遠羅天釜 / 『遠羅天釜』罪業の恐れと落とした金の喩え
悲みても尙悲むべきは流轉永劫の罪累恐れても尙恐るべきは生死長夜の苦果なり天下の三聖人なりと崇られさせ給ふ延喜天曆の帝さへ焦熱の猛火に黑ませ給ふを笙が岩屋の日藏上人はまのあたりに見上りたりしに我は粟散小國の王たる事を恃驕慢甚だしかりし罪にて斯は成たるぞと宣けるとぞ敏行の朝臣は和漢の才に長じ手跡麗しくをはして法華經二百部まで書寫し給ひたれども正念工夫をわさゞりければ苦趣に墮して紀の友則の許に來りて救ひを乞給ひけるとぞ又本朝無雙の名將也と稱せられ給ひて目に餘りたる朝敵を從へ至尊の宸襟を休め奉り南都北京の貴僧高僧も加持しあぐみたりける天子の御惱を弓のすびきして絃音にて搔拭ひたる如く治し上りたる程の八幡殿さへ閻王の廳に跪き給ひ多田の滿仲は病中閻王の使に召れて冥府の有樣を見了り蘇生し殊の外に恐怖し給て直ちに六角堂に入り入道し念佛し給ひけるに汗と淚と疊を打透したるとぞ六國を幷呑し四海を襲括して八紘の外までも震ひ恐れたりける秦の莊襄王も鬼趣に墮して苦を受け周の武帝は鐵梁の責を受け梟雄天下に聞へたりける秦の白起は糞泥獄に沈みて後明の洪武の始め吳山の三茅觀なる處に於て雷白き蚣蜈の長け尺餘なるを震殺しけるに背に白起と云へる文字あり〱と記しき由罪業の空じ難き事知ぬべし謂事なかれ塵務繁絮にして參禪に暇なく世事繽紛として工夫綴き難しと須らく知るべし眞正參禪の衲子の前には塵務なく世事なき事を譬へば茲に一人あらんに往來絡繹たる巷稠人廣衆の中に於て錯つて二三片の金子を遺落したらんに人目しげしとて棄てや置べき物騷しとて尋ねずやあるべき多くの人々を押わけかいくゞつても一問尋ね出して我手に入らざらん限りは心頭休罷する事能はじ然らば則ち塵務繁しとて參禪を怠り世事煩はしとて工夫を廢せん人々は諸佛無上の妙道を以て彼兩三片の黃金程には貴び惜まざる者に非ずや塵務の上へ世波の間に於て彼黃金を遺落したりし人の如く專一に究明したらんには誰か歎喜の眉を開かざらんや此故に妙超大師云く見るやいかに加茂のきをひの駒くらべかけつかへすも坐禪なりけりと眞珠菴主は此意を述して看經すべからず坐禪すべし掃地すべからず坐禪すべし茶の實種べからず坐禪すべし馬に乘べからず坐禪すべしとこれは是眞正參禪底の古寶なり
新字:悲みても尚悲むべきは流転永劫の罪累恐れても尚恐るべきは生死長夜の苦果なり天下の三聖人なりと崇られさせ給ふ延喜天暦の帝さへ焦熱の猛火に黒ませ給ふを笙が岩屋の日蔵上人はまのあたりに見上りたりしに我は粟散小国の王たる事を恃驕慢甚だしかりし罪にて斯は成たるぞと宣けるとぞ敏行の朝臣は和漢の才に長じ手跡麗しくをはして法華経二百部まで書写し給ひたれども正念工夫をわさゞりければ苦趣に堕して紀の友則の許に来りて救ひを乞給ひけるとぞ又本朝無双の名将也と称せられ給ひて目に余りたる朝敵を従へ至尊の宸襟を休め奉り南都北京の貴僧高僧も加持しあぐみたりける天子の御悩を弓のすびきして絃音にて搔拭ひたる如く治し上りたる程の八幡殿さへ閻王の庁に跪き給ひ多田の満仲は病中閻王の使に召れて冥府の有様を見了り蘇生し殊の外に恐怖し給て直ちに六角堂に入り入道し念仏し給ひけるに汗と涙と畳を打透したるとぞ六国を幷呑し四海を襲