遠羅天釜 / 『遠羅天釜』不断坐禅と枯坐黙照の弊
吾正受老人常に云く不斷坐禪を學ばん人は殺害刀杖の巷號哭悲泣の室相撲掉戲の場管絃歌舞の席に入りても安排を加へず計較を添へず束ねて一則の話頭と作て一氣に進んで退かず譬へば阿修羅大力鬼に肘臂を捉られて三千大千世界を遶る事千囘百匝すと云へども正念工夫片時モ打失せず相續不斷なる是を名て眞正參禪の衲子とす十二時中只而皮を冷却し眼睛を瞠却して毫釐も人情を交へざれど寔に貴ぶべし兵法にも亦云はずや且戰且耕是萬全之良策也と參學もまた爾り工夫は且戰ふの眞修內觀は且耕の至要鳥の雙翼の如く車の兩輪の如し內觀の秘訣は予向に江湖參玄の衲子の爲に夜船閑話に書し了れり予常に此等の趣きを以て衲子の禪病を救ふ事幾人と云數を知らず中に就て重症必死に向とする者八九を治す學者必ず內觀と參學と共に合せ並べ貯はへて以て生平の本志を成ぜよ學道の人縱ひ參じて五派七流の大事を究得るとも若夫れ短壽ならば何の用を成すに堪んや縱ひ又內觀の力に依て彭祖が八百の歲時を閱すと云ふとも若夫れ見性の眼無んば唯是一箇老大の守屍鬼何の好事かあらん若又枯坐默照を以て足れりとせは枉て一生を錯り大ひに佛道に違せん只佛道に違するのみに非ず大に世諦もまた癈ぜん何が故ぞ若夫諸侯大夫は朝覲を怠り國務を廢して枯坐默照し武夫は射御を踈にし武術を忘れて枯坐默照し商賈は戶店を鎖し算盤を碎て枯坐默照し農夫は犂鋤を擲ち耕耘を止て枯坐默照し工匠は繩墨を捨て斧斤を拋て枯坐默照せば國衰へ民疲れ賊盜頻りに起つて國それ危からんか然らば則ち衆民瞋り恨みて必ず云はん禪は窮て不祥の大兆なりと殊に知らず古へ禪林の盛なりし時南嶽馬祖百丈黃檗臨濟歸宗麻谷興化盤山九峯地藏等の諸聖挽石搬土水薪柴蔬作務普請の鼓を鳴して專ら動中の得力を求む此故に百丈大師曰く一日不作一日不食是を動中の工夫不斷坐禪と云此風近代地を拂つて盡蓋し斯いへばとて坐禪を嫌ひ靜慮を謗るにし非ず大凡一切の賢聖古今の智者禪定に依らずして佛道を成就する底半箇も亦無し夫戒定慧の三要は佛道萬古の大綱なり誰か敢て輕忽せんや然るに向に謂ゆる禪門の諸聖の如きは超宗越格眞正無上の大禪定擬議するときは則ち電轉じ星飛ぶ羝羊の眼狐狸の智如何ぞ敢て窺知る事を得ん縱ひ又默照枯坐して立地に成佛し立地に大光明を放つ底の好事ありとも諸侯大夫士庶民家萬般の公務千般の家事ある何の暇あつてか片時も打坐する事を得んや此に於て病と稱して公務を遁れ家業を廢して三五七日一室を閉戶牖を鎖して幾枚の團蒲を重ね一枝の香を挾んで坐すと云へども平生の塵務に疲れて一寸坐すれば一次睡り三合の坐禪には千萬解の妄想を集む既にして眼を瞠り牙を咬み拳を握り梁骨を堅起して坐すれば萬般の邪境頭を競つて生ず越て額を攢め眉を皺めて覺へず悲泣して曰官途道業を妨げ仕路禪定を障ふしかじ官を辭し印を解て水邊林下寂寞無人の處に在て恣に禪觀を修し永劫の苦輪を遁んと大に錯り畢り
新字:吾正受老人常に云く不断坐禅を学ばん人は殺害刀杖の巷号哭悲泣の室相撲掉戯の場管絃歌舞の席に入りても安排を加へず計較を添へず束ねて一則の話頭と作て一気に進んで退かず譬へば阿修羅大力鬼に肘臂を捉られて三千大千世界を遶る事千囘百匝すと云へども正念工夫片時モ打失せず相続不断なる是を名て真正参禅の衲子とす十二時中只而皮を冷却し眼睛を瞠却して毫釐も人情を交へざれど寔に貴ぶべし兵法にも亦云はずや且戦且耕是万全之良策也と参学もまた爾り工夫は且戦ふの真修内観は且耕の至要鳥の双翼の如く車の両輪の如し内観の秘訣は