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遠羅天釜 / 『遠羅天釜』大敵に囲まれた時の工夫

如何がして眞正の得悟は得る事ぞとならば塵務繁絮世事紛然七顚八倒の上へに於て譬へば勇士の大敵に取り圍まれたらん時に匹馬單鎗大勇猛の精神を震つて一方を突き破つてかけ拔んず時の心持にて正念工夫絶ずりもなく精彩を着け手脚の下すべき樣もなく四面空洞として心身ともに消失せたる心地は時々にこれ有者に侍り此時恐怖を生ぜず勵み進み侍れば一旦の得力は間もなく豁然たる者に侍り總じて參學は妄念情量と戰ひ昏沈睡魔と戰ひ動靜違順と戰ひ是非憎愛と戰ひ一切の塵境と相戰ひ正念工夫を推立もて行張合にて不慮の省覺はこれ有事に侍り彼勇施菩薩の如きは大重禁を犯じて懺悔すべきに地なし徒に憂悲惱亂す忽ち自ら大誓を發して憂惱と戰つて默坐す忽然として無生を悟る雲門大師は老睦州に左脚を逼折せられて大悟し蒙山の異禪師は痢疾を患る事晝夜百次身體苦しみ疲れて前面只死あるのみ此に於て大誓願を起し苦痛と戰つて死坐す少焉腸大に鳴動する事數回痢疾は拭ふが如く平愈して大に得所あり大圓寶鑑國師の如きは華園に入て聖澤の庸山老師に謁して所見を演山漫罵して打て追出す師憤然として煩暑の日竹林の中に入て寸絲かけず裸形にして枯坐す夜に入て蚊子百萬競ひ來つて身上に集り圍んで師の肌を咬む此に於て痌痒と戰つて齒を切り拳を握つて癡坐す正氣を打失せんとする者殆んど數次圖らず豁然として契悟す昔し調御世尊は雪山に在て苦修六年皮骨連立蘆芽膝を穿つて臂に至り慧可大師は臂を斷つて自の本源に徹し玄沙は泣々象骨を下つて蹶蹈して左脚を破つて徹骨徹髓し臨濟は痛棒を喫して破家散宅すこれ古今の榜樣なり三世古今の間に見性せざるの佛祖なく見性せざるの賢聖なし今時の如く徒に空しく胸臆の凡解を恃んで自己脚跟下の大事を了簡分別して以て足れりとせば一生妄想の魔網を破る事能はじ小智は菩提の妨とは此等の輩に侍り

新字:如何がして真正の得悟は得る事ぞとならば塵務繁絮世事紛然七顛八倒の上へに於て譬へば勇士の大敵に取り囲まれたらん時に匹馬単鎗大勇猛の精神を震つて一方を突き破つてかけ抜んず時の心持にて正念工夫絶ずりもなく精彩を着け手脚の下すべき様もなく四面空洞として心身ともに消失せたる心地は時々にこれ有者に侍り此時恐怖を生ぜず励み進み侍れば一旦の得力は間もなく豁然たる者に侍り総じて参学は妄念情量と戦ひ昏沈睡魔と戦ひ動静違順と戦ひ是非憎愛と戦ひ一切の塵境と相戦ひ正念工夫を推立もて行張合にて不慮の省覚はこれ有事に侍り彼勇施菩薩の如きは大重禁を犯じて懺悔すべきに地なし徒に憂悲悩乱す忽ち自ら大誓を発して憂悩と戦つて黙坐す忽然として無生を悟る雲門大師は老睦州に左脚を逼折せられて大悟し蒙山の異禅師は痢疾を患る事昼夜百次身体苦しみ疲れて前面只死あるのみ此に於て大誓願を起し苦痛と戦つて死坐す少焉腸大に鳴動する事数回痢疾は拭ふが如く平愈して大に得所あり大円宝鑑国師の如きは華園に入て聖沢の庸山老師に謁して所見を演山漫罵して打て追出す師憤然として煩暑の日竹林の中に入て寸糸かけず裸形にして枯坐す夜に入て蚊子百万競ひ来つて身上に集り囲んで師の肌を咬む此に於て痌痒と戦つて歯を切り拳を握つて痴坐す正気を打失せんとする者殆んど数次図らず豁然として契悟す昔し調御世尊は雪山に在て苦修六年皮骨連立蘆芽膝を穿つて臂に至り慧可大師は臂を断つて自の本源に徹し玄沙は泣々象骨を下つて蹶蹈して左脚を破つて徹骨徹髄し臨済は痛棒を喫して破家散宅すこれ古今の榜様なり三世古今の間に見性せざるの仏祖なく見性せざるの賢聖なし今時の如く徒に空しく胸臆の凡解を恃んで自己脚跟下の大事を了簡分別して以て足れりとせば一生妄想の魔網を破る事能はじ小智は菩提の妨とは此等の輩に侍り

