遠羅天釜 / 『遠羅天釜』見性なき静座と一遍の涙
彼寂靜無事の處に在つて識神を認得して見性なりと相心得揩磨淨盡して以て足れりとする底の無眼禿奴の族は夢にも曾て見る事を得んや是等の族は終日無爲を行じて終日有爲を打し終日無作を行じて終日有作を打す何が故ぞ見道分明ならず親しく法性の實際を窮めざる故に惜むべし再び得難き一生を盲龜の空谷に入が如く鬼の棺木を守るに似てやみ〱と過了て苦しかりし三塗の舊里へ懲もなく立歸らん事皆是進修の指南惡しく見性本より眞ならざるが故に一生空しく心力を勞し盡して終に方寸の功を立る事能はず寔に憐むべし去る程に時宗一遍上人の如きは鉦子を頸に打掛け念佛しながら一度三塗に入ぬれば再びかへる事ぞなきと打泣〱東は奧州出羽の果西は築紫博多の浦の奧までも告廻り給ひけるが終に由良の開祖に見て徃生の大事を決定し給ひけるさぞ寔に貴き芳躅ならずやつら〱人界の始終を思ふに天上に生ずべきには福力足らず三塗に墮すべきには罪業足らず終に此娑婆穢土の生を感得すその中國王大臣長者居士等の人々は前生多少の善緣を修し許多の勝因を種來れども天上へ生ずべきには福力足らずして今大饒富貴の家に生れて臣妾を前後に從へ寶財を左右に束て何の辨もなく萬民を憐まず士庶をも惠まず驕奢の心のみ多くて今日も惡業惡因明日も亦殺業苦種多少の福德を擔ひ來て徒に空華の榮耀をのみ極めて限りもなき罪業に仕かへて擔もて果しもなき惡趣の巷へ立歸り玉ふは世間に限りもなき事に侍り
新字:彼寂静無事の処に在つて識神を認得して見性なりと相心得揩磨浄尽して以て足れりとする底の無眼禿奴の族は夢にも曽て見る事を得んや是等の族は終日無為を行じて終日有為を打し終日無作を行じて終日有作を打す何が故ぞ見道分明ならず親しく法性の実際を窮めざる故に惜むべし再び得難き一生を盲亀の空谷に入が如く鬼の棺木を守るに似てやみ〱と過了て苦しかりし三塗の旧里へ懲もなく立帰らん事皆是進修の指南悪しく見性本より真ならざるが故に一生空しく心力を労し尽して終に方寸の功を立る事能はず寔に憐むべし去る程に時宗一遍上人の如きは鉦子を頸に打掛け念仏しながら一度三塗に入ぬれば再びかへる事ぞなきと打泣〱東は奥州出羽の果西は築紫博多の浦の奥までも告廻り給ひけるが終に由良の開祖に見て往生の大事を決定し給ひけるさぞ寔に貴き芳躅ならずやつら〱人界の始終を思ふに天上に生ずべきには福力足らず三塗に堕すべきには罪業足らず終に此娑婆穢土の生を感得すその中国王大臣長者居士等の人々は前生多少の善縁を修し許多の勝因を種来れども天上へ生ずべきには福力足らずして今大饒富貴の家に生れて臣妾を前後に従へ宝財を左右に束て何の弁もなく万民を憐まず士庶をも恵まず驕奢の心のみ多くて今日も悪業悪因明日も亦殺業苦種多少の福徳を担ひ来て徒に空華の栄耀をのみ極めて限りもなき罪業に仕かへて担もて果しもなき悪趣の巷へ立帰り玉ふは世間に限りもなき事に侍り
書き下し
彼寂靜無事の處に在つて識神を認得して見性なりと相心得揩磨淨盡して以て足れりとする底の無眼禿奴の族は夢にも曾て見る事を得んや是等の族は終日無爲を行じて終日有爲を打し終日無作を行じて終日有作を打す何が故ぞ見道分明ならず親しく法性の實際を窮めざる故に惜むべし再び得難き一生を盲龜の空谷に入が如く鬼の棺木を守るに似てやみ〱と過了て苦しかりし三塗の舊里へ懲もなく立歸らん事皆是進修の指南惡しく見性本より眞ならざるが故に一生空しく心力を勞し盡して終に方寸の功を立る事能はず寔に憐むべし去る程に時宗一遍上人の如きは鉦子を頸に打掛け念佛しながら一度三塗に入ぬれば再びかへる事ぞなきと打泣〱東は奧州出羽の果西は築紫博多の浦の奧までも告廻り給ひけるが終に由良の開祖に見て徃生の大事を決定し給ひけるさぞ寔に貴き芳躅ならずやつら〱人界の始終を思ふに天上に生ずべきには福力足らず三塗に墮すべきには罪業足らず終に此娑婆穢土の生を感得すその中國王大臣長者居士等の人々は前生多少の善緣を修し許多の勝因を種來れども天上へ生ずべきには福力足らずして今大饒富貴の家に生れて臣妾を前後に從へ寶財を左右に束て何の辨もなく萬民を憐まず士庶をも惠まず驕奢の心のみ多くて今日も惡業惡因明日も亦殺業苦種多少の福德を擔ひ來て徒に空華の榮耀をのみ極めて限りもなき罪業に仕かへて擔もて果しもなき惡趣の巷へ立歸り玉ふは世間に限りもなき事に侍り
現代語訳
かの寂静で無事な所にいて、識神を認めて見性だと心得、磨き尽くして十分とする、眼のない禿げ頭の輩は、夢にも見ることができようか。こうした連中は、一日中無為を行じながら一日中有為を打ち、一日中無作を行じながら一日中有作を打つ。なぜか。見道が明らかでなく、法性の実際を自ら窮めていないからである。惜しいことに、二度と得がたい一生を、盲目の亀が空の谷に入るように、鬼が棺桶を守るように、ぼんやりと過ごして、苦しかった三塗の古里へ懲りもせず立ち帰ろうとする。これはみな、進み修める指南が悪く、見性がもとより真実でないからであり、一生むなしく心力を使い果たして、ついにわずかの功も立てられない。まことに憐れむべきである。そのため、時宗の一遍上人は、鉦を首に掛け、念仏しながら、「一度三塗に入ってしまえば二度と帰ることはない」と泣き泣き、東は奥州出羽の果て、西は筑紫博多の浦の奥までも触れ回りなさったが、ついに由良の開祖に会って往生の大事を決定なさった。実にまことに貴い足跡ではないか。つくづく人間の始終を思うに、天上に生まれるには福力が足りず、三塗に堕ちるには罪業が足りず、ついにこの娑婆穢土の生を受けた。そのうち、国王・大臣・長者・居士などの人々は、前世に多少の善縁を修め、多くのすぐれた因を種まいてきたけれども、天上に生まれるには福力が足りないため、今、大いに富み栄えた家に生まれて、家臣や侍女を前後に従え、財宝を左右に積み重ね、何の弁えもなく万民を憐れまず、士庶にも恵まず、驕りの心ばかり多くて、今日も悪業悪因、明日もまた殺業の苦しい種を作り、わずかばかりの福徳を担ってきたのに、むなしく空華のような栄耀ばかりを極めて、限りない罪業に引き換え、それを担って果てしない悪趣の巷に立ち帰りなさるのは、世間に限りなくあることである。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
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