遠羅天釜 / 『遠羅天釜』臍下に据える内観の公案
只返々も內觀の眞修寔に放過すべからざる至要なり內觀の眞修とは吾此臍輪以下丹田氣海及び腰脚足心總に是趙州の無字無字何の道理かある吾この臍輪以下丹田氣海及び腰脚足心總に是自己本來の面目面目の鼻孔何の處にかある吾此臍輪以下丹田氣海及び腰脚足心總に是吾唯心の淨土淨土何の莊嚴かある吾此臍輪以下丹田氣海及腰脚足心總に是吾已身の彌陀彌陀何の法をか說吾此臍輪以下丹田氣海及び腰脚足心總に是吾本分の家鄕家鄕何の消息かあると咳唾掉臂寤時寐時男子たる者の思ひ立たる事を遂ずや置べき仕果ずやあるべきと決烈勇猛の大憤志を奮つて間もなく進み給はゞ平生の心意識情すべて行れず胸襟分外に清涼に分外に皎潔にして萬里の層氷裏にあるが如く縱ひ亂軍の場に入り歌舞遊宴の歌吹海に入るといへども人なき處に在が如く雲門大師の氣字王の如しと道底の大機は求めざるに煥發せん此時に當つて諸佛衆生もと是幻生死涅槃猶如昨夢天堂地獄を徹見し佛界魔宮を銷融し佛祖の正眼を瞎却し恣に百千無量の法門微塵恒沙の妙義を說き宣一切の含識を利益し塵沙劫を經て退屈せず永劫大法施を行じて曾て乏しき事なく空華の萬行を展開し谷響の度門を建立し臂に奪命の神符を掛け口に法窟の爪牙を咬鳴して十方參玄の衲子を惱害し釘を拔き楔を奪て毫釐も假事なく一箇半箇牙劒樹の如く口血盆に似たる底の凶惡無義の鈍暗漢を打出して以て佛祖の深恩を報答す是を佛國土の因緣菩薩の威儀と云ふ是はこれ萬夫に傑出する底の大丈夫兒生平の懷素なり
新字:只返々も内観の真修寔に放過すべからざる至要なり内観の真修とは吾此臍輪以下丹田気海及び腰脚足心総に是趙州の無字無字何の道理かある吾この臍輪以下丹田気海及び腰脚足心総に是自己本来の面目面目の鼻孔何の処にかある吾此臍輪以下丹田気海及び腰脚足心総に是吾唯心の浄土浄土何の荘厳かある吾此臍輪以下丹田気海及腰脚足心総に是吾已身の弥陀弥陀何の法をか説吾此臍輪以下丹田気海及び腰脚足心総に是吾本分の家郷家郷何の消息かあると咳唾掉臂寤時寐時男子たる者の思ひ立たる事を遂ずや置べき仕果ずやあるべきと決烈勇猛の大憤志を奮つて間もなく進み給はゞ平生の心意識情すべて行れず胸襟分外に清涼に分外に皎潔にして万里の層氷裏にあるが如く縦ひ乱軍の場に入り歌舞遊宴の歌吹海に入るといへども人なき処に在が如く雲門大師の気字王の如しと道底の大機は求めざるに煥発せん此時に当つて諸仏衆生もと是幻生死涅槃猶如昨夢天堂地獄を徹見し仏界魔宮を銷融し仏祖の正眼を瞎却し恣に百千無量の法門微塵恒沙の妙義を説き宣一切の含識を利益し塵沙劫を経て退屈せず永劫大法施を行じて曽て乏しき事なく空華の万行を展開し谷響の度門を建立し臂に奪命の神符を掛け口に法窟の爪牙を咬鳴して十方参玄の衲子を悩害し釘を抜き楔を奪て毫釐も仮事なく一箇半箇牙劒樹の如く口血盆に似たる底の凶悪無義の鈍暗漢を打出して以て仏祖の深恩を報答す是を仏国土の因縁菩薩の威儀と云ふ是はこれ万夫に傑出する底の大丈夫児生平の懐素なり
書き下し