書き下し

如何がして眞正の得悟は得る事ぞとならば塵務繁絮世事紛然七顚八倒の上へに於て譬へば勇士の大敵に取り圍まれたらん時に匹馬單鎗大勇猛の精神を震つて一方を突き破つてかけ拔んず時の心持にて正念工夫絶ずりもなく精彩を着け手脚の下すべき樣もなく四面空洞として心身ともに消失せたる心地は時々にこれ有者に侍り此時恐怖を生ぜず勵み進み侍れば一旦の得力は間もなく豁然たる者に侍り總じて參學は妄念情量と戰ひ昏沈睡魔と戰ひ動靜違順と戰ひ是非憎愛と戰ひ一切の塵境と相戰ひ正念工夫を推立もて行張合にて不慮の省覺はこれ有事に侍り彼勇施菩薩の如きは大重禁を犯じて懺悔すべきに地なし徒に憂悲惱亂す忽ち自ら大誓を發して憂惱と戰つて默坐す忽然として無生を悟る雲門大師は老睦州に左脚を逼折せられて大悟し蒙山の異禪師は痢疾を患る事晝夜百次身體苦しみ疲れて前面只死あるのみ此に於て大誓願を起し苦痛と戰つて死坐す少焉腸大に鳴動する事數回痢疾は拭ふが如く平愈して大に得所あり大圓寶鑑國師の如きは華園に入て聖澤の庸山老師に謁して所見を演山漫罵して打て追出す師憤然として煩暑の日竹林の中に入て寸絲かけず裸形にして枯坐す夜に入て蚊子百萬競ひ來つて身上に集り圍んで師の肌を咬む此に於て痌痒と戰つて齒を切り拳を握つて癡坐す正氣を打失せんとする者殆んど數次圖らず豁然として契悟す昔し調御世尊は雪山に在て苦修六年皮骨連立蘆芽膝を穿つて臂に至り慧可大師は臂を斷つて自の本源に徹し玄沙は泣々象骨を下つて蹶蹈して左脚を破つて徹骨徹髓し臨濟は痛棒を喫して破家散宅すこれ古今の榜樣なり三世古今の間に見性せざるの佛祖なく見性せざるの賢聖なし今時の如く徒に空しく胸臆の凡解を恃んで自己脚跟下の大事を了簡分別して以て足れりとせば一生妄想の魔網を破る事能はじ小智は菩提の妨とは此等の輩に侍り

現代語訳

どうすれば真正の悟りを得られるかといえば、俗務が煩わしく世事が入り乱れ、七転八倒する状況の中で、たとえば勇士が大敵に取り囲まれた時に、一頭の馬と一本の槍で大いに勇猛な精神を奮い、一方を突き破って駆け抜けようとする時の心持ちで、正念工夫を絶え間なく、精彩を着け、手足の下ろしようもなく、四方が空洞となって心身ともに消え失せたような心地が、時々にあるものである。この時、恐怖を起こさず励み進めば、一時の得力は間もなく豁然と開ける。総じて参学は、妄念や情量と戦い、昏沈・睡魔と戦い、動静・違順と戦い、是非・憎愛と戦い、あらゆる塵境と戦いながら、正念工夫を推し立てて行く張り合いの中で、思いがけない省覚があるものである。あの勇施菩薩は大きな重罪を犯して、懺悔するにも場所がなく、むなしく憂い悲しみ悩み乱れた。たちまち自ら大いなる誓いを発して、憂いや悩みと戦って黙って坐り、忽然として無生を悟った。雲門大師は老睦州に左脚を折られて大悟し、蒙山の異禅師は下痢を患うこと昼夜百回、身体は苦しみ疲れて前にはただ死あるのみであった。ここで大誓願を起こし、苦痛と戦って死ぬ覚悟で坐ると、しばらくして腸が大いに数回鳴り、下痢は拭ったように治り、大いに得るところがあった。大円宝鑑国師は、華園に入り聖沢の庸山老師に参じて所見を述べたところ、老師はむやみにののしって打ち、追い出した。国師は憤然として、暑い日に竹林の中に入り、糸一本もまとわず裸で枯坐した。夜に入って蚊が百万と競い来て身体に集まり、取り囲んで国師の肌を咬んだ。そこで痛みとかゆみと戦って歯を食いしばり拳を握り、愚直に坐り、正気を失いそうになること数度、思いがけず豁然として契悟した。昔、世尊は雪山にあって六年苦修し、皮と骨がつながって立ち、芦の芽が膝を突き抜けて臂に至るほどであり、慧可大師は臂を断って自らの本源に徹し、玄沙は泣く泣く象骨山を下って、つまずいて左脚を破り、骨髄に徹し、臨済は痛棒を受けて家を破り屋敷を散らした。これは古今の手本である。三世古今の間に、見性しなかった仏祖はなく、見性しなかった賢聖はない。今時のように、むなしく胸中の凡庸な理解を頼み、自己の足下の大事を了簡分別して満足とするなら、一生、妄想の魔の網を破ることはできないであろう。小智は菩提の妨げとは、こうした輩のことである。

解説

真の悟りは、大敵に囲まれた勇士が一方を突き破るような気迫で、俗務の渦中に正念工夫を続けるところに開けると白隠は説きます。勇施菩薩、雲門、蒙山、大円宝鑑国師など、苦痛や屈辱と戦って悟った例を挙げ、釈尊や慧可らの苦行も古今の手本とします。机上の理解では妄想の魔網を破れないというのです。困難のただ中で逃げずに踏み込むことが突破口になる、という挑戦への励ましとして読めます。
『人生の方程式』の表紙

人生を、一行の式にしてみた。

志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。

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この章句が説くこと

大敵正念工夫勇施菩薩雲門大師苦痛と戦う小智は菩提の妨

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