遠羅天釜 / 『遠羅天釜』動静の二境と内観の効用
日の昨は遠路御使札益御勇健にて朝鮮人御馳走首尾よく相濟御安堵の旨一段の御事に候草廬恙なく罷在候是又高慮を勞せられ間敷候且又動靜二境の上に於て御工夫怠慢なく御心掛なされ候條珍重の御事に候其外に書中に仰越れ候件々遂一老僧が野情に相契ひ御奇特千萬の御事如何許り悅び入り候總じて一切の修行者精進工夫の間に於て心掛惡く侍れば動靜の二境に障られ昏散の二邊に隔られ心火逆上し肺金痛み悴け元氣虛損して難治の病症を發するも間々多き事に侍り又內觀の眞修に依て能々修錬致し侍れば至極養生の秘訣に契つて心身堅剛に氣力丈夫にして萬事輕快に法成就にも到る事に候去程に大覺調御も阿含部に於て右の趣を委く敎諭此あり天台の智者大師も其大意を汲で摩訶止觀の中に丁寧に示置れ侍り書中の大意は縱ひ何分の聖敎を披覽し何分の法理を觀察し或ひは長坐不臥し或ひは六時行道すと云へども常に心氣をして臍輪氣海丹田腰脚の間に充しめ塵務繁絮の間賓客揖讓の席に於ても片時も放退せざる時は元氣自然に丹田の間に充實して臍下瓠然たる事未だ篠打せざる鞠の如し若人養ひ得て斯の如くなる時は終日坐して曾て飽す終日誦じて曾て倦ず終日書して曾て困せず終日說て曾て屈せず縱ひ日々に萬善を行ずと云へども終に退惰の色なく心量次第に寬大にして氣力常に勇壯なり苦熱煩暑の夏の日も扇せず汗せず玄冬素雪の冬の夜も襪せず爐せず世壽百歲を閱すと云へども齒牙轉堅剛なり怠らざれば長壽を得若それ果して斯の如くならば何れの道か成せざる何れの戒か持たざる何れの定か修せざらん何れの德か充ざらん若又如上の故實に達せず眞修の秘訣を諳んぜず妄りに自ら悟解丁知を求めて觀理度に過ぎ思念節を失する時は胸膈否塞し心火高ぶり上り兩脚氷雪の底に浸すが如く雙耳溪聲の間を行くに齊ふして肺金痛み悴け水分枯渇して終に難治の重症を發して命根も亦保ち難きに至る是たゞ眞修の正路を知ざる故なり寔に悲しむべし蓋し摩訶止觀の中に假緣止諦眞止と申す事の侍り只今申し談ずる內觀の法とはかの假緣止の大略にて侍り
新字:日の昨は遠路御使札益御勇健にて朝鮮人御馳走首尾よく相済御安堵の旨一段の御事に候草廬恙なく罷在候是又高慮を労せられ間敷候且又動静二境の上に於て御工夫怠慢なく御心掛なされ候条珍重の御事に候其外に書中に仰越れ候件々遂一老僧が野情に相契ひ御奇特千万の御事如何許り悦び入り候総じて一切の修行者精進工夫の間に於て心掛悪く侍れば動静の二境に障られ昏散の二辺に隔られ心火逆上し肺金痛み悴け元気虚損して難治の病症を発するも間々多き事に侍り又内観の真修に依て能々修錬致し侍れば至極養生の秘訣に契つて心身堅剛に気力丈夫にして万事軽快に法成就にも到る事に候去程に大覚調御も阿含部に於て右の趣を委く教諭此あり天台の智者大師も其大意を汲で摩訶止観の中に丁寧に示置れ侍り書中の大意は縦ひ何分の聖教を披覧し何分の法理を観察し或ひは長坐不臥し或ひは六時行道すと云へども常に心気をして臍輪気海丹田腰脚の間に充しめ塵務繁絮の間賓客揖譲の席に於ても片時も放退せざる時は元気自然に丹田の間に充実して臍下瓠然たる事未だ篠打せざる鞠の如し若人養ひ得て斯の如くなる時は終日坐して曽て飽す終日誦じて曽て倦ず終日書して曽て困せず終日説て曽て屈せず縦ひ日々に万善を行ずと云へども終に退惰の色なく心量次第に寛大にして気力常に勇壮なり苦熱煩暑の夏の日も扇せず汗せず玄冬素雪の冬の夜も襪せず炉せず世寿百歳を閲すと云へども歯牙転堅剛なり怠らざれば長寿を得若それ果して斯の如くならば何れの道か成せざる何れの戒か持たざる何れの定か修せざらん何れの徳か充ざらん若又如上の故実に達せず真修の秘訣を諳んぜず妄りに自ら悟解丁知を求めて観理度に過ぎ思念節を失する時は胸膈否塞し心火高ぶり上り両脚氷雪の底に浸すが如く双耳渓声の間を行くに斉ふして肺金痛み悴け水分枯渇して終に難治の重症を発して命根も亦保ち難きに至る是たゞ真修の正路を知ざる故なり寔に悲しむべし蓋し摩訶止観の中に仮縁止諦真止と申す事の侍り只今申し談ずる内観の法とはかの仮縁止の大略にて侍り
書き下し
