遠羅天釜 / 『遠羅天釜』心の外に法華経なし
老夫當秋より法華講演の刻み心の外に法華經なく法華經の外に心無と申し談じたりしを聞及ばれ怪き事に思して書通を以てなりとも右の道理を申し越し其外にも有難き事どもこれあらば書付遣し候樣にとの御事これによつて大略の趣書付進じ候間何遍も繰かへし披覽致され能々得心これあるべく候成程我等常々申し談じ候通り心の外に華法經なく法華經の外に心なく心の外に十界なく十界の外に法華經なし是即ち决定至極の法理にて愚老に限ず三世の如來も十方の賢聖も極處に到つては皆々かくの如く說給ふ事にて法華本文の大意は大段此等の趣を宣給ひたる事にて此外にも八萬四千の法門を設け給ひたれども皆權敎の說にして方便の間を出ず至極に到りては一切衆生と三世十方の如來と山河大地と法華經と悉く不二同體なる法理を諸法實相と說給ひたる是即ち佛道の大綱なり大凡世尊一代頓漸秘密不定の法門有て無量の妙義をのべ給ひて五千四十八卷の諸經あれども其中の至極の旨は法華一部八卷の中に促り法華一部六萬四千三百六十餘字の極意は妙法蓮華經の五字に促り妙法蓮華經の五字は妙法の二字に促り妙法の二字は心の一字に歸す心の一字は却て何の處にか歸すとならば兎角龜毛過別山畢竟如何欲知無限傷春意盡在停針不語時さる程に妙法の一心は屈る則んば十方法界を含容し收る則んは無念無心の自性に歸す此故に心外無法とも說給ひ三界唯心とも諸法實相とも說給ひぬ其極處に到つては法華經と云ひ無量壽佛と云ひ禪門には本來の面目と云ひ眞言には阿字不生の日輪と云ひ律家には根本無作の戒體と云ふ皆是一心の異名なりと覺悟致さるべし然るに妙法蓮華經の五字一心の源を指とは如何なる證據かあるとならば取も直さず直に此妙法蓮華經の五字よきたしかなる證據にて侍り如何となれば妙法蓮華經とは一心不思議の德を讚歎したる題號にて一心本具の性德を指顯したる言葉なり
新字:老夫当秋より法華講演の刻み心の外に法華経なく法華経の外に心無と申し談じたりしを聞及ばれ怪き事に思して書通を以てなりとも右の道理を申し越し其外にも有難き事どもこれあらば書付遣し候様にとの御事これによつて大略の趣書付進じ候間何遍も繰かへし披覧致され能々得心これあるべく候成程我等常々申し談じ候通り心の外に華法経なく法華経の外に心なく心の外に十界なく十界の外に法華経なし是即ち決定至極の法理にて愚老に限ず三世の如来も十方の賢聖も極処に到つては皆々かくの如く説給ふ事にて法華本文の大意は大段此等の趣を宣給ひたる事にて此外にも八万四千の法門を設け給ひたれども皆権教の説にして方便の間を出ず至極に到りては一切衆生と三世十方の如来と山河大地と法華経と悉く不二同体なる法理を諸法実相と説給ひたる是即ち仏道の大綱なり大凡世尊一代頓漸秘密不定の法門有て無量の妙義をのべ給ひて五千四十八巻の諸経あれども其中の至極の旨は法華一部八巻の中に促り法華一部六万四千三百六十余字の極意は妙法蓮華経の五字に促り妙法蓮華経の五字は妙法の二字に促り妙法の二字は心の一字に帰す心の一字は却て何の処にか帰すとならば兎角亀毛過別山畢竟如何欲知無限傷春意尽在停針不語時さる程に妙法の一心は屈る則んば十方法界を含容し収る則んは無念無心の自性に帰す此故に心外無法とも説給ひ三界唯心とも諸法実相とも説給ひぬ其極処に到つては法華経と云ひ無量寿仏と云ひ禅門には本来の面目と云ひ真言には阿字不生の日輪と云ひ律家には根本無作の戒体と云ふ皆是一心の異名なりと覚悟致さるべし然るに妙法蓮華経の五字一心の源を指とは如何なる証拠かあるとならば取も直さず直に此妙法蓮華経の五字よきたしかなる証拠にて侍り如何となれば妙法蓮華経とは一心不思議の徳を讃嘆したる題号にて一心本具の性徳を指顕したる言葉なり
書き下し
