遠羅天釜 / 『遠羅天釜』無字が勧められる理由と大疑
無の字と名號と兩般なしと申す中に得力の遲速見道の淺深に到つては少しき子細無きにしもあらず大凡辨道參玄の上士情念の滲漏を塞斷し無明の眼膜を觸破するに到つては無の字に越へたる事は侍るべからず去程に五祖の演禪師の頌に趙州の露刃劍寒霜光焔々更擬問如何分身作兩段總じて參學は疑團の凝結を以て至要とす此故に道大疑の下に大悟あり疑がひ十分あれば悟り十分有りと又佛果和尙の曰く話頭を疑がはざるを大病とすと參玄の人纔かに大疑現前する事を得ば百人が百人千人が千人ながら打發せざるは是有るべからず若し人大疑現前する時只四面空蕩々地虛豁々地にして生にあらず死に非ず萬里の層氷裏にあるが如く瑠璃瓶裏に坐するに似て分外に清涼に分外に皎潔なり癡々呆々坐して起事を忘れ起て坐する事を忘る胸中一點の情念無ふして只一箇の無の字のみ有り恰かも長空に立つが如し此の時恐怖を生ぜず了智を添へず一氣に進んで退かざる則んは忽然として氷盤を擲摧するが如く玉樓を推倒するに似て四十年來未だ曾て見ず未だ曾て聞ざる底の大歡喜あらん此時に當つて生死涅槃猶如昨夢三千世界海中の漚一切の賢聖電拂の如し是を大徹妙悟囮地一下の時節と云ふ傳ふる事得ず說く事得ず恰かも水を飮で冷暖自知するが如けん十方を目前に銷融し三世を一念子に貫通す人間天上の間那箇の歡喜かこれに如ん是等の得力は學者親切に進まば纔かに三日五日の功にして必ず得ん如何が大疑現前する事を得んとならば靜處を好まず動處を捨てず我が此臍輪氣海總に是趙州の無無の字何の道理か有ると一切の情念思想を拋下し單々に參窮せんに大疑現前せざる底は半箇も亦無けん
新字:無の字と名号と両般なしと申す中に得力の遅速見道の浅深に到つては少しき子細無きにしもあらず大凡弁道参玄の上士情念の滲漏を塞断し無明の眼膜を触破するに到つては無の字に越へたる事は侍るべからず去程に五祖の演禅師の頌に趙州の露刃剣寒霜光焔々更擬問如何分身作両段総じて参学は疑団の凝結を以て至要とす此故に道大疑の下に大悟あり疑がひ十分あれば悟り十分有りと又仏果和尚の曰く話頭を疑がはざるを大病とすと参玄の人纔かに大疑現前する事を得ば百人が百人千人が千人ながら打発せざるは是有るべからず若し人大疑現前する時只四面空蕩々地虚豁々地にして生にあらず死に非ず万里の層氷裏にあるが如く瑠璃瓶裏に坐するに似て分外に清涼に分外に皎潔なり痴々呆々坐して起事を忘れ起て坐する事を忘る胸中一点の情念無ふして只一箇の無の字のみ有り恰かも長空に立つが如し此の時恐怖を生ぜず了智を添へず一気に進んで退かざる則んは忽然として氷盤を擲摧するが如く玉楼を推倒するに似て四十年来未だ曽て見ず未だ曽て聞ざる底の大歓喜あらん此時に当つて生死涅槃猶如昨夢三千世界海中の漚一切の賢聖電払の如し是を大徹妙悟囮地一下の時節と云ふ伝ふる事得ず説く事得ず恰かも水を飲で冷暖自知するが如けん十方を目前に銷融し三世を一念子に貫通す人間天上の間那箇の歓喜かこれに如ん是等の得力は学者親切に進まば纔かに三日五日の功にして必ず得ん如何が大疑現前する事を得んとならば静処を好まず動処を捨てず我が此臍輪気海総に是趙州の無無の字何の道理か有ると一切の情念思想を抛下し単々に参窮せんに大疑現前せざる底は半箇も亦無けん
書き下し