只返々も內觀の眞修寔に放過すべからざる至要なり內觀の眞修とは吾此臍輪以下丹田氣海及び腰脚足心總に是趙州の無字無字何の道理かある吾この臍輪以下丹田氣海及び腰脚足心總に是自己本來の面目面目の鼻孔何の處にかある吾此臍輪以下丹田氣海及び腰脚足心總に是吾唯心の淨土淨土何の莊嚴かある吾此臍輪以下丹田氣海及腰脚足心總に是吾已身の彌陀彌陀何の法をか說吾此臍輪以下丹田氣海及び腰脚足心總に是吾本分の家鄕家鄕何の消息かあると咳唾掉臂寤時寐時男子たる者の思ひ立たる事を遂ずや置べき仕果ずやあるべきと決烈勇猛の大憤志を奮つて間もなく進み給はゞ平生の心意識情すべて行れず胸襟分外に清涼に分外に皎潔にして萬里の層氷裏にあるが如く縱ひ亂軍の場に入り歌舞遊宴の歌吹海に入るといへども人なき處に在が如く雲門大師の氣字王の如しと道底の大機は求めざるに煥發せん此時に當つて諸佛衆生もと是幻生死涅槃猶如昨夢天堂地獄を徹見し佛界魔宮を銷融し佛祖の正眼を瞎却し恣に百千無量の法門微塵恒沙の妙義を說き宣一切の含識を利益し塵沙劫を經て退屈せず永劫大法施を行じて曾て乏しき事なく空華の萬行を展開し谷響の度門を建立し臂に奪命の神符を掛け口に法窟の爪牙を咬鳴して十方參玄の衲子を惱害し釘を拔き楔を奪て毫釐も假事なく一箇半箇牙劒樹の如く口血盆に似たる底の凶惡無義の鈍暗漢を打出して以て佛祖の深恩を報答す是を佛國土の因緣菩薩の威儀と云ふ是はこれ萬夫に傑出する底の大丈夫兒生平の懷素なり
現代語訳
ただ重ね重ね、内観の真の修行は、まことに見過ごしてはならない肝要である。内観の真の修行とは、「わが臍輪以下、丹田・気海、および腰・脚・足の裏はすべて、これ趙州の無字。無字にいかなる道理があるか」「わが臍輪以下、丹田・気海、および腰・脚・足の裏はすべて、これ自己本来の面目。面目の鼻孔はいずれの処にあるか」「わが臍輪以下、丹田・気海、および腰・脚・足の裏はすべて、これわが唯心の浄土。浄土にいかなる荘厳があるか」「わが臍輪以下、丹田・気海、および腰・脚・足の裏はすべて、これわが己身の弥陀。弥陀はいかなる法を説くか」「わが臍輪以下、丹田・気海、および腰・脚・足の裏はすべて、これわが本分の家郷。家郷にいかなる消息があるか」と、咳をし唾を吐く時も、腕を振る時も、目覚めている時も眠る時も、男子たる者が思い立ったことを遂げずに置くべきか、やり果たさずに終わるべきか、と決死の勇猛な大憤志を奮い起こして、絶え間なく進みなさるなら、平生の心意識や情はことごとく行われなくなり、胸のうちはとりわけ清涼に、とりわけ潔白になって、万里の厚い氷の中にいるようになり、たとえ乱戦の場に入り、歌舞遊宴の賑やかな場に入っても、人のいない所にいるようであり、雲門大師の言う「気宇は王のごとし」という大機が、求めずとも輝き現れるだろう。この時に至れば、「諸仏も衆生ももとこれ幻、生死も涅槃もなお昨夜の夢のごとし」と、天堂・地獄を見通し、仏界・魔宮を溶かし去り、仏祖の正眼さえもくらまし、思いのままに百千無量の法門、微塵恒沙のすぐれた義を説き示して、あらゆる生きとし生けるものを利益し、塵沙劫を経ても倦むことなく、永劫に大いなる法施を行って少しも乏しいことがなく、空華のような万行を展開し、谷にこだまする響きのような度門を打ち立て、腕に命を奪う神符を掛け、口に法窟の爪牙を鳴らして、十方の参玄の僧を悩まし、釘を抜き楔を奪うように少しの容赦もなく、一人半人であれ、牙は剣樹のごとく口は血の盆に似た、凶悪で道義のない鈍い輩を打ち出して、仏祖の深恩に報いるのである。これを仏国土の因縁、菩薩の威儀という。これは万人に抜きん出る大丈夫が生涯に抱く思いである。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
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