遠羅天釜 / 『遠羅天釜』静中の偏りと動中の工夫
老夫も若かりし時工夫趣向惡く心源湛寂の處を佛道なりと相心得動中を嫌ひ靜處を好んで常に陰僻の處を尋ねて死坐す假初の塵事にも胸塞り心火逆上し動中には一向に入る事得ず擧措驚悲多く心身鎭へに怯弱にして兩腋常に汗を生じ雙眼斷へず淚を帶常に悲歎の心多く學道得力の覺へは毛頭も侍らざりき何の幸ぞや中頃よき知識の指南を受て內觀の秘訣を傳受し密々に精修する者三年從前難治の重痾はいつしか霜雪の朝曦に向ふが如く次第に消融し宿昔齒牙を挾む事得ざる底の難信難透難解難入底の惡毒の話頭は病ひに和して氷消し今歲從心の齡を經と云へども三四十歲の時より氣力十倍し心身ともに勇壯にして脇席を濕さず恣に偃臥せざる者動もすれば二三七日を經る事間此あれども心力衰減せず三百五百の燕頷虎頭に圍遶せられて經論を講演し語錄を評唱して三旬五旬を經れども曾て疲倦の色なき者は自ら覺ふ此の內觀の力による事を初め養生を第一とし內觀工夫の間求めざるに不慮の省悟得力幾度と云ふ數を知ず只動靜の二境を嫌はず取ず密々に進修しもて行事第一の行持に侍り往々に靜中の工夫は思の外に墓行樣に思はれ動中の工夫は一向に墓行ぬ樣に覺へらるゝ事に侍れど靜中の人は必ず動中には入る事得ずたま〱動境塵務の中に入る時は平生の會處得力は迹形もなく打失し一點の氣力無して結句尋常一向に心がけこれ無人よりは劣りて芥許りの事にも動轉して思ひの外に癔病なる心地あつて卑怯の働きも間多き者に侍り然らば則ち何を指てか得力と云んや去程に大慧禪師も動中の工夫は靜中に勝る事百千億倍すと申し置かれ侍り博山は動中の工夫成し上らざる事一百二十斤の重擔を荷つて羊額嶺頭に上るか如しと申されき蓋かく云へばとて靜中を捨嫌つて故意に動處を求め玉へと云にはあらず只動靜の二境を覺へず知らぬ程工夫純一なるを貴さす所以に言ふ眞正參禪の衲子は行て行事を知らず坐して坐する事を知らずと中に就きて眞實自性の淵源に徹底して一切處に於て受用する底の氣力を得んとならば動中の工夫に越たる事は侍るべからず
新字:老夫も若かりし時工夫趣向悪く心源湛寂の処を仏道なりと相心得動中を嫌ひ静処を好んで常に陰僻の処を尋ねて死坐す仮初の塵事にも胸塞り心火逆上し動中には一向に入る事得ず挙措驚悲多く心身鎮へに怯弱にして両腋常に汗を生じ双眼断へず涙を帯常に悲嘆の心多く学道得力の覚へは毛頭も侍らざりき何の幸ぞや中頃よき知識の指南を受て内観の秘訣を伝受し密々に精修する者三年従前難治の重痾はいつしか霜雪の朝曦に向ふが如く次第に消融し宿昔歯牙を挟む事得ざる底の難信難透難解難入底の悪毒の話頭は病ひに和して氷消し今歳従心の齢を経と云へども三四十歳の時より気力十倍し心身ともに勇壮にして脇席を湿さず恣に偃臥せざる者動もすれば二三七日を経る事間此あれども心力衰減せず三百五百の燕頷虎頭に囲遶せられて経論を講演し語録を評唱して三旬五旬を経れども曽て疲倦の色なき者は自ら覚ふ此の内観の力による事を初め養生を第一とし内観工夫の間求めざるに不慮の省悟得力幾度と云ふ数を知ず只動静の二境を嫌はず取ず密々に進修しもて行事第一の行持に侍り往々に静中の工夫は思の外に墓行様に思はれ動中の工夫は一向に墓行ぬ様に覚へらるゝ事に侍れど静中の人は必ず動中には入る事得ずたま〱動境塵務の中に入る時は平生の会処得力は迹形もなく打失し一点の気力無して結句尋常一向に心がけこれ無人よりは劣りて芥許りの事にも動転して思ひの外に癔病なる心地あつて卑怯の働きも間多き者に侍り然らば則ち何を指てか得力と云んや去程に大慧禅師も動中の工夫は静中に勝る事百千億倍すと申し置かれ侍り博山は動中の工夫成し上らざる事一百二十斤の重担を荷つて羊額嶺頭に上るか如しと申されき蓋かく云へばとて静中を捨嫌つて故意に動処を求め玉へと云にはあらず只動静の二境を覚へず知らぬ程工夫純一なるを貴さす所以に言ふ真正参禅の衲子は行て行事を知らず坐して坐する事を知らずと中に就きて真実自性の淵源に徹底して一切処に於て受用する底の気力を得んとならば動中の工夫に越たる事は侍るべからず
書き下し
