不動智神妙録 / 一心の明らめやう
神道、歌道、儒道とて道多く候へども、皆この一心の明なる所を申し候、言葉にて心を講釋したぶんにてはこの一心人と我身にあたりて、晝夜善事惡事とも業により家を離れ國を亡し其身の程々にしたがひ、善し惡しともに心の業にて候へども、此心を如何やうなるものぞと悟り明らむる人なく候て、皆心に感され候、
新字:神道、歌道、儒道とて道多く候へども、皆この一心の明なる所を申し候、言葉にて心を講釈したぶんにてはこの一心人と我身にあたりて、昼夜善事悪事とも業により家を離れ国を亡し其身の程々にしたがひ、善し悪しともに心の業にて候へども、此心を如何やうなるものぞと悟り明らむる人なく候て、皆心に感され候、
書き下し
神道、歌道、儒道とて道多く候へども、皆この一心の明なる所を申し候、言葉にて心を講釈したぶんにてはこの一心人と我身にあたりて、昼夜善事悪事とも業により家を離れ国を亡し其身の程々にしたがひ、善し悪しともに心の業にて候へども、此心を如何やうなるものぞと悟り明らむる人なく候て、皆心に感され候、
現代語訳
神道、歌道、儒道といって道は多くありますが、みなこの一つの心が明らかなところを言っているのです。言葉で心を講釈するだけでは、この一つの心が、人と自分の身に当たって、昼も夜も善い事も悪い事も、その業によって家を離れ国を滅ぼし、その身の程々に従って、善いことも悪いこともみな心の業なのですが、この心がどのようなものかと悟り明らめる人がいないので、みな心に惑わされているのです。
解説
神道、歌道、儒道と道はさまざまでも、根本はすべて一つの心を明らかにすることにある、と沢庵は言う。宗派や学派の違いを越えて本質を見る視点である。そのうえで、善いことも悪いことも、家を離れることも国を滅ぼすことも、すべて心の働きから生じるのに、その心を明らかにする人がいないと嘆く。組織の盛衰も、突き詰めれば人の心の在り方に行き着く。手法や流派の違いに目を奪われる前に、根本の心を見よという教えである。
この章句が説くこと
一心諸道神道儒道本質業
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孫子・作戦篇故に敵を殺すは怒なり、敵の利を取るは貨なり。故に車戦、車十乗以上を得ば、其の先ず得たる者を賞し、其の旌旗を更め、車は雑えて之に乗り、卒は善くして之を養う。是を敵に勝ちて益々強しと謂う。
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説苑・說叢士は利を以て移らず、患を為して改めず、孝敬忠信の事立てば、死すと雖も悔いず。智にして私を用うるは、愚にして公を用うるに如かず。故に曰く、巧偽は拙誠に如かずと。學問倦まざるは、己を治むる所以なり。教誨厭わざるは、人を治むる所以なり。虛無を貴ぶ所以の者は、變に應じて時に合するを得ればなり。冠故しと雖も、必ず首に加う。履新たなりと雖も、必ず足に關す。上下分有り、相倍くべからず。一心は以て百君に事うべく、百心は以て一君に事うべからず。故に曰く、心を正しくし、又た言を少なくせよと。
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呂氏春秋・論威②人情、生を欲して死を惡み、榮を欲して辱を惡む。死生榮辱の道一なれば、則ち三軍の士、心を一にせしむ可し。