無の字と名號と兩般なしと申す中に得力の遲速見道の淺深に到つては少しき子細無きにしもあらず大凡辨道參玄の上士情念の滲漏を塞斷し無明の眼膜を觸破するに到つては無の字に越へたる事は侍るべからず去程に五祖の演禪師の頌に趙州の露刃劍寒霜光焔々更擬問如何分身作兩段總じて參學は疑團の凝結を以て至要とす此故に道大疑の下に大悟あり疑がひ十分あれば悟り十分有りと又佛果和尙の曰く話頭を疑がはざるを大病とすと參玄の人纔かに大疑現前する事を得ば百人が百人千人が千人ながら打發せざるは是有るべからず若し人大疑現前する時只四面空蕩々地虛豁々地にして生にあらず死に非ず萬里の層氷裏にあるが如く瑠璃瓶裏に坐するに似て分外に清涼に分外に皎潔なり癡々呆々坐して起事を忘れ起て坐する事を忘る胸中一點の情念無ふして只一箇の無の字のみ有り恰かも長空に立つが如し此の時恐怖を生ぜず了智を添へず一氣に進んで退かざる則んは忽然として氷盤を擲摧するが如く玉樓を推倒するに似て四十年來未だ曾て見ず未だ曾て聞ざる底の大歡喜あらん此時に當つて生死涅槃猶如昨夢三千世界海中の漚一切の賢聖電拂の如し是を大徹妙悟囮地一下の時節と云ふ傳ふる事得ず說く事得ず恰かも水を飮で冷暖自知するが如けん十方を目前に銷融し三世を一念子に貫通す人間天上の間那箇の歡喜かこれに如ん是等の得力は學者親切に進まば纔かに三日五日の功にして必ず得ん如何が大疑現前する事を得んとならば靜處を好まず動處を捨てず我が此臍輪氣海總に是趙州の無無の字何の道理か有ると一切の情念思想を拋下し單々に參窮せんに大疑現前せざる底は半箇も亦無けん
現代語訳
無字と名号とは二通りではないと言う中でも、得力の遅速や見道の浅深については、少し子細がないわけではない。およそ弁道参玄の上士が、情念の漏れ出る穴を塞ぎ切り、無明の眼膜を突き破るに至っては、無字に勝るものはあるはずがない。そこで、五祖演禅師の頌に「趙州の露刃剣、寒霜光焔々、さらに問わんと擬すれば如何、身を分かって両段と作す」とある。総じて参学は疑団の凝り固まることを至要とする。だから「大疑の下に大悟あり、疑い十分あれば悟り十分あり」と言い、また仏果和尚は「話頭を疑わないのを大病とする」と言った。参玄の人が、わずかでも大疑の現前を得れば、百人が百人、千人が千人、打発しないことはない。もし人に大疑が現前する時、ただ四面が空々漠々、虚々豁々として、生でもなく死でもなく、万里の層氷の中にいるようで、瑠璃の瓶の中に坐っているようで、並外れて清涼、並外れて清らかに澄んでいる。ぼうっとして坐っていることを忘れ、起き上がって坐ることを忘れ、胸中に一点の情念もなくて、ただ一つの無の字だけがある。あたかも大空に立つがごとくである。この時、恐怖を生ぜず、了解を添えず、一気に進んで退かなければ、たちまち氷の盤を打ち砕くように、玉の楼閣を押し倒すように、四十年来まだ見たこともなく聞いたこともない大歓喜があるだろう。この時に当たって、生死も涅槃も昨夜の夢のようになり、三千世界は海の中の泡、一切の賢聖は稲妻の閃きのようである。これを大徹妙悟、団地一下の時節という。人に伝えることもできず、説くこともできない。あたかも水を飲んで冷たさ暖かさを自ら知るようなものである。十方を目の前に溶かし、三世を一念に貫き通す。人間界、天上界の間で、どんな歓喜がこれに及ぶだろうか。これらの得力は、学者が親切に進めば、わずか三日五日の功で必ず得られるだろう。どうすれば大疑の現前を得られるかといえば、静かな所を好まず、動く所を捨てず、この臍の輪、気海がすべて趙州の無であり、無の字にどんな道理があるのかと、一切の情念思想を放り捨て、ひたすら参究すれば、大疑が現前しない者は半人もいないだろう。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
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