括して八紘の外までも震ひ恐れたりける秦の荘襄王も鬼趣に堕して苦を受け周の武帝は鉄梁の責を受け梟雄天下に聞へたりける秦の白起は糞泥獄に沈みて後明の洪武の始め呉山の三茅観なる処に於て雷白き蚣蜈の長け尺余なるを震殺しけるに背に白起と云へる文字あり〱と記しき由罪業の空じ難き事知ぬべし謂事なかれ塵務繁絮にして参禅に暇なく世事繽紛として工夫綴き難しと須らく知るべし真正参禅の衲子の前には塵務なく世事なき事を譬へば茲に一人あらんに往来絡繹たる巷稠人広衆の中に於て錯つて二三片の金子を遺落したらんに人目しげしとて棄てや置べき物騷しとて尋ねずやあるべき多くの人々を押わけかいくゞつても一問尋ね出して我手に入らざらん限りは心頭休罷する事能はじ然らば則ち塵務繁しとて参禅を怠り世事煩はしとて工夫を廃せん人々は諸仏無上の妙道を以て彼両三片の黄金程には貴び惜まざる者に非ずや塵務の上へ世波の間に於て彼黄金を遺落したりし人の如く専一に究明したらんには誰か嘆喜の眉を開かざらんや此故に妙超大師云く見るやいかに加茂のきをひの駒くらべかけつかへすも坐禅なりけりと真珠菴主は此意を述して看経すべからず坐禅すべし掃地すべからず坐禅すべし茶の実種べからず坐禅すべし馬に乗べからず坐禅すべしとこれは是真正参禅底の古宝なり
書き下し
悲みても尙悲むべきは流轉永劫の罪累恐れても尙恐るべきは生死長夜の苦果なり天下の三聖人なりと崇られさせ給ふ延喜天曆の帝さへ焦熱の猛火に黑ませ給ふを笙が岩屋の日藏上人はまのあたりに見上りたりしに我は粟散小國の王たる事を恃驕慢甚だしかりし罪にて斯は成たるぞと宣けるとぞ敏行の朝臣は和漢の才に長じ手跡麗しくをはして法華經二百部まで書寫し給ひたれども正念工夫をわさゞりければ苦趣に墮して紀の友則の許に來りて救ひを乞給ひけるとぞ又本朝無雙の名將也と稱せられ給ひて目に餘りたる朝敵を從へ至尊の宸襟を休め奉り南都北京の貴僧高僧も加持しあぐみたりける天子の御惱を弓のすびきして絃音にて搔拭ひたる如く治し上りたる程の八幡殿さへ閻王の廳に跪き給ひ多田の滿仲は病中閻王の使に召れて冥府の有樣を見了り蘇生し殊の外に恐怖し給て直ちに六角堂に入り入道し念佛し給ひけるに汗と淚と疊を打透したるとぞ六國を幷呑し四海を襲括して八紘の外までも震ひ恐れたりける秦の莊襄王も鬼趣に墮して苦を受け周の武帝は鐵梁の責を受け梟雄天下に聞へたりける秦の白起は糞泥獄に沈みて後明の洪武の始め吳山の三茅觀なる處に於て雷白き蚣蜈の長け尺餘なるを震殺しけるに背に白起と云へる文字あり〱と記しき由罪業の空じ難き事知ぬべし謂事なかれ塵務繁絮にして參禪に暇なく世事繽紛として工夫綴き難しと須らく知るべし眞正參禪の衲子の前には塵務なく世事なき事を譬へば茲に一人あらんに往來絡繹たる巷稠人廣衆の中に於て錯つて二三片の金子を遺落したらんに人目しげしとて棄てや置べき物騷しとて尋ねずやあるべき多くの人々を押わけかいくゞつても一問尋ね出して我手に入らざらん限りは心頭休罷する事能はじ然らば則ち塵務繁しとて參禪を怠り世事煩はしとて工夫を廢せん人々は諸佛無上の妙道を以て彼兩三片の黃金程には貴び惜まざる者に非ずや塵務の上へ世波の間に於て彼黃金を遺落したりし人の如く專一に究明したらんには誰か歎喜の眉を開かざらんや此故に妙超大師云く見るやいかに加茂のきをひの駒くらべかけつかへすも坐禪なりけりと眞珠菴主は此意を述して看經すべからず坐禪すべし掃地すべからず坐禪すべし茶の實種べからず坐禪すべし馬に乘べからず坐禪すべしとこれは是眞正參禪底の古寶なり
