遠羅天釜 / 『遠羅天釜』主なき家と無明の業海
譬へば茲に一箇の舊宅有んに衰朽疲困凍餒貧窶の老女たりと云へども主の有んずる家へはゆへ無して他の人妄りに出入する事叶はず其家もし主人を失する時は賊盜も潛み休ひ乞兒も亦來り宿し狐兎競ひ走り狸狢竄れ睡る閑神晝さけび野鬼夜吟ず千妖百怪群邪の窟宅とならん人身も亦然り正念工夫の主心臍輪氣海の間に盤石などを淘居たるが如く凜然として主張する時は一點の妄念情量なく半點の思想卜度なふして天地一指萬物一馬厚重山の如く寬大海の如くなる底の一員の大丈夫佛祖も手を挾む事能はず魔外も窺ひ知る事得ず日々に萬善を行じて以て倦事なし謂つべし眞正報恩底の佛子なりと其人忽ち邪境に奪はれ妄緣に引れて覺へず正念工夫の主心を打失す是を忽然念起名爲無明と云煩惱の邪魔蜂の如くに起り邪見の妖魅蟻の如くに競つて四大夢幻の廢舍五蘊空華の朽宅忽ち化して魔魅の住處となんぬ千態萬狀日々に幾萬種の生死ぞや外面は高蹈たる君子の風標あれども內心は夜叉の變態多きが如し心上は鎭へに八島の合戰より苦しく胸中は常に九國の兵亂よりも煩はし恰も長者火宅の譬へに等し是を生死常沒の業海と云若夫正念工夫の船筏精進勇猛の櫓帆なくんば識浪情波の急流におし浸されて臭烟毒霧の暗區を越得て四德の彼岸に到る事を得んや悲哉人々如來の智慧德相を具足して少しも缺事なく箇々佛性の如意寶珠を圓備し鎭へに大光明を放つて婆婆即寂光の淨刹毘盧法性の眞土に住みながら慧眼すでに盲たる故に婆娑なりと見錯り衆生なりと思ひ違へて得難き人身逢難き一生を闇々と牛馬などの無智昏愚なる如く何の辨へもなく明し暮して苦しかりし三塗悲しかりし六趣の巷を吟ひ遶りて少しも變遷あらざる舍那常寂の眞土を把へて地獄なりと恐れ迷ひ無間なりと泣き苦しむ是只よの常とるにも足らぬ斷無の小見に傲り片腹痛き少許の口耳の學解に傲て佛法を信ぜず正法を聞かず虛口をのみ利て正念工夫の主心を片時も守る事なき人々のなれの果なり
新字:譬へば茲に一箇の旧宅有んに衰朽疲困凍餒貧窶の老女たりと云へども主の有んずる家へはゆへ無して他の人妄りに出入する事叶はず其家もし主人を失する時は賊盗も潜み休ひ乞児も亦来り宿し狐兎競ひ走り狸狢竄れ睡る閑神昼さけび野鬼夜吟ず千妖百怪群邪の窟宅とならん人身も亦然り正念工夫の主心臍輪気海の間に盤石などを淘居たるが如く凜然として主張する時は一点の妄念情量なく半点の思想卜度なふして天地一指万物一馬厚重山の如く寛大海の如くなる底の一員の大丈夫仏祖も手を挟む事能はず魔外も窺ひ知る事得ず日々に万善を行じて以て倦事なし謂つべし真正報恩底の仏子なりと其人忽ち邪境に奪はれ妄縁に引れて覚へず正念工夫の主心を打失す是を忽然念起名為無明と云煩悩の邪魔蜂の如くに起り邪見の妖魅蟻の如くに競つて四大夢幻の廃舎五蘊空華の朽宅忽ち化して魔魅の住処となんぬ千態万状日々に幾万種の生死ぞや外面は高蹈たる君子の風標あれども内心は夜叉の変態多きが如し心上は鎮へに八島の合戦より苦しく胸中は常に九国の兵乱よりも煩はし恰も長者火宅の譬へに等し是を生死常没の業海と云若夫正念工夫の船筏精進勇猛の櫓帆なくんば識浪情波の急流におし浸されて臭烟毒霧の暗区を越得て四徳の彼岸に到る事を得んや悲哉人々如来の智慧徳相を具足して少しも欠事なく箇々仏性の如意宝珠を円備し鎮へに大光明を放つて婆婆即寂光の浄刹毘盧法性の真土に住みながら慧眼すでに盲たる故に婆娑なりと見錯り衆生なりと思ひ違へて得難き人身逢難き一生を闇々と牛馬などの無智昏愚なる如く何の弁へもなく明し暮して苦しかりし三塗悲しかりし六趣の巷を吟ひ遶りて少しも変遷あらざる舎那常寂の真土を把へて地獄なりと恐れ迷ひ無間なりと泣き苦しむ是只よの常とるにも足らぬ断無の小見に傲り片腹痛き少許の口耳の学解に傲て仏法を信ぜず正法を聞かず虚口をのみ利て正念工夫の主心を片時も守る事なき人々のなれの果なり