予向に江湖参玄の衲子の為に夜船閑話に書し了れり予常に此等の趣きを以て衲子の禅病を救ふ事幾人と云数を知らず中に就て重症必死に向とする者八九を治す学者必ず内観と参学と共に合せ並べ貯はへて以て生平の本志を成ぜよ学道の人縦ひ参じて五派七流の大事を究得るとも若夫れ短寿ならば何の用を成すに堪んや縦ひ又内観の力に依て彭祖が八百の歳時を閲すと云ふとも若夫れ見性の眼無んば唯是一箇老大の守屍鬼何の好事かあらん若又枯坐黙照を以て足れりとせは枉て一生を錯り大ひに仏道に違せん只仏道に違するのみに非ず大に世諦もまた癈ぜん何が故ぞ若夫諸侯大夫は朝覲を怠り国務を廃して枯坐黙照し武夫は射御を疎にし武術を忘れて枯坐黙照し商賈は戸店を鎖し算盤を砕て枯坐黙照し農夫は犂鋤を擲ち耕耘を止て枯坐黙照し工匠は縄墨を捨て斧斤を抛て枯坐黙照せば国衰へ民疲れ賊盗頻りに起つて国それ危からんか然らば則ち衆民瞋り恨みて必ず云はん禅は窮て不祥の大兆なりと殊に知らず古へ禅林の盛なりし時南嶽馬祖百丈黄檗臨済帰宗麻谷興化盤山九峯地蔵等の諸聖挽石搬土水薪柴蔬作務普請の鼓を鳴して専ら動中の得力を求む此故に百丈大師曰く一日不作一日不食是を動中の工夫不断坐禅と云此風近代地を払つて尽蓋し斯いへばとて坐禅を嫌ひ静慮を謗るにし非ず大凡一切の賢聖古今の智者禅定に依らずして仏道を成就する底半箇も亦無し夫戒定慧の三要は仏道万古の大綱なり誰か敢て軽忽せんや然るに向に謂ゆる禅門の諸聖の如きは超宗越格真正無上の大禅定擬議するときは則ち電転じ星飛ぶ羝羊の眼狐狸の智如何ぞ敢て窺知る事を得ん縦ひ又黙照枯坐して立地に成仏し立地に大光明を放つ底の好事ありとも諸侯大夫士庶民家万般の公務千般の家事ある何の暇あつてか片時も打坐する事を得んや此に於て病と称して公務を遁れ家業を廃して三五七日一室を閉戸牖を鎖して幾枚の団蒲を重ね一枝の香を挟んで坐すと云へども平生の塵務に疲れて一寸坐すれば一次睡り三合の坐禅には千万解の妄想を集む既にして眼を瞠り牙を咬み拳を握り梁骨を堅起して坐すれば万般の邪境頭を競つて生ず越て額を攢め眉を皺めて覚へず悲泣して曰官途道業を妨げ仕路禅定を障ふしかじ官を辞し印を解て水辺林下寂寞無人の処に在て恣に禅観を修し永劫の苦輪を遁んと大に錯り畢り
書き下し
吾正受老人常に云く不斷坐禪を學ばん人は殺害刀杖の巷號哭悲泣の室相撲掉戲の場管絃歌舞の席に入りても安排を加へず計較を添へず束ねて一則の話頭と作て一氣に進んで退かず譬へば阿修羅大力鬼に肘臂を捉られて三千大千世界を遶る事千囘百匝すと云へども正念工夫片時モ打失せず相續不斷なる是を名て眞正參禪の衲子とす十二時中只而皮を冷却し眼睛を瞠却して毫釐も人情を交へざれど寔に貴ぶべし兵法にも亦云はずや且戰且耕是萬全之良策也と參學もまた爾り工夫は且戰ふの眞修內觀は且耕の至要鳥の雙翼の如く車の兩輪の如し內觀の秘訣は予向に江湖參玄の衲子の爲に夜船閑話に書し了れり予常に此等の趣きを以て衲子の禪病を救ふ事幾人と云數を知らず中に就て重症必死に向とする者八九を治す學者必ず內觀と參學と共に合せ並べ貯はへて以て生平の本志を成ぜよ學道の人縱ひ參じて五派七流の大事を究得るとも若夫れ短壽ならば何の用を成すに堪んや縱ひ又內觀の力に依て彭祖が八百の歲時を閱すと云ふとも若夫れ見性の眼無んば唯是一箇老大の守屍鬼何の好事かあらん若又枯坐默照を以て足れりとせは枉て一生を錯り大ひに佛道に違せん只佛道に違するのみに非ず大に世諦もまた癈ぜん何が故ぞ若夫諸侯大夫は朝覲を怠り國務を廢して