今時、往々にして一片の空理会を担い、仏を会し、祖を会し、古則公案を会し尽くしたと言い、棒も陀羅尼のようなもの、一喝も大いに笑うべきものだと言う。励みなさい、諸子よ。仏道は深遠である。知るがよい、海のように入るほど深く、山のように登るほど高い。もし自らの得力が適当かどうかを知ろうと思うなら、まず南泉遷化の話に参じなさい。昔、三聖が秀上座に長沙岑禅師へ問わせた。「南泉遷化の後はどうか」と。長沙は言った。「石頭は沙弥のとき六祖に会った」と。秀は言った。「沙弥のときは問わない。南泉遷化の後はどうか」と。長沙は言った。「彼に思案させに行かせよ」と。秀は言った。「和尚には千尺の寒松があっても、枝を伸ばす筍はない」と。長沙は言葉がなかった。秀が帰って三聖に報告すると、三聖は思わず舌を吐いて言った。「臨済の七歩に勝る」と。この語をはっきり見得するなら、お前に小分の相応を許そう。なぜか。独り言をいう者はいないが、その賤しさは鼠のようである。何をもって験とするか。牙を三たび打ち鳴らし、合掌して言う、「漸」と。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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遠羅天釜・『遠羅天釜』静中の偏りと動中の工夫老夫も若かりし時工夫趣向惡く心源湛寂の處を佛道なりと相心得動中を嫌ひ靜處を好んで常に陰僻の處を尋ねて死坐す假初の塵事にも胸塞り心火逆上し動中には一向に入る事得ず擧措驚悲多く心身鎭へに怯弱にして兩腋常に汗を生じ雙眼斷へず淚を帶常に悲歎の心多く學道得力の覺へは毛頭も侍らざりき何の幸ぞや中頃よき知識の指南を受て內觀の秘訣を傳受し密々に精修する者三年從前難治の重痾はいつしか霜雪の朝曦に向ふが如く次第に消融し宿昔齒牙を挾む事得ざる底の難信難透難解難入底の惡毒の話頭は病ひに和して氷消し今歲從心の齡を經と云へども三四十歲の時より氣力十倍し心身ともに勇壯にして脇席を濕さず恣に偃臥せざる者動もすれば二三七日を經る事間此あれども心力衰減せず三百五百の燕頷虎頭に圍遶せられて經論を講演し語錄を評唱して三旬五旬を經れども曾て疲倦の色なき者は自ら覺ふ此の內觀の力による事を初め養生を第一とし內觀工夫の間求めざるに不慮の省悟得力幾度と云ふ數を知ず只動靜の二境を嫌はず取ず密々に進修しもて行事第一の行持に侍り往々に靜中の工夫は思の外に墓行樣に思はれ動中の工夫は一向に墓行ぬ樣に覺へらるゝ事に侍れど靜中の人は必ず動中には入る事得ずたま〱動境塵務の中に入る時は平生の會處得力は迹形もなく打失し一點の氣力無して結句尋常一向に心がけこれ無人よりは劣りて芥許りの事にも動轉して思ひの外に癔病なる心地あつて卑怯の働きも間多き者に侍り然らば則ち何を指てか得力と云んや去程に大慧禪師も動中の工夫は靜中に勝る事百千億倍すと申し置かれ侍り博山は動中の工夫成し上らざる事一百二十斤の重擔を荷つて羊額嶺頭に上るか如しと申されき蓋かく云へばとて靜中を捨嫌つて故意に動處を求め玉へと云にはあらず只動靜の二境を覺へず知らぬ程工夫純一なるを貴さす所以に言ふ眞正參禪の衲子は行て行事を知らず坐して坐する事を知らずと中に就きて眞實自性の淵源に徹底して一切處に於て受用する底の氣力を得んとならば動中の工夫に越たる事は侍るべからず
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遠羅天釜・『遠羅天釜』悟った気の安閑は張六と同じ參學も亦た斯くの如し。初め儞の得る所は卽ち是れ人人本具の性、唯有一乘の法華の眞面目なり。我が得る所も亦た人々本具の性、唯有一乘の法華の眞面目なり。此れ見性は是れ性を見ると言ふ。初め見道從り終に種智成就に到るまで、毫釐も變遷無きこと、一鋌の大冶の精金の如し。故に言ふ、初發心の時、便ち正覺を成ず、と。敎家は此れを十住の初住と言ふ。轉た最後の重關有り。誰か知らん、祖庭、猶ほ天涯を隔てて在ることを。往々にして此の一片の所見を擔ひ、乃ち曰く、我、今、旣に朕兆未發以前、佛祖未興の處に向かひて立つ。者裡には全く生死無く、涅槃無く、煩惱無く、菩提無し。一代藏經は不淨を拭ふ故紙、菩薩羅漢は厠穢の如し。參禪學道は閑妄想、古則公案は眼中の翳なり。者裡には無く、今時には無く、那邊には無し。佛を求めず、祖を求めず、饑ゑては飯し、困しては眠る、何の欠少する所か有らん、と。者般の見解は、佛祖も亦た醫するを得ず。只だ日日に安閑の處を求め、今日は只だ恁麼に死猶狙地に去り、明日も亦た恁麼に死猶狙地に去る。縱ひ恁麼にして無數劫を歷るとも、依然として只だ是れ一箇の死猶狙墀なり。什麼の用をか作さん。如來は此れを疥癩の野干の身莊嚴に比して呵し、蚯蚓の智と爲す。淨名は焦芽敗種の部類と曰ふ。長沙の此れ百尺竿頭不動の人と言ひ、臨濟の湛々たる黑暗の深坑と言ふは、是れ見地を脫せざるを言ふ。所謂る機、位を離れず、毒海に墮在する者なり。只だ一片の所見を執して揩磨し淨盡して、一生を錯了するは、彼の張六が一鋌の金を懷きて困倦逼迫し、死に去ること十分なるが如し。慈明・黃龍・眞淨・晦堂・息耕・大惠の諸老、力を盡くして攘斥すれども、救ひ得ず。