書き下し
譬へば茲に一箇の舊宅有んに衰朽疲困凍餒貧窶の老女たりと云へども主の有んずる家へはゆへ無して他の人妄りに出入する事叶はず其家もし主人を失する時は賊盜も潛み休ひ乞兒も亦來り宿し狐兎競ひ走り狸狢竄れ睡る閑神晝さけび野鬼夜吟ず千妖百怪群邪の窟宅とならん人身も亦然り正念工夫の主心臍輪氣海の間に盤石などを淘居たるが如く凜然として主張する時は一點の妄念情量なく半點の思想卜度なふして天地一指萬物一馬厚重山の如く寬大海の如くなる底の一員の大丈夫佛祖も手を挾む事能はず魔外も窺ひ知る事得ず日々に萬善を行じて以て倦事なし謂つべし眞正報恩底の佛子なりと其人忽ち邪境に奪はれ妄緣に引れて覺へず正念工夫の主心を打失す是を忽然念起名爲無明と云煩惱の邪魔蜂の如くに起り邪見の妖魅蟻の如くに競つて四大夢幻の廢舍五蘊空華の朽宅忽ち化して魔魅の住處となんぬ千態萬狀日々に幾萬種の生死ぞや外面は高蹈たる君子の風標あれども內心は夜叉の變態多きが如し心上は鎭へに八島の合戰より苦しく胸中は常に九國の兵亂よりも煩はし恰も長者火宅の譬へに等し是を生死常沒の業海と云若夫正念工夫の船筏精進勇猛の櫓帆なくんば識浪情波の急流におし浸されて臭烟毒霧の暗區を越得て四德の彼岸に到る事を得んや悲哉人々如來の智慧德相を具足して少しも缺事なく箇々佛性の如意寶珠を圓備し鎭へに大光明を放つて婆婆即寂光の淨刹毘盧法性の眞土に住みながら慧眼すでに盲たる故に婆娑なりと見錯り衆生なりと思ひ違へて得難き人身逢難き一生を闇々と牛馬などの無智昏愚なる如く何の辨へもなく明し暮して苦しかりし三塗悲しかりし六趣の巷を吟ひ遶りて少しも變遷あらざる舍那常寂の眞土を把へて地獄なりと恐れ迷ひ無間なりと泣き苦しむ是只よの常とるにも足らぬ斷無の小見に傲り片腹痛き少許の口耳の學解に傲て佛法を信ぜず正法を聞かず虛口をのみ利て正念工夫の主心を片時も守る事なき人々のなれの果なり
現代語訳
たとえば、ここに一軒の古い家があり、衰え疲れ、凍え飢えて貧しい老女が住むだけであっても、主のいる家へは、わけもなく他人がみだりに出入りすることはできない。その家がもし主人を失うと、盗賊も潜んで休み、乞食もまた来て宿り、狐や兎が競って走り、狸や貉が隠れ、眠る閑神は昼に叫び、野鬼は夜に吟じ、千の妖怪、百の化け物、群れなす邪悪のすみかとなるだろう。人の身もまたそうである。正念工夫の主心が臍輪・気海の間に、盤石を据えたかのように凜然と主張する時は、一点の妄念も情量もなく、半点の思想もはからいもなくて、天地は一本の指、万物は一頭の馬、重厚なること山のごとく、寛大なること海のごとき一人の大丈夫となる。仏祖も手を出すことができず、魔や外道もうかがい知ることができない。日々に万善を行って倦むことがない。まことに真正の報恩の仏子と言える。その人がたちまち邪な境に奪われ、妄縁に引かれて、知らぬ間に正念工夫の主心を失う。これを「忽然として念起こる、名づけて無明となす」という。煩悩の邪魔が蜂のように起こり、邪見の化け物が蟻のように競い起こり、四大の夢幻の廃屋、五蘊の空華の朽ちた家は、たちまち変じて魔魅の住みかとなる。千の姿、万の様相、日々に幾万種もの生死であることよ。外面は高潔な君子の風格があるのに、内心は夜叉の変化が多いようである。心中は常に八島の合戦より苦しく、胸中はいつも九国の兵乱より煩わしい。あたかも長者の火宅の譬えのようである。これを生死常没の業海という。もし正念工夫の船と筏、精進勇猛の櫓と帆がなければ、識の波、情の波の急流に押し流されて、臭い煙と毒の霧の暗い区域を越えて、四徳の彼岸に到ることができようか。