日の昨は遠路御使札益御勇健にて朝鮮人御馳走首尾よく相濟御安堵の旨一段の御事に候草廬恙なく罷在候是又高慮を勞せられ間敷候且又動靜二境の上に於て御工夫怠慢なく御心掛なされ候條珍重の御事に候其外に書中に仰越れ候件々遂一老僧が野情に相契ひ御奇特千萬の御事如何許り悅び入り候總じて一切の修行者精進工夫の間に於て心掛惡く侍れば動靜の二境に障られ昏散の二邊に隔られ心火逆上し肺金痛み悴け元氣虛損して難治の病症を發するも間々多き事に侍り又內觀の眞修に依て能々修錬致し侍れば至極養生の秘訣に契つて心身堅剛に氣力丈夫にして萬事輕快に法成就にも到る事に候去程に大覺調御も阿含部に於て右の趣を委く敎諭此あり天台の智者大師も其大意を汲で摩訶止觀の中に丁寧に示置れ侍り書中の大意は縱ひ何分の聖敎を披覽し何分の法理を觀察し或ひは長坐不臥し或ひは六時行道すと云へども常に心氣をして臍輪氣海丹田腰脚の間に充しめ塵務繁絮の間賓客揖讓の席に於ても片時も放退せざる時は元氣自然に丹田の間に充實して臍下瓠然たる事未だ篠打せざる鞠の如し若人養ひ得て斯の如くなる時は終日坐して曾て飽す終日誦じて曾て倦ず終日書して曾て困せず終日說て曾て屈せず縱ひ日々に萬善を行ずと云へども終に退惰の色なく心量次第に寬大にして氣力常に勇壯なり苦熱煩暑の夏の日も扇せず汗せず玄冬素雪の冬の夜も襪せず爐せず世壽百歲を閱すと云へども齒牙轉堅剛なり怠らざれば長壽を得若それ果して斯の如くならば何れの道か成せざる何れの戒か持たざる何れの定か修せざらん何れの德か充ざらん若又如上の故實に達せず眞修の秘訣を諳んぜず妄りに自ら悟解丁知を求めて觀理度に過ぎ思念節を失する時は胸膈否塞し心火高ぶり上り兩脚氷雪の底に浸すが如く雙耳溪聲の間を行くに齊ふして肺金痛み悴け水分枯渇して終に難治の重症を發して命根も亦保ち難きに至る是たゞ眞修の正路を知ざる故なり寔に悲しむべし蓋し摩訶止觀の中に假緣止諦眞止と申す事の侍り只今申し談ずる內觀の法とはかの假緣止の大略にて侍り
現代語訳
先日は遠路、お使者と書状をいただいた。朝鮮人の接待も首尾よく済み、ご安堵とのこと、まことに結構なことである。私は恙なく暮らしているので、これもご心配には及ばない。さらに、動と静の二つの境涯において工夫を怠らず心がけておられるとのこと、喜ばしいことである。そのほか、書中に仰せられた件々は、逐一、老僧の飾り気のない心にかない、まことに殊勝なことで、どれほど喜ばしいか知れない。総じてすべての修行者が精進し工夫する間に、心がけが悪いと、動静の二境に妨げられ、昏沈と散乱の二つの偏りに隔てられて、心火が逆上し、肺が痛み衰え、元気が損なわれて、治りにくい病を発することも間々多いのである。また、内観の真の修法によってよく鍛錬すれば、きわめて養生の秘訣にかない、心身は堅固に、気力は丈夫に、万事軽快になって、悟りの成就にも至る。そのため釈尊も阿含部の経典でこの趣旨を詳しく教えられ、天台の智者大師も『摩訶止観』の中に丁寧に示しておかれた。書中の大意は、たとえどのような聖教を読み、どのような法理を観察し、あるいは長く坐って臥さず、あるいは六時に行道するとしても、常に心気を臍輪・気海・丹田・腰脚の間に充たしめ、俗務の煩わしい間や客を迎えて礼を交わす席でも、片時も手放さないなら、元気は自然に丹田に充実して、臍の下がふっくらと、まだ打っていない鞠のようになる、ということである。もし人がこのように養い得たなら、一日中坐っても飽きず、一日中誦しても倦まず、一日中書いても疲れず、一日中説いても屈しない。日々に万善を行ってもついに怠けの色がなく、心の度量はしだいに広く大きく、気力は常に勇壮である。苦しい暑さの夏の日も扇がず汗をかかず、厳しい冬の雪の夜も足袋をはかず炉も用いず、百歳を過ぎても歯はかえって堅固である。怠らなければ長寿を得る。もしそれが本当にこのようであれば、どの道が成就しないことがあろう。どの戒を保てないことがあろう。どの禅定が修まらないことがあろう。どの徳が満ちないことがあろう。もしまた、右のいわれに通じず、真の修行の秘訣を知らず、むやみに自ら悟りの理解や知識を求めて、観想が度を過ぎ思念が節度を失うときは、胸がふさがり、心火が高ぶり上り、両脚は氷雪の底に浸したようで、両耳は谷川の音の中を行くようになり、肺が痛み衰え、水分が枯渇して、ついに治りがたい重症を発し、命も保ちがたくなる。これはただ、真の修行の正しい道を知らないからである。まことに悲しむべきことである。思うに『摩訶止観』の中に、仮縁止、諦真止ということがある。今ここで申し述べる内観の法とは、その仮縁止のあらましである。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
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