老夫も若かりし時工夫趣向惡く心源湛寂の處を佛道なりと相心得動中を嫌ひ靜處を好んで常に陰僻の處を尋ねて死坐す假初の塵事にも胸塞り心火逆上し動中には一向に入る事得ず擧措驚悲多く心身鎭へに怯弱にして兩腋常に汗を生じ雙眼斷へず淚を帶常に悲歎の心多く學道得力の覺へは毛頭も侍らざりき何の幸ぞや中頃よき知識の指南を受て內觀の秘訣を傳受し密々に精修する者三年從前難治の重痾はいつしか霜雪の朝曦に向ふが如く次第に消融し宿昔齒牙を挾む事得ざる底の難信難透難解難入底の惡毒の話頭は病ひに和して氷消し今歲從心の齡を經と云へども三四十歲の時より氣力十倍し心身ともに勇壯にして脇席を濕さず恣に偃臥せざる者動もすれば二三七日を經る事間此あれども心力衰減せず三百五百の燕頷虎頭に圍遶せられて經論を講演し語錄を評唱して三旬五旬を經れども曾て疲倦の色なき者は自ら覺ふ此の內觀の力による事を初め養生を第一とし內觀工夫の間求めざるに不慮の省悟得力幾度と云ふ數を知ず只動靜の二境を嫌はず取ず密々に進修しもて行事第一の行持に侍り往々に靜中の工夫は思の外に墓行樣に思はれ動中の工夫は一向に墓行ぬ樣に覺へらるゝ事に侍れど靜中の人は必ず動中には入る事得ずたま〱動境塵務の中に入る時は平生の會處得力は迹形もなく打失し一點の氣力無して結句尋常一向に心がけこれ無人よりは劣りて芥許りの事にも動轉して思ひの外に癔病なる心地あつて卑怯の働きも間多き者に侍り然らば則ち何を指てか得力と云んや去程に大慧禪師も動中の工夫は靜中に勝る事百千億倍すと申し置かれ侍り博山は動中の工夫成し上らざる事一百二十斤の重擔を荷つて羊額嶺頭に上るか如しと申されき蓋かく云へばとて靜中を捨嫌つて故意に動處を求め玉へと云にはあらず只動靜の二境を覺へず知らぬ程工夫純一なるを貴さす所以に言ふ眞正參禪の衲子は行て行事を知らず坐して坐する事を知らずと中に就きて眞實自性の淵源に徹底して一切處に於て受用する底の氣力を得んとならば動中の工夫に越たる事は侍るべからず
現代語訳
老夫も若かった頃は、工夫の向け方が悪く、心の源が澄み静まった境地を仏道だと心得て、動の中を嫌って静かな所を好み、常に人里離れた所を尋ねて死んだように坐っていた。ちょっとした俗事にも胸がふさがり、心火が逆上し、動の中にはまったく入ることができず、立ち居振る舞いに驚き悲しむことが多く、心身はいつも臆病で、両脇にはいつも汗が出、両眼は絶えず涙を帯び、常に悲嘆の心が多く、学道の手応えを得たという覚えは少しもなかった。何の幸いであろうか、中頃によい師の指南を受けて内観の秘訣を伝授され、ひそかに三年修めたところ、これまでの治りがたい重い病は、いつしか霜や雪が朝日に向かうようにしだいに消え融け、以前は歯が立たなかった、信じがたく透りがたく解きがたく入りがたい悪毒の話頭も、病とともに氷のように消えた。今年は従心の齢を迎えたといっても、三、四十歳の時より気力は十倍し、心身ともに勇壮で、脇を床につけず、気ままに横にもならずに、ともすれば二十一日、三十五日を過ごすこともあるが、心力は衰えない。三百、五百の威風ある雲水に取り囲まれて、経論を講じ語録を評釈して、三十日、五十日を経ても疲れたようすがないのは、自ら思うに、この内観の力によるのである。初め養生を第一とし、内観工夫の間に、求めもしないのに思いがけない悟りと手応えを得たことは、幾度とも数えきれない。ただ動静の二境を嫌わず、取りもせず、ひそかに進み修めていくことが第一の行いである。ともすれば、静中の工夫ははかどるように思われ、動中の工夫はまるではかどらないように感じられるが、静中の人は必ず動中には入れない。たまたま動いている境涯や俗務の中に入る時、平生の会得や手応えは跡形もなく失われ、一点の気力もなく、結局ふだんまったく心がけのない人よりも劣って、ちっぽけなことにも動揺し、思いのほか臆病な心地になり、卑怯な振る舞いも多い。それでは、何をもって手応えがあると言えようか。そのため大慧禅師も、動中の工夫は静中に勝ること百千億倍、と言い置かれている。博山は、動中の工夫が成り上がらないのは、百二十斤の重荷を背負って羊額嶺の頂に登るようなものだ、と言われた。しかしこう言うからといって、静中を捨て嫌って、わざと動の所を求めなさいというのではない。ただ動静の二境を覚えず知らぬほど工夫が純一であることを貴ぶので、こう言うのである。真正の参禅の僧は、行じていて行じていることを知らず、坐していて坐していることを知らない、と言う。なかでも、真実の自性の淵源に徹底して、あらゆる場所で受け用いられる気力を得ようとするなら、動中の工夫にまさるものはない。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
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