枯坐默照し武夫は射御を踈にし武術を忘れて枯坐默照し商賈は戶店を鎖し算盤を碎て枯坐默照し農夫は犂鋤を擲ち耕耘を止て枯坐默照し工匠は繩墨を捨て斧斤を拋て枯坐默照せば國衰へ民疲れ賊盜頻りに起つて國それ危からんか然らば則ち衆民瞋り恨みて必ず云はん禪は窮て不祥の大兆なりと殊に知らず古へ禪林の盛なりし時南嶽馬祖百丈黃檗臨濟歸宗麻谷興化盤山九峯地藏等の諸聖挽石搬土水薪柴蔬作務普請の鼓を鳴して專ら動中の得力を求む此故に百丈大師曰く一日不作一日不食是を動中の工夫不斷坐禪と云此風近代地を拂つて盡蓋し斯いへばとて坐禪を嫌ひ靜慮を謗るにし非ず大凡一切の賢聖古今の智者禪定に依らずして佛道を成就する底半箇も亦無し夫戒定慧の三要は佛道萬古の大綱なり誰か敢て輕忽せんや然るに向に謂ゆる禪門の諸聖の如きは超宗越格眞正無上の大禪定擬議するときは則ち電轉じ星飛ぶ羝羊の眼狐狸の智如何ぞ敢て窺知る事を得ん縱ひ又默照枯坐して立地に成佛し立地に大光明を放つ底の好事ありとも諸侯大夫士庶民家萬般の公務千般の家事ある何の暇あつてか片時も打坐する事を得んや此に於て病と稱して公務を遁れ家業を廢して三五七日一室を閉戶牖を鎖して幾枚の團蒲を重ね一枝の香を挾んで坐すと云へども平生の塵務に疲れて一寸坐すれば一次睡り三合の坐禪には千萬解の妄想を集む既にして眼を瞠り牙を咬み拳を握り梁骨を堅起して坐すれば萬般の邪境頭を競つて生ず越て額を攢め眉を皺めて覺へず悲泣して曰官途道業を妨げ仕路禪定を障ふしかじ官を辭し印を解て水邊林下寂寞無人の處に在て恣に禪觀を修し永劫の苦輪を遁んと大に錯り畢り
現代語訳
私の正受老人はいつも言った。「不断に坐禅を学ぼうとする人は、殺害や刀杖の巷、号泣悲泣の部屋、相撲や戯れの場、管弦歌舞の席に入っても、はからいを加えず、思案を添えず、すべてを束ねて一つの話頭とし、一気に進んで退かず、たとえば阿修羅の大力鬼に肘や腕をつかまれて三千大千世界を千回百回巡っても、正念工夫を片時も失わず、相続して絶えない者、これを真正に参禅する僧とする。一日中ただ面の皮を冷やし、目を見開いて、毫釐も人情を交えない」と。まことに貴ぶべきことである。兵法にもまた言うではないか、「戦いながら耕す、これ万全の良策なり」と。参学もまたそうである。工夫は「戦う」ことの真修、内観は「耕す」ことの肝要で、鳥の両翼、車の両輪のようなものである。内観の秘訣は、私が先に、諸国の参玄の僧のために『夜船閑話』に書き終えた。私は常にこれらの趣旨で僧たちの禅病を救ったこと、幾人とも数えきれない。なかでも重症で必死に向かおうとする者の八、九割を治した。学者は必ず内観と参学を共に併せ蓄えて、生平の本志を成就しなさい。学道の人は、たとえ参じて五派七流の大事を究め得たとしても、もし短命であったなら何の役に立とうか。たとえまた内観の力によって彭祖の八百歳の年月を過ごしたとしても、もし見性の眼がなければ、ただ一人の老いぼれた守屍鬼にすぎない。何の良いことがあろう。もしまた、枯れ坐して黙照することで十分だとするなら、誤って一生を過ち、大いに仏道に背くだろう。ただ仏道に背くだけでなく、大いに世間の道理もまた廃れる。なぜか。もし諸侯・大夫が朝覲を怠り国務を廃して枯坐黙照し、武士が弓馬を疎かにし武術を忘れて枯坐黙照し、商人が店を閉ざし算盤を砕いて枯坐黙照し、農夫が犂や鋤を投げ出し耕作をやめて枯坐黙照し、職人が墨縄を捨て斧を投げ捨てて枯坐黙照したなら、国は衰え民は疲れ、盗賊がしきりに起こって、国は危うくなるだろう。