現代語訳
悲しんでもなお悲しむべきは、流転する永劫の罪の積み重ね、恐れてもなお恐れるべきは、生死の長き夜の苦果である。天下の三聖人と崇められなさった延喜・天暦の帝でさえ、焦熱の猛火に黒くなっておられるのを、笙の岩屋の日蔵上人はまのあたりにご覧になったところ、「私は粟粒のような小国の王であることを頼みに、驕慢が甚だしかった罪で、このようになったのだ」と仰ったという。敏行の朝臣は和漢の才に長け、筆跡も美しくあらせられ、法華経を二百部まで書写なさったが、正念工夫をなさらなかったので、苦趣に堕ちて紀友則のもとに来て救いを乞うたという。また、本朝無双の名将と称せられ、目に余る朝敵を従え、天皇のお心を安らげ、南都・北京の貴僧高僧も加持に手を焼いた天子のご病気を、弓の弦を鳴らして音でかき拭うように治し申し上げたほどの八幡殿でさえ、閻魔王の庁に跪かれ、多田満仲は病中に閻魔王の使いに召されて冥府のありさまを見終わって蘇生し、殊のほか恐れなさって、すぐに六角堂に入り入道して念仏なさったところ、汗と涙が畳を貫いたという。六国を併呑し四海を取りまとめて八方の外までも震え恐れさせた秦の荘襄王も鬼趣に堕ちて苦を受け、周の武帝は鉄の梁の責めを受け、梟雄として天下に聞こえた秦の白起は糞泥獄に沈んだ後、明の洪武の初め、呉山の三茅観という所で、雷が白い百足の長さ一尺余りのものを震殺したところ、背に「白起」という文字がありありと記されていたという。罪業の消し難いことが知れよう。言ってはならない、俗務が煩わしく参禅に暇がなく、世事が入り乱れて工夫が続けにくい、と。まさに知るべきである。真正の参禅の僧の前には、俗務もなく世事もないことを。たとえば、ここに一人があって、人の往来が絶えない巷、人々が大勢いる中で、誤って二、三片の金を落としたとしよう。人目が多いからといって打ち捨てておくだろうか。騒がしいからといって尋ねずにいるだろうか。大勢の人を押し分けくぐり抜けても、一度尋ね出して自分の手に入れないかぎり、心が休まることはないだろう。そうであれば、俗務が忙しいといって参禅を怠り、世事が煩わしいといって工夫を廃する人々は、諸仏無上の妙道を、あの二、三片の黄金ほどにも貴び惜しまない者ではないか。俗務の上、世間の波の間で、あの黄金を落とした人のように専一に究明したなら、誰が喜びの眉を開かないだろうか。このゆえに妙超大師はいう、「見るやいかに加茂のきおいの駒くらべ、駆けつ返しつも坐禅なりけり」と。真珠庵主はこの意を述べて、「経を読むな、坐禅せよ。掃除をするな、坐禅せよ。茶の実を蒔くな、坐禅せよ。馬に乗るな、坐禅せよ」といった。これは真正に参禅する者の古来の宝である。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
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