老夫當秋より法華講演の刻み心の外に法華經なく法華經の外に心無と申し談じたりしを聞及ばれ怪き事に思して書通を以てなりとも右の道理を申し越し其外にも有難き事どもこれあらば書付遣し候樣にとの御事これによつて大略の趣書付進じ候間何遍も繰かへし披覽致され能々得心これあるべく候成程我等常々申し談じ候通り心の外に華法經なく法華經の外に心なく心の外に十界なく十界の外に法華經なし是即ち决定至極の法理にて愚老に限ず三世の如來も十方の賢聖も極處に到つては皆々かくの如く說給ふ事にて法華本文の大意は大段此等の趣を宣給ひたる事にて此外にも八萬四千の法門を設け給ひたれども皆權敎の說にして方便の間を出ず至極に到りては一切衆生と三世十方の如來と山河大地と法華經と悉く不二同體なる法理を諸法實相と說給ひたる是即ち佛道の大綱なり大凡世尊一代頓漸秘密不定の法門有て無量の妙義をのべ給ひて五千四十八卷の諸經あれども其中の至極の旨は法華一部八卷の中に促り法華一部六萬四千三百六十餘字の極意は妙法蓮華經の五字に促り妙法蓮華經の五字は妙法の二字に促り妙法の二字は心の一字に歸す心の一字は却て何の處にか歸すとならば兎角龜毛過別山畢竟如何欲知無限傷春意盡在停針不語時さる程に妙法の一心は屈る則んば十方法界を含容し收る則んは無念無心の自性に歸す此故に心外無法とも說給ひ三界唯心とも諸法實相とも說給ひぬ其極處に到つては法華經と云ひ無量壽佛と云ひ禪門には本來の面目と云ひ眞言には阿字不生の日輪と云ひ律家には根本無作の戒體と云ふ皆是一心の異名なりと覺悟致さるべし然るに妙法蓮華經の五字一心の源を指とは如何なる證據かあるとならば取も直さず直に此妙法蓮華經の五字よきたしかなる證據にて侍り如何となれば妙法蓮華經とは一心不思議の德を讚歎したる題號にて一心本具の性德を指顯したる言葉なり
現代語訳
私は今年の秋から法華経の講義をした折、心の外に法華経はなく、法華経の外に心はない、と話した。それをお聞きになって、怪しいことと思われ、書面ででもその道理を知らせてほしい、そのほかにも有難いことがあれば書き送ってほしいとの仰せであった。そこで大略の趣を書いてさしあげるので、何度も繰り返し読んで、よく納得されるがよい。まことに私が常々話すとおり、心の外に法華経はなく、法華経の外に心はなく、心の外に十界はなく、十界の外に法華経はない。これこそ決定至極の法理であって、私一人に限らず、過去・現在・未来の如来も十方の賢者聖者も、究極に至ってはみなこのように説かれたことで、法華経の本文の大意は、おおむねこうした趣旨を述べたものである。このほかにも八万四千の法門を設けられたが、みな方便の教え(権教)の説であって、方便の範囲を出ない。究極に至っては、一切衆生と三世十方の如来と山河大地と法華経とが、ことごとく不二一体であるという法理を、諸法実相と説かれた。これがすなわち仏道の大綱である。そもそも釈尊一代の、頓教・漸教・秘密教・不定教の法門があって無量の妙義を述べられ、五千四十八巻の諸経があるけれども、その中の至極の趣旨は法華一部八巻の中に集約され、法華一部六万四千三百六十余字の極意は妙法蓮華経の五字に集約され、妙法蓮華経の五字は妙法の二字に集約され、妙法の二字は心の一字に帰する。では、心の一字はさらにどこに帰するのかといえば、兎角亀毛(有りもしないものの喩え)、別の山を過ぎ去る、結局どうなのか。無限の春を傷む思いを知ろうとするなら、すべては針仕事の手を止めて黙っている時にある。だから、妙法の一心は、広げれば十方法界を包み込み、収めれば無念無心の自性に帰する。このゆえに、心外無法とも、三界唯心とも、諸法実相とも説かれた。その究極に至っては、法華経と言い、無量寿仏と言い、禅門では本来の面目と言い、真言では阿字不生の日輪と言い、律家では根本無作の戒体と言う。これらはみな一心の異名であると悟られよ。ところで、妙法蓮華経の五字が一心の源を指すというのには、どのような証拠があるのかといえば、まさにこの妙法蓮華経の五字こそが、確かなよい証拠である。なぜなら、妙法蓮華経とは、一心の不思議な徳を讃歎した題号であり、一心が本来そなえている性徳を指し示した言葉だからである。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
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