そうなれば多くの民は怒り恨んで、必ず言うだろう、「禅は窮まれば不祥の大きな兆しである」と。とりわけ、知らないのである。昔、禅林が盛んだったとき、南嶽・馬祖・百丈・黄檗・臨済・帰宗・麻谷・興化・盤山・九峰・地蔵らの聖者たちが、石を挽き土を運び、水を汲み薪を拾い野菜を作る作務の、普請の鼓を鳴らして、専ら動中の得力を求めたことを。このゆえに百丈大師は言った、「一日作さざれば、一日食らわず」と。これを動中の工夫、不断坐禅という。この風は近年、地を払って尽きた。思うに、こう言うからといって、坐禅を嫌い静慮をそしるのではない。おおよそ一切の賢聖、古今の智者で、禅定によらずに仏道を成就した者は半人もいない。そもそも戒・定・慧の三つの要は、仏道の万古の大綱である。誰が軽んじようか。ところが、先に述べた禅門の諸聖のごときは、宗を超え格を越えた真正無上の大禅定であって、思い巡らせば電が走り星が飛ぶようである。雄羊の眼や狐狸の知恵で、どうしてうかがい知ることができよう。たとえまた、黙照枯坐してたちどころに成仏し、たちどころに大光明を放つような良いことがあるとしても、諸侯・大夫・士庶の家には、万般の公務、千般の家事があり、いったい何の暇があって片時でも打坐することができようか。そこで病と称して公務を逃れ、家業を廃して、三日、五日、七日と一室に閉じこもり、戸や窓を閉ざして、幾枚もの座布団を重ね、一本の香を挟んで坐ると言っても、平生の俗務に疲れているので、ちょっと坐ればすぐ眠り、三合の坐禅には千万の妄想が集まる。やがて眼を見開き、歯を噛みしめ、拳を握り、背骨を立てて坐れば、万般の邪境が先を争って生じる。ついには額を寄せ眉をひそめ、知らず悲しみ泣いて言う、「官途が道業を妨げ、仕官が禅定を妨げる。官を辞し印綬を解いて、水辺や林の下の、寂寞として人のない所で、思いのまま禅観を修め、永劫の苦しみの輪から逃れるにしくはない」と。大いに誤り尽くしている。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
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遠羅天釜・『遠羅天釜』武士こそ不断坐禅に利あり老夫壯年より思ひ付侍りけるは正念工夫の勝手には武士の身の上へ程よき事は有べからず武士は明け暮れに身を懦弱に持事叶ず出仕にも附合にも如何にも嚴重なる者なれば髮結立て上下か又は袴羽織にて大小手挾み折目高なる起居の上へには正念工夫は溢れ建るゝ程潔よく打見ゆ增てよき唆馬の太く逞きに打騎て百萬騎の敵軍をも人無き處を通る如く乘破り〱驅崩すべき顏色は天晴見事なる不斷坐禪かく工夫しもて行たらんには出家は一年にて得力これあらば武士は一月出家は百日にて得力是あらば武士は三日にも利運は開かるべき者を志なく案內知り給はぬ故に生唼磨墨とも云べき大馬の背上に閑々と八石五斗の無明妄想の重荷を建〱積載ていかめしげなる貌曲してあたりを拂つて乘連〱打通り給ふは近頃以て殘念なる風情ならずやかく大切なる場所をば遣過して我々は仕官の身なれば坐禪などする暇隙は勤めの內は存じも寄ぬ事なるぞなど宣ふ人々は海中に在乍ら水を尋ぬる心地こそすれ四十二章經には人に二十の難あり豪貴學道難と誠なる哉王侯より庶人に至るまで榮耀富貴の人々は數限りも無事に侍れど來生の苦輪を恐れ出離の要道を尋ね求むる人々は世界を一掃して一人も見へ侍らず是定めて金口の所