遠羅天釜 / 『遠羅天釜』軟酥丸の観想で気を養う
其後病中などに此物語りを思ひ出し侍れば忽ち慚愧の心起りて病苦も輕く成行樣、に覺へ候故あらまし書付け遣す事延壽堂中の人々病中の道情の一助ともなれがしの心にて侍り去乍ら、如上は正受老漢平生受用底の施藥にして甚だ一味單方攻擊の冷劑なり茲に又一方あり尤も虛弱の人に宜し心氣の勞疲を救ふ事甚だ妙なり上昇を引下げ腰脚を溫め腸胃を調和し眼を明かにし眞智を增長し一切の邪智を除く事大に効あり軟酥丸一劑諸法實相一斤我法二空各々一兩寂滅現前三兩無欲二兩動靜不二三兩絲瓜の皮一分五蘊放下着一斤右七味忍辱の汁に浸す事一夜陰乾して抹す例の通般若波羅蜜を以て調鍊し丸じて鴨卵の大さの如くならしめて頂上に安着す初心の行者は藥種如何斤兩如何を觀ずべからず只色香微妙の軟酥鴨卵の大さの如くなる者我頂上に頓在すと觀ず病者此藥を用ひんと要する時厚く坐物を敷脊梁骨を竪起し目を收めて端坐し徐々として身心を淘定めて須く思惟すべし大凡生を保つの要氣を養ふにしかず氣盡る時は身死す民衰る時は國亡るが如しと此語を三復し了つて正に此觀を成すべし彼頂上に安着する軟酥鴨卵の如くなる者其氣味微妙にして遍く頭顱の間を潤し浸々として潤下し來つて雨肩及び雙臂兩乳胸膈の間肺肝腸胃脊梁臀骨次第に沾注し將去る此時胸中の五積六聚疝癖塊痛心にしたがつて降下する事水の下にをもむくが如し歷々として聲あり遍身を流へ潤して下つて雙脚を溫む足心に至つて即ち止行者再び此想念をなすべし彼浸々として潤下する所の餘流積り湛へ暖醺して恰も世の良醫の種々妙香の藥物を聚め是を煎湯にして浴盤の中に盛湛へて我臍輪以下を漬浸が如しと此觀を作す時唯心所現の故に鼻根希有の香氣を聞身根妙好の輭觸を受身心共に調適なり忽ち積聚を消融し腸胃を調和し肌膚光澤を生じ大に氣力を增す若し時々に此觀を成熟せば何れの病か治せざらん何れの仙か成せざらん此は是養性の秘訣にして長生久視の妙術なり此方始め金仙氏に起つて中頃天台の智者大師に到つて大に勞疲の重痾を治し且其兄陳秦が必死を救ふ澆末難遭の靈方なり宜哉此道今人知得する底希なる事を老僧中頃道士白幽に聞き效驗の遲速は行人の勤と怠とに在く而已怠らざれば長壽を得道ことなかれ鵠林老去て大ひに老婆禪を說と恐くは知音の一見して手を拍して大笑するあらん何が故ぞ不臨亂不見貞臣操不臨財不知義士志
新字:其後病中などに此物語りを思ひ出し侍れば忽ち慚愧の心起りて病苦も軽く成行様、に覚へ候故あらまし書付け遣す事延寿堂中の人々病中の道情の一助ともなれがしの心にて侍り去乍ら、如上は正受老漢平生受用底の施薬にして甚だ一味単方攻撃の冷剤なり茲に又一方あり尤も虚弱の人に宜し心気の労疲を救ふ事甚だ妙なり上昇を引下げ腰脚を温め腸胃を調和し眼を明かにし真智を增長し一切の邪智を除く事大に効あり軟酥丸一剤諸法実相一斤我法二空各々一両寂滅現前三両無欲二両動静不二三両糸瓜の皮一分五蘊放下着一斤右七味忍辱の汁に浸す事一夜陰乾して抹す例の通般若波羅蜜を以て調錬し丸じて鴨卵の大さの如くならしめて頂上に安着す初心の行者は薬種如何斤両如何を観ずべからず只色香微妙の軟酥鴨卵の大さの如くなる者我頂上に頓在すと観ず病者此薬を用ひんと要する時厚く坐物を敷脊梁骨を竪起し目を収めて端坐し徐々として身心を淘定めて須く思惟すべし大凡生を保つの要気を養ふにしかず気尽る時は身死す民衰る時は国亡るが如しと此語を三復し了つて正に此観を成すべし彼頂上に安着する軟酥鴨卵の如くなる者其気味微妙にして遍く頭顱の間を潤し浸々として潤下し来つて雨肩及び双臂両乳胸膈の間肺肝腸胃脊梁臀骨次第に沾注し将去る此時胸中の五積六聚疝癖塊痛心にしたがつて降下する事水の下にをもむくが如し歴々として声あり遍身を流へ潤して下