悲しいことだ、人々は如来の智慧徳相を具足して少しも欠けることなく、一人ひとり仏性の如意宝珠を完全に備え、常に大光明を放って、娑婆がそのまま寂光の浄土、毘盧遮那の法性の真土に住みながら、慧眼がすでに盲いているので、娑婆だと見誤り、衆生だと思い違え、得がたい人身、遇いがたい一生を、暗々と牛馬など無知愚かなものと同様に、何の弁えもなく明かし暮らして、苦しかった三塗、悲しかった六趣の巷をさまよい巡って、少しも変わることのない舎那常寂の真土をとらえて、地獄だと恐れ迷い、無間地獄だと泣き苦しむ。これは、ただ世の常の取るに足らぬ断見、無見の小さな見解に傲り、片腹痛い少しばかりの口と耳の学問的理解に傲って、仏法を信ぜず、正法を聞かず、空しい口先ばかり達者で、正念工夫の主心を片時も守ることのない人々の成れの果てである。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
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遠羅天釜・『遠羅天釜』百姓の子と自暴自棄の人末法澆季の喩にや近代惡き風俗起りて出家も在家も見習ひ聞習ひになりて今時妙法の佛心などを見んと計るは鰻が木にのぼらんとする心地なるぞさて聞ふと一生を過行事淺ましき心ばへならずや是は左ながら過分の田地を譲れたりし百姓の子共數多在べきに其內一人輭弱不肖にて然も口利て小黠しけなるが曰く今時吾々風情の柔者共が先祖昔の人々の眞似美して農業耕作などして大勢の妻子眷鷹など養育せんと計るは及びもなき事なりそれは左ながら家鵝が鷹の眞似して鶴と組で落んと羽つくろいするが如く跛鼈の鯉魚の眞似して瀧上りせんとて頭さし伸るに似たる事ぞ片腹こそ痛けれ左しもて行たらんには必ず鎌にて水をなん呑べきぞ存じもよらぬ事なるぞとよつもりても見よや和殿原や我等如きの疲孩子者どもが芝野を見るが如くなる草生茂りたる田地を草刈切立耕し水載鉏上種子かし早苗し植つけ転り刈干こぎあけ糠すり繩ない菰あみあげ高あぐらして詠め見んずる事あだや通途にて遂らるべき事かはそれは昔物語なるぞあらぬ樣なる端立なるぞや夫よりは安々と拔入袖して世涉るすべはある事ぞやかなたこなたあるきても五日三日宛の日は送らるゝぞかし肩有て着ずと云ふ事なく口有て食ずと云ふ事なしと聞ものを殊更何某の國何某の矦は仁德厚をはして我々如き者をば扶持し給ふと聞なるに果はそこへなん行べきぞ斯許よき事のあるになに歎く事の有べき手足をなん動かして自力にて口過んとかゝるは又なき癖事なるぞ心ばからいなしそ初より下手に組がよきぞ働だてなしそかせぎ振見するな一二枚ある古着も脫すて菰をなん被りて我々は告る方もなく居ど立どに迷ひたる貧窮下賤の者に侍り哀れ助け給ひてよと打泣〱往たらんに慈悲深き世の中なるものをなど口一つばかりすぎ兼る事のあるべき少しも疑ふ心なくて兎せよ角せよと敎へられて悅び勇て誰々も兼てより斯なん思つる事よとて生れもつかぬ貧者に成て一生を送るに似たり此等の輩を自暴自棄の人と云臨濟大師は甘作下劣人と呵責せられたり是れは左ながら魚の水中にありながら我等風情にて水など見んと計るは及びもなき事なりと歎き鳥の長空を翔りながら今時長空などを見んと計るは存じもよらぬ望みなりと悲むに似たり殊にしらず十方法界の中眞如ならざる國土なく妙法ならざる衆生なき事を惜むべし唯心の妙法寂光淨土のまつたゞ中に住ながら生前には娑婆なりと偏執し衆生なりと妄想し死後には地獄なりと見錯り無間なりと泣悲む事皆是目前に充溢たる妙法の佛心前後に澄湛たる法性をば及もなき事なり存じもよらぬ望みなりとて打棄筋なき妄想情識の料簡を頼みて空く暮せるより起る事なり惜みても惜むべきは三界無比の妙法醍醐上味の經典なれども敎への如く修行する人なき故に文車に稠載たる世の並々の書籍と共にあり甲斐もなくやみ〱と朽果穢土淨刹と見違ひ三塗六趣と思ひ成事歎の中の歎ならずや
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