說に違はじとの心なるべし只富貴の上にも富貴を貪ぼりて足る事を知らず榮耀の上にも榮耀を求めて飽事もなき世の中に何の善緣ぞや幕下のみ獨り富貴を見る事空華の如く榮耀を見る事夢幻に等しく常に無上の大道に賢慮を傾け予が艸廬を顧み給ふ事旣に三次昔し照烈の武侯が艸廬を顧み給ひしに等し彼は三國を並さん事を圖り此は三界を越ん事を求むその趣は同じといへども志しは大に異なり昔し武侯は鋤を棄命を委ねて以て三顧に答ふ老僧豈に三顧に報ずるに片言を惜まんや如何なる法理を書贈りてか幕下勇猛の精神を增長し圖らずも宗門向上の大事を透過し恰悅の眉を開き給へがしと祈る許りにかなはぬ文章にて斯まで書續けたるにて侍り去ながら宗門向上の大事は中々文字語言の力にても誘引ずべき事にし侍らず然れども修行の趣向錯まり給はずば自然に大事に契當し給はでやあるべき
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遠羅天釜・『遠羅天釜』無事禅の戒めと遠くない道此上猶又怠り給はずは禪門にいはゆる左手を握て中指を咬等の心地も次第に明かなるべし今時往々に道參禪無益なり話頭了じて什麼かせん即心即佛の直指なれば念の起るをも愁ず念の止たるをも喜ばず山賤の白木の合子只生れ付たる自性の儘なるがよきぞ漆つけねば剝色こそ無れとて日々徒に盲龜の空谷に入が如し去て以て足りとす此は是天竺の自然外道の所見なり恁麼にして佛心向上の宗旨なりと稱せば七村裏の土地も亦掌を撫して大笑すべきぞかし何が故ぞこれ總に長沙の謂ゆる識神を認得する底の凝人ならずや楞嚴に賊を認て子となす終に元淨明の體を知事能はずと呵せられしは此等の部類なり殊にしらず如來は四果の聖者の諸漏已盡し我法の眞理に達し神通具足し名稱普く聞へ給ふをさゑ禪を知りとは許可し給はず故に經曰我弟子大阿羅漢不能解此義唯有大菩薩衆應解此義とも說給へるものを見性の功さへなくて妄に自ら尊と稱す是何の心ぞや人は只兎もあれ萬緣を抛擲して唱るに越たる事はなき事なり去ながら題目ばかりの利益なりと偏執し給ふべからず眞言に限らず淨土に限らず何れも優劣あるべからず淨家の人々は專唱稱名の功力に依て是非〱一回唯心の淨土己身の彌陀の妙相を見屆けでや置べきと決烈の大志を憤起し頭然を救ふが如く間もなく唱へ進みたらんに佛も去此不遠と說給ひたる者をなどや七重の寶樹八功德池の有樣を見屆けずやはあるべき眞言の人々は陀羅尼微妙の威力に依て是非とも阿字不生の大日輪を拜し奉るべしと禪門に於て一則の話頭を擧揚するが如く精進勇猛の憤志を震つて繰たらんに高野大師も不轉肉身と唱へ給ひたる者をなどかは彼金剛不壞の正體を磨出さずや有べき何れも死後を待て利益に預んと打延し給ふは不覺油斷の至り覺束なきものぞかし遠き事とな歎給ひぞ八重の潮路を隔てたる唐土天竺の事を見給へ聞給へと云にこそ遠き事とは歎くべけれ自心を以て自心を見る吾瞳を以て吾瞳を見るより近き事には侍らずや深き事とな恐れ給ひそ九淵の潭の底千尋の海の中なる物を見給へ聞給へと云にこそ深き事とは恐るべけれ吾心を以て吾心を見る吾鼻を以て吾鼻を嗅より近き事には侍らずや世は末世なれども法は更々末世ならず末世なりとて打捨顧み給はずば寳の山に入ながら自ら飢凍を苦しむが如し末世には去事は及ばぬ事とな恐れ給ひぞ遠くは惠心院の僧都近くは赤澤の即往山城の圓悉何れも稱名の力に依て右の素懷を遂給ひたるぞかし法然上人も此望は深くおわしけれども先達なき故に翼短ふして長空に翔らざる心地なりと宣ひき