つて双脚を温む足心に至つて即ち止行者再び此想念をなすべし彼浸々として潤下する所の余流積り湛へ暖醺して恰も世の良医の種々妙香の薬物を聚め是を煎湯にして浴盤の中に盛湛へて我臍輪以下を漬浸が如しと此観を作す時唯心所現の故に鼻根希有の香気を聞身根妙好の輭触を受身心共に調適なり忽ち積聚を消融し腸胃を調和し肌膚光沢を生じ大に気力を增す若し時々に此観を成熟せば何れの病か治せざらん何れの仙か成せざらん此は是養性の秘訣にして長生久視の妙術なり此方始め金仙氏に起つて中頃天台の智者大師に到つて大に労疲の重痾を治し且其兄陳秦が必死を救ふ澆末難遭の霊方なり宜哉此道今人知得する底希なる事を老僧中頃道士白幽に聞き効験の遅速は行人の勤と怠とに在く而已怠らざれば長寿を得道ことなかれ鵠林老去て大ひに老婆禅を説と恐くは知音の一見して手を拍して大笑するあらん何が故ぞ不臨乱不見貞臣操不臨財不知義士志
書き下し
其後病中などに此物語りを思ひ出し侍れば忽ち慚愧の心起りて病苦も輕く成行樣、に覺へ候故あらまし書付け遣す事延壽堂中の人々病中の道情の一助ともなれがしの心にて侍り去乍ら、如上は正受老漢平生受用底の施藥にして甚だ一味單方攻擊の冷劑なり茲に又一方あり尤も虛弱の人に宜し心氣の勞疲を救ふ事甚だ妙なり上昇を引下げ腰脚を溫め腸胃を調和し眼を明かにし眞智を增長し一切の邪智を除く事大に効あり軟酥丸一劑諸法實相一斤我法二空各々一兩寂滅現前三兩無欲二兩動靜不二三兩絲瓜の皮一分五蘊放下着一斤右七味忍辱の汁に浸す事一夜陰乾して抹す例の通般若波羅蜜を以て調鍊し丸じて鴨卵の大さの如くならしめて頂上に安着す初心の行者は藥種如何斤兩如何を觀ずべからず只色香微妙の軟酥鴨卵の大さの如くなる者我頂上に頓在すと觀ず病者此藥を用ひんと要する時厚く坐物を敷脊梁骨を竪起し目を收めて端坐し徐々として身心を淘定めて須く思惟すべし大凡生を保つの要氣を養ふにしかず氣盡る時は身死す民衰る時は國亡るが如しと此語を三復し了つて正に此觀を成すべし彼頂上に安着する軟酥鴨卵の如くなる者其氣味微妙にして遍く頭顱の間を潤し浸々として潤下し來つて雨肩及び雙臂兩乳胸膈の間肺肝腸胃脊梁臀骨次第に沾注し將去る此時胸中の五積六聚疝癖塊痛心にしたがつて降下する事水の下にをもむくが如し歷々として聲あり遍身を流へ潤して下つて雙脚を溫む足心に至つて即ち止行者再び此想念をなすべし彼浸々として潤下する所の餘流積り湛へ暖醺して恰も世の良醫の種々妙香の藥物を聚め是を煎湯にして浴盤の中に盛湛へて我臍輪以下を漬浸が如しと此觀を作す時唯心所現の故に鼻根希有の香氣を聞身根妙好の輭觸を受身心共に調適なり忽ち積聚を消融し腸胃を調和し肌膚光澤を生じ大に氣力を增す若し時々に此觀を成熟せば何れの病か治せざらん何れの仙か成せざらん此は是養性の秘訣にして長生久視の妙術なり此方始め金仙氏に起つて中頃天台の智者大師に到つて大に勞疲の重痾を治し且其兄陳秦が必死を救ふ澆末難遭の靈方なり宜哉此道今人知得する底希なる事を老僧中頃道士白幽に聞き效驗の遲速は行人の勤と怠とに在く而已怠らざれば長壽を得道ことなかれ鵠林老去て大ひに老婆禪を說と恐くは知音の一見して手を拍して大笑するあらん何が故ぞ不臨亂不見貞臣操不臨財不知義士志
現代語訳
その後、病中などにこの物語を思い出すと、たちまち恥じ入る心が起こって、病苦も軽くなっていくように思われるので、あらましを書き付けて送る次第である。延寿堂の人々が病中に道心を保つ一助ともなれかし、との心からである。ただし、上に述べたことは、正受老漢が日頃用いておられた施薬で、ひたすら一味の単方で攻める冷たい薬である。ここにまた一つの処方がある。とりわけ虚弱な人によく、心気の疲れを救うことがきわめて妙である。逆上したものを引き下げ、腰や脚を温め、胃腸を調え、目を明らかにし、真の智慧を増し、一切の邪な智を除くのに大いに効き目がある。軟酥丸一剤。諸法実相一斤、我法二空各々一両、寂滅現前三両、無欲二両、動静不二三両、糸瓜の皮一分、五蘊放下着一斤。以上七味を忍辱の汁に一夜浸し、陰干しして粉末にし、いつものとおり般若波羅蜜をもって調え練り、丸めて鴨の卵の大きさにして頭の頂に安置する。初心の行者は、薬の種類がどうか、目方がどうかを観じてはならない。ただ、色も香りも微妙な軟酥の、鴨の卵の大きさのものが、私の頭の頂にぽんと置かれていると観ずるのである。病者がこの薬を用いようとする時は、厚く敷物を敷き、背骨を真っ直ぐに立て、目を収めて端坐し、ゆっくりと身心を整え定めて、必ず次のように思い巡らすべきである。おおよそ生を保つ要は、気を養うことに及ぶものはない。気が尽きる時は身が死ぬ。民が衰える時は国が滅びるようなものだ、と。この語を三度繰り返し終わって、まさにこの観を成ずべきである。あの頭の頂に安置された鴨の卵のような軟酥は、その気味が微妙で、あまねく頭の中を潤し、しみ入るように潤い下ってきて、両肩および両腕、両乳、胸の間、肺、肝、腸、胃、背骨、尻の骨へと次第に染み注いでゆく。このとき胸中の五積六聚、疝癖、塊痛は、心に従って下り降りること、水が低きに向かうようである。はっきりと音を立てて全身を流れ潤して下り、両脚を温め、足の裏に至ってそこで止まる。行者は再びこの想念をなすべきである。あのしみ入るように潤い下った残りが積もり湛えて暖かくたちこめ、あたかも世の良医が種々の妙香の薬物を集め、これを煎じ湯にして浴盤の中に満たし、私の臍から下を浸すようであると。この観を作す時は、唯心所現のゆえに、鼻は希有の香気を嗅ぎ、身は妙好の柔らかな感触を受け、身心ともに調い適う。たちまち積聚は消え融け、胃腸は調和し、肌には光沢を生じ、大いに気力を増す。もし折々にこの観を熟させるなら、どんな病が治らないことがあろう。どんな仙が成らないことがあろう。これは養性の秘訣であり、長生久視の妙術である。この方は、始め金仙(仏)に起こり、中ごろ天台の智者大師に至って、疲労の重い病を大いに治し、かつその兄の陳秦の必死の病を救った、末世に遇いがたい霊方である。もっともなことに、この道を今の人で知り得る者は稀である。老僧は中ごろ道士の白幽に聞いた。効験の遅い速いは、行ずる人の勤めと怠りにある。ただそれだけである。怠らなければ、長寿を得られないなどと言ってはならない。鵠林老(私)は年老いて大いに老婆禅を説いた。おそらくは知音の人が一目見て、手を打って大笑いするであろう。なぜか。乱に臨まなければ貞臣の操は見えず、財に臨まなければ義士の志は知られない。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
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『夜船閑話』本文予が曰く、酥を用るの法得て聞いつべしや。幽が曰く、行者定中、四大調和せず、身心ともに労疲することを覚せば、心を起して応さに此想を成ずべし。譬へば色香清浄の輭蘇鴨卵の大さの如くなる者、頂上に頓在せんに、其気味微妙にして、遍く頭顱の間をうるほし、浸々として潤下し来て、両肩及び双臂、両乳胸膈の間、肺肝腸胃、脊梁臀骨、次第に沾注し将ち去る。此時に当て胸中の五積六聚疝癖塊痛心に随て降下すること、水の下につくが如く、歴々として、声あり。遍身を周流し、双脚を温潤し、足心に至て即ち止む。
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